キスの合図2






『ッハァ…ハァ…く…!』
「無駄だってこと、いい加減理解しろよ」


無情な言葉が、切っ先よりも痛い。
他の三つの装置は、なんとか無事だけれど。
此処で私がやられたら、結界が脆くなる。

ちらり、と横目で阿近さんを見遣ると、真剣に機械を操作する姿。
阿近さんだけが、希望なのだから。

私は、ぎゅっと刀を握り締めた。


「―…ふうん」


何かに勘付いたように、にやり。口角を上げた滅却師。


「お前、あの男の子とが余程大切なんだな」
『ッ…なんの、こと』


しまった、バレた。


「俺って性格悪いからさ。最高の悲劇、見たくなるんだよ」
『顔の豹柄といい、悪趣味』


くす、と唇の端で笑えば、滅却師の表情が歪んだ。


「あん?てめえ、口には気をつけろよ」


男が何か呟いて、それが合図のように私の躯は動かなくなった。


『な、に…何をしたの』
「てめえが、俺に与えられた力を聞かねぇから悪い」


私の躯は私の意志とは関係なしに、くるり、と反転させられ、敵に背中を見せた状態になった。
次の瞬間、

―ドシュッ

背中に激痛が走った。


『ッう、ああぁあぁあぁぁあ…!!』


血が咽を逆流してきて、堪らずそれを吐き出した。
一瞬何が起こったのか分からなかったけれど、滅却師の矢が背中に刺さったのだ・と、朦朧とする意識のなかで理解した。


「ッなまえ…?!」


私の叫び声を聞いてか、振り向いた阿近さん。
ああ、彼に情けない姿を…。

心配させないように微笑んで見せるけれど、それは先程よりも随分と力ないものだと、私自身気付いていた。


「ああ、やっぱ女の絶叫(スクリーム)はたまんねェなあ」


表情は見えないけれど、至極楽しそうにそう言う声が背中に張り付いた。


「悲劇はまだこれからだぜ?」


くつくつと喉で押し殺した笑いが、鼓膜を揺らして酷く気分が悪い。


『ッ今度は、何を…ッ』


私の両腕は斬魄刀を握りしめ、振りかざした。


『…ま、さか…』
「そのまさか、だ」


斬魄刀の切っ先にあるのは、結界を張るための装置。


「自ら守ってきたものを、傷つけるって悲劇だろ?」
『やめ、ろ…!わあぁああ…ッ』


無情にも降りおろされた斬魄刀。
残酷な音がして装置が壊れ、結界が歪んだ。


「お、だいぶ結界弱ったみたいだな」
まァ、こんな結界普通に壊せるけどな。


見下したように笑う声が聞こえる。
私の躯は滅却師が操っているせいで、泣き崩れることさえ許されない。


「まだ、傷つけるものは残ってるだろ?」


滅却師はそう言うと、私の肩を押した。
バランスを崩した私はそのまま結界の中へと入った。

そして一直線に歩かされる。
このまま進めば、そこにいるのは…


『阿こ、さ…逃げて…ッ』


情けなくて悔しくて、瞳から零れるのは涙ばかりで。
私が結界の中に入ってきたことを感知した阿近さんは、私を見据えた。


何時も、何かと頼ってきた斬魄刀。
自分の命、仲間、愛しい人。
護りたいものを護ってきた斬魄刀。
これほどまでに、斬魄刀の存在を恨んだことはない。
今すぐにでも、手を離して斬魄刀を棄ててしまいたい。

そんな私の心情を知ってか知らずか。


阿近さんは、
 唯優しく微笑んだ。



「ごめんな、なまえ」
結局護ってやれなかった

『阿近、さ……ッ』


私の腕は、躊躇いも無く振り下ろされた。



「く、ッははは!護るべき者を自らの手で殺す…なんて悲劇だ」


結界の外で高らかに笑う声が、意識の片隅で聞こえた…。










『ッう、ああぁあぁあぁぁあ…!!』


布を引き裂くような声が聞こえ、振り向けば血を吐くなまえの姿。
その背中には滅却師の物と思えし矢が刺さっていた。


「ッなまえ…?!」


名前を呼べば、気がついたようにアイツは微笑った。
こんなときでさえ、俺はお前に気を遣わせているのか。



『貴方は、失うものは山ほどある。でも、まだ失ってないでしょう』



ああ、まだ失っちゃいねぇ…



『護ってよ』



…お前だけは、護るって決めたんだ。


微笑んだなまえを見て、俺は唇をかみしめ、目の前の作業に集中した。
この期に及んで、俺らは黒崎一護を頼っている。
でも、今の俺らには尸魂界を託せるのはコイツしかいないと判っていた。


