夏と秋の狭間






「なァ、来週花火大会があんねやて!」
『そ、…うですね、この辺りも騒がしくなりますね』


夏の終わり。

不意に訪れた、触れそうな距離。

唯々子どもみたいに無邪気な笑顔。
あァ、どうか気づかれませんように。

顔が熱いのは、夏のせいだと言い聞かせた。


















「市丸隊長、花火大会ご一緒しませんか?」
「あ、ずるい!私が誘おうと思ってたのに!」
「早い者勝ちですぅう〜」



…、いいな。

夏の一大イベントの、ヒロインになるためのオーディションが目の前で開催されている。

夏の夜空に彩られて、

恋が実るのは誰でしょう。

それはきっと、私じゃないことだけは確かで。

だって、オーディションすら受けていない私に、誰が気づくというのでしょうか。


私はオーディションの行方が気になりつつも、その結果を知ることが怖くて、書類を胸に抱えて執務室を飛び出した。



長月の始め。

襟元を抜ける風が少し冷たくなって、夕暮れに鳴くヒグラシの声は小さくなって代わりに鈴を転がすような音が響く。

ヒグラシの声よりも、ずっと。
切なく感じてしまうのは夏が終わったと感じてしまうから。

この夏も、あなたのヒロインにはなれなかった。



下唇を噛みながら、夕暮れ時の渡り廊下を歩く。
ふと見遣った空は、綺麗な茜色。


「―なァ、来週花火大会があんねやて!」
『―ッ!?』


突然降ってきた声に、肩が跳ねて息が詰まる。

振り向けば、茜色の夕日に染まった銀色の髪。


なんて綺麗なんでしょうか。


『そ、…うですね。この辺りも騒がしくなりますね』


詰まった息を取り戻しつつ、慣れない会話に震えながら答える。


「なまえちゃんは行かへんの?」


不意に呼ばれた、私の名前。
まともに話したことなんてほとんどないのに。

覚えていてくれた。

唯それだけで、少し特別に感じてしまう夏の終わり。


『わ、私は…行く予定はありません』


自分で言っていて少し悲しい。
オーディションを受けなかったのは自分なのに。



「そしたら、ボクと行かへん?」


鈴が転がる、夕暮れの渡り廊下。

訪れたのは、秋ではなく。

触れそうな距離。


『わ、私とですか!?』

思わず声を荒らげてしまう。
あまりの衝撃に、抱えていた書類を落としそうになる。


「ボクとやったら、嫌?」


少しだけ眉尻を下げて微笑む市丸隊長。
なんて表情をするのでしょう。
そんな顔されて、断れる方はいるのでしょうか。


『と、とんでもないです…っ』


顔が熱い。
耳の先まで神経が敏感になっているみたいに、熱をもつ。


「ほな、来週…そうやね、花火大会会場の、鳥居の前で」
『はい、楽しみにしてますね…っ』


私の言葉を最後に、市丸隊長は渡り廊下を戻っていく。

もしかして、わざわざ。
私を誘うためだけに、来てくれた?


