曇った約束




一部自殺の表現があります。閲覧にはご注意ください。


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雨の音が響く、LEDが眩しい部屋。
独りきりの明るい部屋とは対照的に、闇に飲み込まれ雨音しか聞えない夜が窓の向こうに広がっている。

闇を映し出す窓は嫌でもこの明るい部屋を鏡のように映す。
そこに佇むのは、まるで悲劇のヒロインぶった表情の私。

脚本もない、監督もいない、観客もいない。
演者は私だけ、用意された孤独の舞台で私は躍る、躍る。


この"孤独"から私を見つけて、

人工の明かりに照らされて、白く飛んで消え入りそうな私を、見つけて。


( いっそ、泥棒でも入らないかな )


淹れたての紅茶を啜りながら、何も変わらない闇に向かって心の中で呟く。
アールグレイの爽やかなベルガモットの香りが妙に場違いで、闇に溶けてしまわないように私を引き止めているかのようだった。

この孤独の色をした部屋に、どうか、他の色もください。
無機質なアールグレイに、どうか、華やかな香りをください。

女ひとりの部屋とはいえ、ここは高層マンションの上層階。
網戸さえ開け放した状態の部屋に、雨音がよく響く。

―…雨音が響くのは、窓を開けているからなのか。
音を吸収するものが極端に少ない、孤独に包まれた部屋だからなのか、そればかりはわからない。


唯、窓を開けていることで生まれる弊害は。


『…寒』


神無月も下旬。
秋から冬に移行し始めたこの時期の夜の雨は、薄着の肌に痛く染みる。

私は手に持っていた紅茶をリビングのローテーブルに置いてから、窓を閉めようと網戸に手をかけた時だった。


「―…、」


闇からするり、出てきたのは


『っ、だ…れ』


その暗闇の中でポツン、と佇む月のような男。
眩い銀色をした男。


「あァ、見つかってもォた」


くつくつ、小さく小さく喉で笑う。


「Trick or treat」


御伽噺から抜け出てきたような銀色の彼は、低く甘く囁いた。

その呪文を、私は知っている。


『…trick』


今まで闇一色だった夜に、急に月明かりが差し込んだ。
その月明かりの下で、彼は静かに微笑んだ。


「…ほな、今から君はボクのもの」


彼の白くて細い指が、私の顎を捉えた。
彼の甘い声は、trick( イタズラ )とは程遠くて、唯々甘いtreat( オカシ )のようだった。


10月31日、世間はハロウィーン。
悪霊に見つからないように、悪霊にさらわれないように。
穏便に平穏に、あの世とこの世の境目を閉じて。

お菓子をあげて、おもてなしをして。
悪霊に扮して、生者と死者の間をすり抜けて。

大変、大変。

独りきりの平凡な女の子は、闇のマントもつけずに晒し者。
だからね、ほら。

悪霊に捕まっちゃった。





「―…にしても、現世は良ォ冷える」


雨に打たれたのだろう。
銀色の細い髪から雫が滴る。


『上がって、タオル持ってくるから』


私は彼の冷たい手を引いて自分の家に招き入れる。


「良えの、一人暮らしの女の子が見ず知らずの男を部屋に連れ込んで」


クスクス至極楽しそうに笑う彼に、躊躇などは一切見受けられず。
定型文を台詞のように、口先だけで言っているのだとすぐにわかった。


『…私は、あなたのなんでしょう』


じゃァ、もう見ず知らずでも何でもないじゃない。
私の言葉に、彼はまた楽しそうに笑った。


「それもせやね、ほな遠慮なく」


闇の中から人工の光の下に出てきた彼は、やはり明るい銀色の髪が綺麗で。
そして何故か、真っ黒な袴を着ていた。


( 一体なんの仮装なんだろう? )


