無敵のひかり。







濃紺の世界では

息もできないから。

だから私の世界に、ひかりをください。

さえ居れば、私は無敵になれるから。











緩やかな下り坂を、風を追いかけて下っていく。

追い越した分の風は、頬を切り裂くように冷たく、思わずマフラーに顔をうずめた。



『ねぇ、真子』
「何や」
『寒い』
「それは我儘言うねや」


息を吸うたび、冷たい空気が嫌というほど体内に入ってくるから、必然と口数も少なくなる。


「自転車漕いどる俺ン方が寒いに決まってるやろ」


得意の、イッと歯をむくやる気のない表情。
私は彼、真子の漕ぐ自転車の荷台に、横向きに座っている。
前方から降りかかる冷風のほとんどは、前にいる真子にぶつかって横に流れていく。


『でも、真子は動いてる。私は動いてない。この運動量の差は大きい』
「相変わらず口だけは達者やのォ。そんなん言うんやったらお前漕ぎ―…『い・や』…ほんなら黙って乗ってろ」


真子が言い切る前に拒否の言葉を発せば、真子は溜息を吐いてまた小言を言う。


「大体、なんで俺がこない真夜中にお前を乗せて自転車漕がなあかんか、分かっとるんか」
『…初詣に行くから』
「せや、世の中は年越しやー言うて、おもろい番組仰山やってるで」


俺はそれが見たいのに。
そう文句をぶつぶつ言いながらも、漕ぐスピードは変わらない。


「毎っっ年楽しみにしとるそれを、お前の、『今年は年明けの前に家出る気分』っちゅう我儘に付き合わされて我慢せなアカンねん。多少寒くても我慢しィや」
『気分は気分だったの、文句あるの』
「阿呆、文句しかあらへんわ」


そう言うと、真子はまた溜息を吐いて静かになった。



私たちの関係は、当てはめるとするならば『幼馴染』というやつ。
家が隣同士で、マイホーム買ったのも同じ時期で、引っ越してきた日にちも一緒で、互いの両親の年齢も同じで、同じスポーツをやっていて趣味が似ていて、互いの子どもが同じ年齢だと言うなら、それはもう諦めなければいけないくらい、幼馴染としての条件が揃っていて。


自分が自分である、という認識を得る前に私は彼を「まこっちゃん」と呼び、真子は私を「なまえ」と呼んでいた。






「ひらこ しんじ、や」


訛りのある少しおどけた声。


『みょうじ…なまえです』


差し出された手を反射的に握る。
手の大きさは、さほど変わらない。


「おれの字ィはな、"まこと"ってかくんやて。おれ、まだかけへんけどな」
『まこと…?』
「せやで、ほんとう、とかそういうイミやてオカンが言うてた」
『ふうん…なら―…』



あなたは"まこっちゃん"、だね。






なぜ、私が真子と呼ぶようになったか、今でも鮮明に覚えている。

あれは、今日みたいに寒くて雪が降りそうで、当たりも真っ暗になった頃。
ランドセルを背負ったばかりあの頃の私たちにとって、暗闇は何よりも怖かった。



『ねぇ、こわいよ』


暗闇に沈んだ世界は、陽のあたっていた知っている世界とは打って変わって、すべてが知らないものに見えた。
月さえも覆い隠す分厚い雲。

灯りは所々にある、チカチカと頼りない街灯のみ。


僅かな月明かりでできた色濃い影、揺れる木々のざわめき、足元を撫でる草花。


濃紺と黒。


夜の世界の色は、それだけで十分だった。



震える私の斜め前には、彼がいた。


「何や、だらしないのォ」


まだまだ子どもの姿をした彼は、暗闇に怯えて震える私を、まるで自分よりも子どもを見るように笑った。
その笑顔は少しぎこちなかったけれど、それに気づいたらもっと不安になるような気がして、彼の笑顔を信じた。