( くっそ、開かねぇ…! )


もう少し、というところで解除コードにエラーが発生する。
そんなときだった。
結界の内の一つが壊れ、歪んだ結界から誰かが侵入したのを感じ取った。
ゆっくりと振り向けば、そこに居たのは涙を浮かべたなまえの姿。


命が惜しくて縮こまっているのと、護るために戦うの、どちらのほうが苦しいか。
なまえはきっと、後者だと言うだろう。

でも、悪いな…なまえ。

護るために戦っても、護れないこともある。
護れなかった時の悔しさは、尋常じゃないことを、俺は知っていた。

だから、お前は今。
恐怖じゃない。不安でもない。
お前のその涙は、悔しくて、零れているんだろう?


「ごめんな、なまえ」
結局護ってやれなかった


戦わせて、悪かった。

なまえが俺の名前を呼んだ瞬間、斬魄刀が振り下ろされた……





「く、ッははは!護るべき者を自らの手で殺す…なんて悲劇だ」


結界の外から聞こえる耳触りな笑い声。
大方、俺がなまえに殺られたとでも思ってんだろうな。


「ナメられたもんだな」
「な、てめえ…!?」


にやり、口角を上げて笑えば相手の表情から余裕がなくなった。


「コイツは五席。俺は三席。殺られるわけ、ねえだろ」
「チッ…くそ」


俺はなまえの切っ先を避けて、鳩尾に思い切り拳を叩き込んだ。
自惚れかもしれないが、なまえが俺を想ってか。なまえが振り下ろすのを一瞬躊躇した。


「ッ阿近さん、こいつは俺らが止めます!」
「阿近さんは黒腔を、開いてください…!」
「お前ら…」


傷だらけの隊士たちが、滅却師の前に立ち塞がった。
俺は奴らの覚悟をしかと受け止め、装置に向き直った。
刹那。


―ドス、ドシュッ


「ぐ、ぅ…ッ!!」


激痛が背中から手足の先にまで広がる。
血を吐き出し、鉄の匂いが口内に広がって気持ちが悪い。

振り向けば、そこに先程の隊士たちはおらず。
不敵に笑う豹柄滅却師がナイフのような形をした矢と思わしき武器を手にしていた。

ああ、俺もなまえ同様、矢で射られたらしい。


「ッく、そ…開け…、開けよ…!
来い、黒崎…!!」


全てを懸けるように、俺は装置のボタンを押した。



ガシャン




硝子が割れるような音がして、目の前の空間が割れた。


「…ようやくか」


黒い破片が散らばる。


「悪ィな
本当はもっと早くに」
「こっちから開けてやりたかったんだが……………」





上手くいかねえもんだ





暗闇に映える橙色が見えた時。
安堵に近い感覚を覚え、俺はその場に崩れた。


『ッ阿近さあああん…!!』


ああ、なまえ…良かった、目、醒めたん…だな…。


俺の意識は、まるで映画が途中で終わるみたいに。
そこでぷつりと途絶えた。


お前だけは護りたかったんだが。

何もかも、上手くいかねえもんだな……。












暗闇から橙色が飛び出した。


「上手くいかねえもんだ」


そう呟いた阿近さんの名前を呼んだけれど、崩れ去る彼に声も腕も届かなかった。


『阿、こ…さ…』


ぼろぼろの躯を引きずって、阿近さんに近寄る。

黒崎一護がきた。
この成すがままのように流れていた戦も、収束が付き始めるだろう。


私たちを苦しめた滅却師の霊圧も消えた。
もう、大丈夫。

不思議と安堵感が私を緩く包む。

這って阿近さんの元に来たけれど、阿近さんの背中には幾つもの矢が刺さっていて。
なんとか上体だけでも起こして、阿近さんの体を揺する。
意識がない阿近さんは、どんなに呼びかけても返事をしてくれなくて。


『ッ…私の好きなところ、連れて行ってくれるって…約束、したのに…』


ぐすぐす、と。鼻水が出始める。
鼻の奥がツンとして目頭が熱くなる。
そして私の瞳からはぼろぼろと温かい雫が零れ落ちる。
鼻や顎を伝って落ちる雫は阿近さんの頬を濡らす。