自身についた水滴を軽く払う彼を、改めて見てみる。
真っ黒な袴、足袋に草履。
純和風な格好の割に、銀髪という勇気いる髪色。

白すぎる肌は生気を感じさせないし、細身だけど必要な筋肉はしっかりついている。
見上げるような長身、袴姿でもわかるくらいスラリと伸びた手足。

日本人離れした背格好と純和風な服装が、アンバランスのようでそうでない。
甘くて、でもしょっぱい。
そんな今時のお菓子を想像させる。


『はい、どーぞ』
「おおきに」


タオルを渡すと、彼はそれを頭に被せて水気を絞る。

柔らかいクセのある方言は京都だろうか。
耳触りの良い喋り方が心地良い。


『…名前、なんていうの?』
「ボク?…ギン、市丸ギンや」


タオルの向こうで妖艶に微笑む彼に、心臓が静かに跳ねた。


『ギン…』


声に出してみると、言い慣れない発音に唇が違和感を覚えた。


『…変な名前』


思わず口をついて出た言葉は、かなり失礼なものだと認識したときには既に遅くて。
私の口からうっかり溢れ出てしまった言葉は、空気を伝導して彼の鼓膜を揺らした。

ごめんなさい、すぐ謝ろうと口先に用意した言葉は出て行かなかった。
酷く優しく、酷く悲しい顔で笑う彼が、慌てて眉尻を下げた私の瞳に映ったから。


『……ご、めんなさい…』


漸く絞り出した言葉に、彼は再び作ったような表情に戻った。


「あァ、別に良えよ。昔同じこと言う人が居ったのを思い出しただけやから」


なんでもない、そう自分に言い聞かせるような顔をしていた。
どうしてこの人は、こんなに窮屈そうに笑うのだろう。
自分でオーダーメイドした仮面が、いつの間にか小さくなってしまっていた。
そんな風に見えるのは、私の考えすぎだろうか。


『…それって、何の仮装なの?』


考えすぎは私の悪い癖、と思い切って話題を変えた。
彼、市丸ギンはきょとん、としてから可笑しそうに笑った。


「今日は現世やと万聖節前夜祭やし、そう思うのも当たり前やね」
『ばん…?』
「こっちではハロウィーン言うやつや」


へェ、ハロウィーンって"ばんせいせつ ぜんやさい"って言うんだ。
あとでググろう。


「…ボクのこれは、ハロウィーンの仮装やないよ」
『え、じゃぁ…なんでそんな格好してるの?寒くない?』


何も面白いことなんて言ってないのに、ギンはまた可笑しそうに笑った。
こういうとき、この人は子どもみたいに笑う。


「せやね、生身の人間やったら寒いかもしれへんね」


この人はさっきから、現世だの生身の人間だの、もしかしてアレか。
中学生でかかるあの病気がこじれたまま、大人になっちゃったタイプの人か。

しかしどうやら違うらしい。
彼は私の知っている"気配"とは違う。目を閉じれば何処にいるかくらいは分かるその"気配"。
ギンのそれは、知っているものよりもずっと大きくて重い。