『まこっちゃんは、こわくないの?』


微かに、声が震える。
何も触れないように、触れさせないように、体を小さくしたくて両手を胸の前で握った。


「おれに、こわいモンなんやあらへん」


ふんっと鼻を鳴らす彼も、本当は怖いはずなのに。
怖がる私の不安を、少しでも削ろうと強がってくれている優しさが、暖かかった。


「見てみィ、おれの頭。金色やろ?」


そう言われて、彼のまだ短かった髪を見つめた。


濃紺と黒だけだった世界に、金色が足された。
それはそれは、暗闇の中では眩しすぎて。


『ひかり、みたいだね』


不安が少し和らいだ。


「せやろ?」


得意げに微笑む彼の、まだ少し小さな手が私に伸ばされた。
胸の前で固く握っていた右手を、震える右手を、彼がそっと手にとった。


「ほら、こうしとったら少しはこわなくなるやろ?」


優しい体温が、私の怯える右手を包んだ。


重ねた手は
彼の手の方が、少しだけ大きかった。



『まこっちゃん、あったかいね』
「おれ、たいおん高いねん」
『なんだか、安心するね』


そう言って彼の手を握り返せば、二人の体温が溶け合って。
気がつけば、私の手の震えは止まっていた。


「…だいじょうぶや、おれがいてるやろ」


まだ不安がる私を宥める彼の声は優しかった。


『…うん』
「なんや、信じてへんな」


少しだけ唇を尖らせて拗ねる彼が、不覚にも可愛いと思った。


「しゃァない。まほうのじゅもん、おしえたる」
『じゅもん?』


きょとん、とする私に不敵に笑った彼。

―お前が怖なくなるおまじない。

口角を上げて笑うのは彼の癖。



「おれの名前、呼んでみ?」
『? まこっちゃん』
「ちゃうわ、アホ。名前や、名前」


彼の言葉に、初めて彼と会った日を思い出す。


脳内に再生されたのは、訛りのある少しおどけた口調。


『―…しんじ…』
「せや。もういっぺん」
『しんじ………ぁ』


言われた通りに、彼の名を繰り返す。
そして気づいた。

彼を見やれば、にやり、笑う姿。


「おれを信じや」
『うん…!』


今度は強く頷いた。


『ふふっ…でも、少しおやじギャグっぽいね』


そう言って笑えば


「よォやっとわらいよった」


安心したように微笑む彼は酷く大人びて見えた。


「これからは、なにか不安になったりまよったりしたらおれの名前よべば良え」
―おれだけは、なまえの味方や




彼の体温と、光のような髪と、魔法の呪文さえあれば。

何も見えない濃紺と黒の世界でも、無敵になれる気がした。



『…しんじっ』
「なんや」
『ありがとう』


そう言って笑えば、照れてすぐにそっぽを向く彼。


彼がいれば、何も怖くなかった。
無敵になれた、夜の世界。








幼く、綺麗な思い出に浸っていると、前から記憶の声よりも随分と低くなった声が聞こえた。


「何や、眠なってきたんか」


人をバカにしたように笑う真子。


「お前は昔から、夜更しが苦手やったからな」
『そんなことない』


頬を膨らませてむくれるけれど、前方しか見ていない真子は私の表情に気づかない。



私たちは、長い時間を共に過ごした。


春も夏も秋も冬も。
真子と一緒にすべての季節を見送り、すべての季節を迎えてきた。

良い年なのだから、ひとり暮らしをしてみれば。と、母親から勧められたこともあった。
面倒くさい。という理由で家を出なかったけれど、私の胸中の奥底には、私自身ですら気づかない他の理由があった。

でも、それに気づいてしまうのが面倒で、何よりも怖かったから気づかないふりをしてた。




――…ねぇ、いつから私のことを"お前"って、呼ぶようになったんだっけ。








中学生まではよかったの。
私も真子も、周りの友達もみんなみんな、子どもだったから。


高校に入ると、途端にモテ始めたのは、私ではなく。







「平子くぅん」

「平子っ」

「平ちゃん」





執拗に鼓膜を揺らすのは、甘ったるい声が紡ぐ彼の名前。






飄々とした態度。
でも、優しくて面白くて。

親しみ易く、話し易く、打ち解け易い。


そんな真子は瞬く間に人気者になり、彼の周りにはいつも人集りができていた。


元々人と関わることがそんなに得意ではなかった私は、群がる人ごみを避けるうちに、真子すらも避けるようになっていた。


口数も少ないし大した特技も趣味もなく、面白みもない人間だということは自分自身わかっていた。
だからこそ、そんな自分が真子の傍にいては、彼の株を下げるだけだということも理解していた。