「ッヒュー…なまえ……ッ」
『阿近さん…!』


掠れた声が、確かに私の名前を呼んだ。

阿近さんの血だらけの大きな手が、私の髪に触れた。
何度かそれを繰り返す。


ああ、キスの合図だ……


頭の片隅で理解しても、それは何処か遠くの出来事みたいに実感がわかなくて。
何故か、と聞かれたら、私の髪を撫でていた阿近さんの手が力尽きたように地面に落ちたからで。

もしかしたら、もう二度と。
この手が私の頬を包んで、甘くて苦いキスを降り注いでくれなくなるんじゃないかって。

ほんの数刻前まで当たり前だった日常が帰ってこなくなるなんて。
そんなの、信じられなくて、信じたくなくて。


目の前の事実を事実として受け止められるだけの覚悟はなかった。


『ッ阿近、さん…、阿近さん…阿近さん…!!』


溢れ出て止まることを知らない涙は私の頬を濡らし、道を作って地面に、阿近さんの頬に落ちて行く。


『嫌だよ、阿近さん…置いて、行くなんて…ッ』
許さないんだから…


欲しい玩具が手に入らなくて、駄々をこねるような子どものように。
母親に置いて行かれた広い部屋で、独りぼっちの子どもが泣きじゃくる様に。

私は唯泣いた。


『阿近さぁん……!!』





『何で涙って枯れないんですかね』


泣ける、と評判の映画を乱菊副隊長から借りて二人で観た、ある休日のことだった。
いつまでも涙が止まらない私を、少し呆れた様な目で見据える阿近さん。


「人体の約70%が水だからだろう」


常識だろ、とバカにするように笑う。


『じゃあ、阿近さんの人体には30%くらいしか水ないんじゃないですか?』


こんなに感動する映画なのに。
飄々と全く表情を崩さない阿近さんに、少し皮肉っぽく言えば。
返ってきたのは予想外の言葉だった。


「俺だって泣くさ」


私は何度か瞬きをして、阿近さんを見つめた。


「あ?なんだよ」
『いや、だって…阿近さんが泣くなんて、想像できなくて…』


お前は一体俺を何だと思ってる、とデコピンを喰らった。
痛い、と喚く私の目尻に、また少し涙が溜まる。


「まァ、お前の前じゃ泣かねえな」
『?どうしてよ』


ぐす、と鼻を啜る私の瞼に、阿近さんの少しカサついた唇が押し当てられた。


「俺が泣いたら、お前の涙を止める奴がいなくなるから」
『うっわぁ、キザー』
「てめえ、喰うぞ」
『ごめんなさい』


ツノの生えた阿近さんが言うと、シャレに聞こえないから怖い。
小さく笑いあえば、阿近さんの大きな手が、私の髪を撫でた。


「お前が泣かないことが一番だけどな」


阿近さんの掌が三度髪を撫でたところで、私はゆっくりと顔を上げた。


『もしも泣いたら?』


見上げた先には、穏やかに微笑む阿近さん。


「そのときは―…」







『阿近さん、私…泣いてるよ』


反応の返らない彼の姿に、私は嗚咽を漏らしながら呟く。


『ねぇ、涙…止めてよ…ッ』


涙で視界が歪む。


『ッ早く、キスしてよぉ…!』




「そのときは―…」



泣きやむまで、キスしてやるよ…







髪を三度撫でたら、上を向いて。
それは貴方がくれる、キスの合図。





彼の少しカサついた唇と、私の涙で濡れた唇が重なって。
そこから貴方のくれる愛情が流れ込んでくる。

貴方の吸う、少し苦くて甘い。
煙管の味のするキスで
私の涙は止まるのに。



暫くして、四番隊の人たちが駆けつけた。
怪我をした人達をどんどん担架に乗せて連れて行くけれど。
四番隊の隊士が阿近さんを見た時に、目を細めてぐっと下唇を噛み締めた。





貴方のくれるキスは

もう二度と触れることはないのだ・と、悟ってしまったらもう、涙は止まらなかった。





(さようならを言う事さえ、できなかった)
キスの合図2
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例え涙が枯れてしまっても、私は泣き続けるでしょう


(もう一度、貴方にキスして欲しいから)

13.03.05.02:09

 

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