「君、霊力あるんやね」
『れい、りょく…』


言葉は知っていれど、日常生活でおおよそ耳にしない言葉。


「君が今ボクを感じる気配は、霊圧いうねや」
『れいあつ…』


知らない専門用語が鼓膜に違和感だけを残して通り過ぎていく。


「ちなみに、ボクは死神や」
『死神…』


ここにきて、初めてよく聞く単語が漸く鼓膜に引っかかった。


『想像と、違う…』


脳内のイメージは、骸骨に大きな鎌、黒いマントを被った姿。
それがどうだろう。目の前の自称死神様は黒い格好以外は全てイメージとかけ離れている。


「…万聖節前夜祭は、あの世とこの世を隔てる扉が開いて、二つの世界が繋がる日や」
『それは聞いたことある。ハロウィーンは日本でいうお盆みたいなものだって』


私の少ない知識の片隅で、埃を被っていた内容は文字が掠れて読みづらかっらけれど。
ギンは私の掠れた記憶に、その通りと頷いてくれた。


「ボク等も普段はあっち側に居るんやけど、今日はこっちの魂魄が騒がしい言うて応援にきてん」


あっちだのこっちだの言われて自分の現在地が分からなくなったあたりで、ギンは少し困ったように笑った。


「まァ、難しい話は良えか。君にはまだ関係あらへんし」


関係ない、という言葉が痛く胸に突き刺さる。


「…折角やけど、ボクは色々調べなあかんことがあるさかい。もう行かな」
『え、』


それは、突然だった。
会話の流れの中で、何も隔てることなくゆったりと流れた時間が。
何の前触れもなく現れた壁によって、その全ての流れが止まった。

驚く程早くやってきた別れの時間。
闇の中から彼が出てきて、家に上がって、ほんの数分。

まだ何も、知らない。


彼の名前が、市丸ギンということ。
彼の名前を変だという人が、昔いたこと。

死神の存在、あちら側の世界。
ハロウィーンは万聖節前夜祭ということ、扉が開いて世界が繋がること。


…足りない、何もかも。


『ま、だ…行かないで』


彼の黒い裾を握る。
孤独に塗りつぶされた部屋は、まだ灰色にすらなっていない。
無機質なアールグレイは冷え切って香りも封じられた。

闇に差し込む一筋の銀は、より一層孤独を色濃くしただけだった。


『ねェ、死神なら魂の回収とかするんでしょ』
「それが仕事やしね」


私はキッチンまで走ると、引き出しを開けて包丁を手に取り手首に当てた。


『なら、今ここで私の魂を回収して』


ひやり、冷たい刃先の感触に血液さえも凍りそう。
すると一瞬ギンが完全に視界から消えた。

あァ、行っちゃった。

寂しさが孤独に食いつぶされそうになったとき、私の包丁を持つ手を掴まれた。


「アホなこと言いなや」
『っ、』


ギンの冷たくて大きな手が、私の手首を完全に掴んで離さない。
ギリッ、と少し強く握られた痛みで包丁を床に落としてしまった。


『なんで…どうして?良いじゃない、持って帰る魂一つ増えるくらい。たった一つでも荷物なの?邪魔なの?ねぇ…お願い。一人に…しないで…』


一人きりの部屋、孤独な部屋に響く雨音。
想像するだけで胸が張り裂けそうで、目頭が痛くなる。

両親はずっと昔に離婚した。
どちらも愛人がいて、離婚と同時に新しい家庭を持った。

…二人の新しい人生に、私は存在しないものとなった。

どちらも私を引き取らない代わりに、家と生活するのに困らない金額を提示された。
あァ、これが私の命の値段なんだ、と。
ゼロを数えてみたりした。ゼロが多くても、嬉しくはなかった。