そんな私が勝手にとった距離に気づいたのか、真子は私に必要以上に関わろうとしなかったし、話そうともしなかった。
幼馴染だということは公言していたけれど、周りからは仲良くないんだねー、と言われる程に、私たちの間には距離が出来てしまっていた。


彼が、同じ教室で、同じ空間で、それでいてとても遠いところで笑っているのを見るたびに思い出す。


幼い日の記憶を。
あの、無敵になれた夜の日を。

私は彼をまこっちゃんと呼び、彼は私をなまえと呼んでいた日々を。





しかし、それと同時に思い知る。


彼の傍で笑い、彼の名前を呼び、彼に名前を呼ばれるのは。
もう私ではないのだと。


嫌というほど痛感した、高校一年の夏。





それからどのくらいが経っただろうか。

お互い、別々の大学に進学し、別々の日々を送り。

彼は私の知らない、私のいないところで一日を過ごし、それを日常とし、私がいない世界に何も違和感を覚えることなく一つ、一つと年を重ねていくのだろう。




その事実を突きつけられたとき、酷く息苦しくて、悲しくて、寂しかった。


彼がいるのが日常だった。私の知っている世界だった。
彼が傍にいない世界は、金色を失った世界は、濃紺と黒。
それだけだった。
彼のいない夜に呑まれた世界では、私は誰よりも弱かった。




気がつけば、彼は遠い。
その距離に気づきたくなかった。

だって、呼吸の仕方も、忘れてしまいそうだから。






「―…ぃ、おいっ」
『…へ?』
「へ?やないわ、阿呆。二ケツで後ろで寝たら死ぬで、ほんまに」
『じゃあ、真子は殺人犯だね』
「お前は俺を犯罪者にしたいんか」


過去の記憶から、現実へと引き戻したのは彼の声。
別々の日々を送り、ひかりを失った、と嘆く私のもとに。


戻ってきたのは、オカッパ頭の青年。






「初詣、行くで」



大学一年の冬、元旦。
その日の朝に、真子は何事もなかったような顔をして突然私のもとに舞い戻った。



『ぇ…なんで』


彼を真子、と呼ぶことさえ躊躇われる見えない時間と距離。
それが彼にはないかの如く、呆ける私の右手を取った。



重なった手のひらは、
彼の方が断然大きくて。



「お前が気にしとった周りの目は、もうあらへんのや。何も気にせんと、俺の傍に居れば良え」
『なに、どういう―…』
「お前がまた一人で勝手に暗闇に迷い込むから、迎えに来てやってん。お前は俺が居てへんと、すぐ泣きよるからのォ」