淡い期待に、色がついていく。
夏の始まりの、済んだ淡い空色が。

秋の訪れを感じさせる、茜色に染まっていく。









夏の終わりに訪れた、予感。


いつもと違う髪型。

いつもと違う匂い。

いつもと違う浴衣。


貴方は気づいてくれるでしょうか。
少しは、ヒロインになれるでしょうか。



市丸隊長を待つ、僅かな間に。
少しズレた帯を直して。

夜風に揺れた前髪を、そっと人差し指で撫でる。


長月の始め。
はやり、日が暮れてからの風が首筋を撫でると少し寒い。



開催時間が迫る。

人が増えてきて、人混みの中に隊長を探す。
履き慣れない下駄で、少しだけ背伸び。

少しバランスを崩し、前のめりになる体。
おっと、と半歩前に足を出す。


「ッ危な…」
『―え?』


突然、右手首に感じる熱。
重力に囚われた体を、力尽くで戻される。


振り向けば。


「ご免な、待たせたやろ」


私の右手を掴んだままの、市丸隊長。
木々の隙間から漏れてくる月明かりと、提灯に照らされた銀色が透ける。


『あ、いえ―…』


手首が急激に熱を帯び始める。
そこに心臓があるみたいに、脈を打ち始める。


「あ、怪我…してへん?」
『はい、大丈夫です』


私の答えを聞くと、良かった。と私の手首を離す。


「ほな、行こか」


大きな背中。
濃紺の浴衣に黒い帯。

足袋を履いていない、素足。
カラコロと軽快な下駄の音。

いつもより肌色が多く見えるからか。
白と黒だけだった背中に、色が増えたからか。


いつもと違う、その雰囲気に。
胸が苦しくなる。

さっきまで、あんなに涼しかった夕暮れも。
熱を持ったままの右手が、全身に伝染していく。



―のどが渇く。



今までで一番近い距離に、あなたがいる。




―あァ、のどが渇いた。


今までで一番近い距離に、きみがいる。





今日こそは伝えよう、と。
決めてここまできたのに。

右手に篭る熱が消えなくて。

どうしようもなく胸がざわつく。



昨日は君の夢をみた。
いつもどおり、何も伝えられずに終わる一日。

そない日常。

何度目かも分からへんくらい、幾度となく君の夢を観てきた。

今日ばかりは、正夢になりませんように。



祈るだけじゃ、何も変わらへんのは誰よりもわかっとる。



なァ、来週花火大会があんねやて




今知ったかのような口調。

ほんまはもうずっと前から知っていた。

君を誘う口実が欲しかった。

臆病なボクは、きっかけが歩いてやってくるのをずっと待っとった。

せやけど、それじゃァ何も変わらなくて。

執務室を出た、君の背中を追いかけた。

ボクの周りにいた女の子たちが、何か言っとったけど。

なんて言うたかは、聞こえへんかった。



君の、背中が離れていく。

茜色に染まり始めた渡り廊下で、夕暮れの風が秋を運んできた。



―…君の後ろ姿に、初めて追いついた。



君は驚いて、

はにかんで、

嬉しそうで、

頬を染めて。





ボクに、頷いてくれた。



まともに話したこともなかったのに。
君の名前を呼んで、君は笑って。



夏と秋の狭間で、

ボクは漸く、君のそばまで来れた。




浴衣一枚では、少し肌寒い夕暮れ。

人混みを掻き分けながら進めば、履き慣れない下駄でバランスを崩す君。

あァ、危ない。

そう思うたときには手が伸びていて。

君の華奢な右手首を掴んだ。



そこから血液が流れ込んだみたいに。

一瞬、血が熱くなる。





「あ、怪我…してへん?」


飄々としていて

誰とでも分け隔てなく接することができて

仮面を貼り付けたような笑みで

いつだって生きてきたのに。



君の前では、なぜこうも。

市丸ギン、やのォて、"唯の男"になってまうんやろう。



ボクの磨き上げてきたレベルでは、君に勝てへん。

ボクの装備してきた武器では、君を倒せへん。

ボクを守ってきた盾では、受けきれへん。



どう攻めても、君に完敗。
せやけど、諦められへんボクはがむしゃらに走ることしかできひんかった。



大丈夫、と笑った君を見て、ボクは君の右手を離した。
ボクの冷たい右手に、君の右手から熱が流れ込んできて。

ボクの手が、熱い。とバレてしまう前に。
君の熱を離した。


ボクの右手に君の熱は残るのに。
その熱が、余計君の体温を恋しくさせる。



いつも下ろしとる、君の肩まである髪も。
今日は一つに結んで横に流しとる。

いつもは黒い死覇装に身を包む君が、今日は白地に桜舞う浴衣を着ているから。
今日はいつもより華やいで見える。

いつもはすれ違うたび、石鹸の香りがするのに。
今日は華のような柔らかな甘い香りがする。



三番隊三席の、みょうじなまえやなくて。

今日は、ボクのためのみょうじなまえで来てくれたんやと。

―そない、淡い錯覚。




「なァ、のど乾かへん?」
『え、ああ…そうですね。何か飲みますか?』


ボクの背中に届く声が、僅かに上ずっている。
なァ、君も緊張しとる?


「せやね、花火大会始まる前に腹ごしらえもせなあかんしな」


そう言ってボクは、横目に彼女を見遣り、人混みに流されてしまわない程度の歩幅で。
屋台を回る。


「何や食べたいもん、ある?」
『んー、そうですね。綿あめが食べたいです』


少しだけ垣間見せた、子どもみたいな表情。


「…案外可愛らしいもんが好きなんやねェ」


そう言って、ボクは漸く笑えた。

君も少し、照れくさそうに笑った。



いきなり縮まった、張り詰めた距離が、少しだけ和らいだ。




「ほな、綿あめ食べよか。あとはかき氷…はさすがに寒い?」
『いえ、かき氷大好きです…!』


急にキラキラと輝いた瞳に、思わず吹き出す。


「何や、子どもみたいやなァ」


喉でくつくつと笑えば。
君は恥ずかしそうに頬を染める。


『あ、甘いものが好きなんです…』


そうなんや、なんて。他愛ない話から始まったボク等の遅い夏。

かき氷の屋台を見つけて、シロップの味でこれまた子どもみたいにキラキラ無邪気ななまえちゃんに、また胸が高鳴って。
初めて見る君の一面に、ボクの心は更に惹かれる。


『はぁ…。やっぱり苺練乳が一番です』
「甘そうやなァ…」
『隊長、甘いもの苦手なんですか?』
「いや、そないなこともないけど…。干し柿味はあらへんの?」
『えぇ?…ふふっ。さすがに見たことありませんよ』


小さなスプーンで氷の山を少しだけ崩すなまえちゃん。
君の声にもぎこちなさがなくなってきて。

そんな些細な変化が、少し嬉しい。


「そろそろ、花火上がるのと違う?」
『そうですね、もういい感じに暗くなってきましたし』


しゃくしゃくと良え音を立てながら、かき氷を頬張るなまえちゃん。

気が付けば、ボクの二歩後ろを歩いとったなまえちゃんはボクの隣に居て。
袖が触れ合うくらいの距離で、君が笑う。


今までで一番近い距離に、どうか。
ボクの鼓動が聞こえませんように。



ボク等は移動しながら、どうにか人の少ない場所まで来た。
秋虫の声が、静かに鳴り響く。

なまえちゃんは漸くかき氷を食べ終わり、ゴミを捨ててボクの元へと戻ってきた。

何も持っていないなまえちゃんの両手が、行き場を探して少しだけ宙を漂う。
その手を、そっと。

ボクの左手が捉えられたなら。

ボク等の関係も、変わるのやろか。


繋ぎたい距離、君の右手まで、あと五センチ。



なァ、君も気づいとるんやろ。

この、繋ぎたい距離に。



少しだけ。ほんの少しだけ。

僅かに左手を揺らした。


―刹那。



夏の終わりに、花火が上がった。



『わぁ、綺麗ですね…!』
「…綺麗やね」


なまえちゃんの白い肌に、色とりどりの華が反射する。
君の瞳は、夜空を吸い込んで輝いて。

なんて綺麗なんやろう。



視線を感じたからか、なまえちゃんが花火から視線をボクにやる。

特に言葉を交わすわけでもなく。
なまえちゃんは静かに笑って再び夜空に目を向ける。



―…伝えられなかったんやない。

会えへんかったわけでもない。

話せへんかったわけでもない。



ボクが、伝えなかっただけで。

ボクが、会わへんかっただけで。

ボクが、話さへんかっただけで。



口実を探している、という口実で。

ボクは君から逃げていただけやった。



「―なまえちゃんの好きな色、何色?」
『え?…そうですね…桃色ですかね』
「そうなんや。ほな、桃色の花が咲いたら良えね



( もし、次咲いた花火の色が、君の好きな色やったら )



この想いを、伝えよう。

そう、決めた。



夏の終わりの夜空。
秋の始まりの夜空。


二つの季節の丁度真ん中で。

ボク等の距離は、あと五センチで。

二人で見上げた夜空に、


桃色の花が咲いたから。





ボクは、思い切って指先だけ君に触れた。

少し驚いたように、なまえちゃんはボクを見上げ、目が合ったから。

なまえちゃんの指先が逃げへんように、ボクはなまえちゃんの右手を絡め取った。



「―あ、んな… 大事な話があるんやけど。聞いてくれる?」


なまえちゃんの熱が、ボクに伝染する。

ボクの左手から始まって、一瞬で血液が体中を巡る。

鼓動が早まる。


空には、桃色の花が咲き乱れる。







「ボク、なまえちゃんのこと、――…」


花火の轟音に、どうかかき消されないで。
霧散しィひんよう、なまえちゃんの耳元にそっと近づいた。




君の頬が、淡く染まる。

それは花火か、

それとも。







答えは、夏と秋の狭間に落ちた。







ほんまはね、ずっと好きやった
夏と秋の狭間
--------------------
君の頬は、ボクの言葉に染まった。


( 夏の終わりに、書きたかった )

15.09.14.23:56





 

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