値段がつけられる程度の命なんだ、と。
悲しくて息もできなかった。


『誰の人生にも必要とされない、値段のついた私の命なんて、私だっていらない!』


気が付けば大粒の涙が頬を転がり、床に落ちて小さく跳ねた。


「あかん、君の命はもうボクのや。ボクのものに勝手せんといて」
『っ…』


ボクのもの、ギンの低い声が甘く響いて、遠くに聞こえる雨音さえも消し去った。


『だ、って……私なんて、誰も必要としない…』


甘いtreatは大嫌い。
いつしか消えてなくなって。
全部夢だったと思わせるから。

食べる前よりも食べたあとの方が、より恋しくさせるから。


醒める前に気がつかなくちゃ。甘いtreatは全部ゆめ。


「今までの君が、どない思いをしてきたか。ボクが知らへん」


床に崩れるように座った私を、ギンが優しく包んでくれた。
濡れた袴は冷たくて、ギンの体温も冷たいのに。
なぜか暖かく感じたのは、ギンの声のせい。


「せやけど、ボクとこうして出会うて、ボクに悪戯を求めた」


甘い声が脳内で再生される。



「Trick or treat」




ハロウィーンにだけ通じる呪文。


「君は、どこで何をしていてもボクのものや」


ギンの細い指が、出会ったときと同じように私の顎を掴んだ。
強制的に上を向かせられるこの行為は、酷く妖艶に感じてしまう。


「ボクにはまだ、力も居場所も権威もない」


口先僅か五センチの距離で、ギンは呟くように言った。


「一端の平死神に、できることは少ない」


死神に平とかあるんだ、なんて。
冷静に考えてしまうのは、この近すぎる距離に動揺しているからだと思う。


「…不思議やね」


クスクス、と吐息だけで笑うギンを怪訝に思い、動かせる範囲で顔を動かしギンを見遣る。


「出会うてまだ数分やのに、ボクは君のことを知りとォて仕方ない」
『…本当?』


疑るような私の疑問に、ギンは頷いてみせる。


「君は子どもみたいに素直に疑問をぶつけ、現実離れした話も受け入れる。おまけに知らん男も受け入れるけど」


最後のは余計、とわざとらしく頬を膨らませる。
それに対してギンは楽しそうに笑うだけ。


「せやけど、ボクはそれだけしか知らへん。君の名前すら、知らへんのに」


再び真面目な声色で、ギン更に近づいた。
唇の熱さえ感じられるほど近い距離に、心臓が耳にあるみたいに煩く聞こえる。


「ボクはもう、君に夢中や」
『―…っ』


ぐい、と持ち上げられた顎。
強制的に動かされたせいで、脳がついていけないまま。
私はギンに唇を奪われた。

冷たい冷たい唇。
でも、漏れる吐息は熱くて。あァ、生きている。なんて思った。


ゼロがいくつも並んだ預金通帳よりも、たった一度のキスがこんなにも嬉しい。


『ッ私の名前は―…』
「しィー。……それは今聞きとォない」



唇を離してすぐ、名前を告げようとした私を遮るギンの吐息に近い声。


「あと一年待ってや。ボクが必ず迎えにくる」
『いちねん…』


長いようで短く、短いようで長い時間を告げられた。


『一年後に死ねってこと?』


冗談めかしたように笑うと、ギンはもっと妖艶に笑った。


「ボク以外の見ず知らずの男を、家に上げられたらたまらへん」
『上げないよ』


そんな尻軽じゃない、と言っても。実際に面識のないギンをすんなり上げたのは事実だから説得力はない。


「キスの続きは、また一年後やね」
『…来年はキスなんてしてあげない』


ふん、と最後の最後で意地が邪魔する。
けれどこんな素直じゃない言葉を、ギンは受け入れてくれるから。邪魔な意地さえも愛おしい。


「ほな、またね」


ギンは私の額に唇を当てると、一瞬で姿を消した。

…夢だったのではないか、と思うこともあった。
でも、湿ったタオルと床に転がったままの包丁がギンの存在を示していた。


『…早く、迎えに来てね』


タオルを拾い上げると、ギンの香りがした。










―ピンポー…ン…


『はぁい』


ガチャリ、扉を開けると。


「とりっく おあ とりーとォ!」


同じマンションに住む子どもたちが、それぞれ仮装をして。
拙い発音で呪文を唱える。


『あら、じゃァお菓子をあげるから悪戯しないでくださいな』


子どもたちが持つカゴに、飴を一つずる入れてあげた。
ありがとう、と元気いっぱいお礼を言った子どもたちは次の家へと移っていった。



「Trick or treat」




まだ耳の奥に残る、甘い声。
あれから一年。今日は約束の日。

…勿論、唯の口約束。
彼に約束を守る義務はない。

私は唯、彼が残した約束に勝手にしがみついて、この一年を生きただけ。
彼が来なければ、私はしがみつくものもなくなる。


結局、ゼロが沢山ついただけの命に存在価値はないということ。