すべてを見透かした、その言葉が胸を苦しいくらい締め付ける。

そう、真子がいない世界は濃く、重く、のしかかって。
呼吸もできないくらい。

苦しくて、悲しくて

寂しかったのよ。








以来、初詣は真子と一緒に行くようになり、ちょっとしたお出かけもするようになった。
私はまた彼を真子と呼ぶようになったけれど、彼が私をなまえと呼ぶ日は来なかった。

それでも十分だった。

濃紺と黒の世界に、ひかりが灯った。

それだけで世界は、私に優しい。






「ついたで」
『寒かった』
「お前はほんまに、ずっと文句しか言うてへんやんけ」
『おしるこ、飲もうよ』


全く噛み合わない会話。
それでも諦めたかのようにおしるこを配っている列に並ぶと、二人分のおしるこを持って私の元に戻ってくる真子。


年明けまで、あと三十分。
なんとなく、そわそわとしだす人々。


おしるこの湯気が暖かくて、誰かさんの体温を思い出す。


『ねェ、真子』


いつの間にか私よりも随分と高くなっていた肩。
見上げるように名前を呼べば、ん?とその眠たげな瞳に私を写す。


『あの日―…』
「あ――――――っ!!」


真子に向けた私の声は、大きな声によってかき消された。
その声のする方に目を向けると、そこには十数人の団体。


あ、嫌だ。


そう思ったのは、その団体が



「平子君じゃん、ひっさしぶりぃ!高校以来だねっ」



高校の時、図らずしも私たちに距離を与えた人たちだったから。


あっという間に真子はその団体に囲まれ、私は完全に蚊帳の外。
むしろ、私が真子と一緒にいた、という認識すら持たれていないかのようだった。


「ねえ、折角だから私たちと一緒に回ろうよ!」
「てか、また格好よくなったでしょー」
「つうか、金髪おかっぱって!奇抜すぎるわ!」


四方八方から飛んでくる言葉に、真子を口を挟む隙も与えてもらえず。
私はまるで癖になっているかのように、一歩、また一歩とその団体から距離をとっていく。

小柄な私は一瞬で人ごみに紛れ、真子は私を探して辺りを見回すが、団体の壁によりそれすらもろくにできず。

遠巻きに彼を見た。

派手に着飾る女の子たちのなかにいても、彼は見劣りしないほど端正な顔立ちで、それでいて独特な存在感を放っていた。



私は、私を探すことを諦めて、彼女たちと一緒に人ごみに紛れていく真子の姿を見たくなくて、真子に背を向けて駆け出した。
持っていたおしるこは、近くのゴミ箱に投げ入れた。


真子もおしるこもなくなった私は、唯々冷えていくばかり。



ああ、どうしてこんなにも
苦しいのだろう。



考えたところで、答えなんて簡単で。

唯そこに、ひかりがないだけで。
彼がいないだけで私の世界は色を失くし、濃紺と黒の世界に引きずり込まれて。

そこでは、呼吸の仕方を忘れてしまうの。





( ―…私のは真子が必要なんだ )





気づきたくなかった

気づいたら遅すぎた

呼吸ができない

苦しい、淋しい

君がいない。











―…周りが騒がしくなってきた。

携帯の画面を点灯させれば、浮かび上がる、23:59 の数字。
気の早い人が、「50秒前!」と声を上げる。




ああ、どうせなら。



君と年を越したかった。





脳裏に浮かぶは、金色の彼。



カウントダウンが30秒を切ったところで、カウントダウンに加勢する声も増えていく。



29、28、27…




「―…っ!!」
『……ぇ…?』




私を呼ぶ声がした気がして、振り返る。



やだ、何?、ちょっと!
カウントダウンの声に紛れて聞こえるのは、不満そうな声。
その声の中に、揺れる金色が見えた。


私のひかり。


金色が目に入った途端、私は思い出したかのように呼吸をし始めた。




「―…なまえ!!」


カウントダウンは10秒をきった。
一気に辺りが騒がしくなり、活気づく中で私を呼ぶ声だけははっきり聞こえた。
まるで私の耳が、その声だけを手探りで探していたかのように。

また、いつか呼ばれる日が来ること願ったの。
その甘く低い声で、幼い頃とは違う声で。
現在(イマ)の、貴方の声で、

私の名前を呼んで。




『…真子…っ』


私も負けずに彼を呼ぶ。
その声が届いたのか、人ごみを押しのけ、彼の瞳が私を捕えた。


―…7!……6!……5!


彼が手を伸ばす。
反射的に、吸い寄せられるように、私も手を伸ばす。




……4!……3!……2!



二人の指先が、重なった。

その指先を見失わないように、しっかりと絡め合う。



―――……1!!


Happy new year!!!





その場にいた人々の声が重なったとき、私は真子の温もり、真子の匂いに包まれていた。



『し、ししししし真子!?』


動揺する私を他所に、真子はきつく、きつく私を抱きしめる。
そして耳元で小さく、阿呆。と呟いた。



「もう、会えへんかと思ったわ」



そういう真子の声がとても切なくて、なんだか目頭がじーんと熱くなる。



「ほんま、お前はすぐ俺の前からいなくなりよる。そのせいで、俺がどんだけ要らん苦労したと思てんねや」


真子がおでこを、私のおでこにコツン、と当てた。
熱が、溶け合う。
真子のサラサラな前髪が、私の前髪と重なる。


『真子、あの人たちとお参り行ったんじゃないの?』
「お前、ほんまに良え加減にせェよ。なんでお前と来てんのにあいつらなんかとお参りせなアカンねん。アホちゃうか」
―俺は、なまえとが良えねん。


真子がいないと、呼吸もできないことに気づいてしまった。

真子がいないと、苦しくて、悲しくて、淋しいことにも気づいてしまった。


そんな後に、そんなこと言わないで。
期待、してしまうから。



ねェ、物心つく前からずっと傍にいて。
当たり前のように私の世界に在住してた。

あなたがいて、初めて私の世界に色とひかりが足されるのよ。


あなたの世界に、私はいた?
私のいるあなたの世界は、何色に染まるの?







――ねェ、




苦しいほど好きだと、


気づいてしまったの。







『―…っ!ぅ…』
「!? な、何やっ」



鼻の奥がツンとなったら、止められなかった。
目頭が熱くなって、生み出されるのは涙の粒。


堪えようと、すればするほど嗚咽が漏れてしまう。




ああ、もう遅すぎるかもしれない。


この想いを君に伝えるのは、きっと手遅れかもしれない。


君の中ではとっくに色褪せてしまったかもしれない、幼い日の記憶を再生しては。

君色に染まる世界で、無敵になれたことを素直に喜んでたの。




『ま、こっちゃ…は…っ』
「何や…」


酷く酷く、優しい声色で私の嗚咽混じりの言葉に反応する。



『ま、まこっちゃんは、わ、私のこと…っ、なんて、どうでも良いかも…知れ、ないっ…けど…!』


そこまでどうにか言い終え、一息ついて落ち着くまで待った。
一度だけ鼻をすすり、はあ、と溜息を落とす。


『でもね、なんでか知らないけど…っ、涙が出るのよ、まこっちゃんが居ないとっ…!』
息もできないくらい、苦しいの



言い切ると同時に、彼から離れた。
崩れてしまうかもしれない世界で、足場を確保するのは酷く難しい。

しかし、そんな私をもう一度引き戻そうとする大きな手。
右手首をしっかりと掴まれ、また、真子の匂いに包まれる。


そして、低い低い声で囁くの。


「阿呆、それは俺かて一緒や」


頬を真子の胸板に押し付けた状態では、その表情を確認することはできないけれど。
声色が、真剣さを物語っていた。

こんなの知らない。
おどけた調子のいつもの声が、嘘みたいに。

低く甘く、痺れるような真子の声。


「どうでも良えわけあるか、阿呆。お前が居てへんと、俺の世界は真っ暗になるやんけ」
―お前が俺のひかりやった。



そう、あの幼い日の記憶。
暗闇で泣き続けるお前を、唯々安心させたかった。




「あら、どうしたの?」
「なまえが…なまえがお邪魔してない?」


焦る声、上ずる声。
どよめき、ざわつき。


子どもの俺にでもわかった。
これは緊急事態や、と。


「なまえが帰ってこないの。真子君と遊びに行ってると思ったのだけれど…」


涙声。

ああ、こらアカン。大変や。



そう思った瞬間、勝手に足が駆け出しとった。

今頃、あいつは泣いとる。

闇が怖いと、泣いとる。

早よ、早よ。

あいつを見つけてあげなアカン。






俺らがよく遊びに行った、いつもの公園、帰り道、学校。
思いつくところすべてを探した。


せやけど、そのどこにもなまえがいてへんかった。


( どこ行ったんや…! )