金額が高いだけの命は誰も欲しがらない。


何組かの子どもたちが来て、玄関先に置いてあるお菓子はどんどん減っていく。
それと同時に、今日が終わっていく。

気が付けば、午後十一時五十分。
あと十分で約束の一年は終わる。

もう、インターホンもならない。
玄関先の飴は残り三つ。


あの日、ギンに渡したタオルを手に取る。
何度も洗ったし、何度も使った。けれど、ギンの匂いが染み付いているかのように、このタオルだけ洗剤の香りがしない。

そして、あの日と同じようにアールグレイをカップに注ぐ。
この世界で唯一好きなもの。

ベルガモットの香りが鼻腔に広がる。
今年は曇天。雨は降っていない。

アールグレイを一口啜り、私はキッチンに出しておいた包丁の刃を手首に充てがう。
この世界にさようならを伝える人はいない。遺す言葉もない。


午後十一時五十九分。

…約束の時間まであと一分。
シンデレラはこんな気持ちだったのだろうか。

魔法が解ける、その瞬間まで。
夢を見ていたのだろうか。


―…午前0時。

ハロウィーンが終わった。
さようなら、私の人生。

さようなら、私の体。


どうせなら、今日は雨であって欲しかった。
暗くて重いだけの灰色の空なんて、人生の閉幕にふさわしくない。



『さようなら』


孤独色した、私の部屋に
お別れを。






「―…迎えにきたで」


ふわり、上昇した意識の端でずっと聞きたかった声が聞こえた。


『ギン、遅いよ』
「ご免な。せやけど、これでずっと一緒や」


目を開ければ、そこは私の部屋じゃなかった。
草原の広がる、見たことのない景色。

そこに佇むのは、黒い袴に…、白い羽織を羽織った銀色の君。
はためく羽織の裏は藍白。


『ここは?』
「…ここは、尸魂界。いつしか話した、あちら側の世界。魂魄の行き着く先」
『じゃァ、私は―…』


最後まで言う前に、ギンの細い指が私の唇に当てられた。


「皆まで言う必要ない。約束通り、ボクは君を迎えにきた」


微笑むギンは、一年前に見たときと同じ優しい顔をしていた。


「君は霊力が強いから死神の素質あると違う?」
『違う?と聞かれましても。私にはわからないよ』
「死神になり。それでボクと一緒に仕事しよ」
『うん…、じゃあ色々教えてね。こちら側の世界の新人なんだから、いきなり死神の話されても追いつけないよ』


ギンらしからぬ、飛ばした話し方に思わず微笑む。
きっと彼なりに、一年話したかったことが多くて。
こうして約束を果たして、再開できたことで。積もる話はダムが決壊したように溢れ出す。


「せやね。ほなボクも教えて欲しいんやけど」
『?何を』
「厭やね、忘れたん?」


ギンが私の顎を掴む。
この行為も、あの日と何も変わらない。


「会えたんやから、君の名前を教えて」


口先五センチ。あの日と同じ距離で、ギンの熱い吐息を感じる。


「あの日、君に名前を聞かへんかったのは。こうして君はここに来なかった場合、どうしようもなく切なくなると思うたからや」
『…ギン』
「甘いお菓子やて、そうやろ?食べる前よりも食べたあとの方が恋しくなるのと一緒や」


口の中で解ける甘味は、溶けきってもなお、口内を蝕む。


「…そない思いは避けたかってん」
『…そうだね、私も一年…寂しくてどうしようもなかったよ。ギンの名前しか知らない。もっと知りたくて仕方なかった』


口角を上げてギンを見上げる。
あなたがあの日私にくれたtrickは、私の魂の束縛。
あなたがくれたtreatは、甘いあなたの名前。


『私は、みょうじなまえ』
「なまえちゃん」
『うん、改めてよろしくね。ギン』
「あァ、せや。ボクこの一年で隊長になってん」
『隊長?』
「うん、一年やけど話したいことは掃いて捨てるほどあるんよ」


せやから、と付け足された言葉に添えられた手。
大きくも細い手が伸ばされ、私はためらうことなくその手を握った。

あの日、私の部屋に引き入れたときとは逆だなぁ、なんて。
ギンの手の感触を、手のひらに溶けるほど焼き付けた。

もう二度と、この手を離したくない。
もう二度と、この手に離されたくない。


『…もう、離れないでね』


語尾が弱くなる私に、ギンは弱々しく笑った。
仮面のような笑顔で、隠しきれないギンの秘密が見えたような気がした。

約束は果たした。
迎えに来てくれた。

でも、これから先ずっと一緒に、という約束はしてくれないのね。





ギンは優しいから、きっと。
嘘はつかない。



曇天のハロウィーン、
果たした約束、

繋いだ手、溶ける温もり。




この手はいつか離される。
悟った今日は、霜月。

空は嘘みたいに晴れていた。








曇った約束

16 10/31






 

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