息が弾む。
胸が苦しい。

せやけど、何よりも。


唯々、なまえが心配やった。



「…ハァ…もしかして…」


俺は、丘の上の小さな空き地に向かった。


あそこは暗なると足元が良ォ見えへんから、足元取られて転んだり、道が分からへんようなってまう。
頼りない街灯を頼りに、俺は空き地へと向かった。





『ッひっく…ぅう…』


茂みの中から、泣き声が聞こえた。

ああ、やっぱり泣いとった。



「―…なまえ…?」


そう茂みに向かって声をかける。


『ま、まこっちゃ…?』


不安げな声が震えとる。
俺は茂みをかき分け、小さく震えるなまえを見つけた。

ああ、ここにおったんか。



「お前はなんしてん」
『こ、ころんで…けがしちゃって…っ』


見ると、なまえの膝に真新しい擦り傷。


「そんくらいのことで、めそめそしなや。だらしないやっちゃな」


なまえが立ち上がったのを見て、空き地から出ようと反転した。
そこには唯、暗闇。

前も後ろも見えない、闇。

すべてを飲み込んだのは、濃紺と黒。



『ねぇ、こわいよ』


なまえが後ろで震えとった。
俺が、こいつを護らなアカン。

今、こいつが頼れるのは俺だけで、こいつを護れるのも、俺だけや。


「なんや、だらしないのォ」


俺は恐怖をしまいこんで笑った。
大丈夫や、俺がお前のひかりになる。





『しん…じ?』


急に黙った真子を見遣れば、細く笑む姿。


「いや、小ちゃい頃のこと、思い出してん。あの空き地でめそめそ泣いとったお前を」
『…覚えてるの?』


私が脳内で何度も再生した、無敵になれた夜のこと。


「当たり前やろ。お前がいなくなった言うて、大騒ぎやってんから」
『―…ねェ、真子』


さっき、真子を取り囲む軍団に邪魔されて聞けなかったけど。


『あの日、なんで私を迎えにきてくれたの?』


あなたにとって、私は何?


真子は少し考えてからゆっくりと薄い唇を動かした。


「―…お前が泣いとる思たら、いてもたってもいれへんようなって…気づいたら走り出しとった。俺が護らなアカンって」


そこで一旦言葉を切った真子は、驚くくらい優しく笑った。


「なんでやろな、お前がいてへんと、息が苦しくなんねん」
あの日も、そうやった。



ああ、良かった。


『私は…ちゃんと真子の世界にいるんだね』


君の世界で、私は生きているんだね。


「せやで。しゃァから、もう二度と。俺の世界から出ていこうなんてすんなや。高校のとき、どんだけ俺が辛かったか、お前知らへんやろ」
『え…』
「好きな女に避けられて、どうでも良えやつらに囲まれても、何も楽しないし、苦しゅうて敵わん」


そういうと真子は私の頬を冷たい大きな両手で包んだ。


「契約や。お前は俺の世界にいて、お前の世界には俺以外入れさせてやらん」
『しょ、しょれはどういう…』


頬を思い切り掴まれているため、タコみたいな顔でうまく話せない。


「何や、ここまで言うて分からんて。お前どんだけ鈍感やねん」


手は離さず、呆れたようにそっぽ向いて溜息をつく。


「良えか。俺はお前以外の女に"真子"と呼ばせたことなんや、あらへん。お前は俺のひかりで、俺はお前のひかりになりたいねん。あの夜の日みたァに真っ暗な世界はお断りや」


真子の真剣な瞳に、揺れ動くのはなんとも間抜けな顔をした私。


「お前がいてへんと、俺は息をするのも忘れてまいそうやねん。なんでか分かるか?」


真子の問いかけに、首を横に振る。


「ほんまに鈍感やな」


くつくつと喉で笑うと、ゆっくりと真子の唇が降りてきた。
微笑みながら、唇を掠めるギリギリの1ミリの距離で。







「なまえが好きや、て言うてんねん」









熱い吐息が唇にかかり、すぐに真子の冷たい唇が重なった。
暫く離れない温もりに、私もゆっくりと瞳を閉じて真子の体温を貪った。



ああ、真子さえいれば
私なもう、何も要らないのだと。


この想いは、まだ手遅れではなかったと。

溢れ出る安心感と、真子の匂いに包まれた。



やっと唇が離れ、今度は空気を貪った。
そんな私を見て、真子は可笑しそうに笑う。


そんな真子に、悪態の一つでも吐きたいけど。
まだ空気が足りないから。



真子がいない世界など要らない、と。


告げるのはもう少し待ってね。







例えどんな暗闇に呑まれても

--------------------
貴方といれば、どんな世界でも無敵になれる。


( 新年祝い )

14.01.01.00:00



 

[back]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -