キスの合図






「―…上手くいかねえもんだ」
『ッ阿近さあああん…!!』


崩れ落ちる彼に手を伸ばしたけれど、声も腕も届くことは無かった。






「おう、なまえ。調子はどうだ?」
『あ、阿近さん』


最近阿近さんが独自に開発している義魂丸の研究の助手を務めていた。
徹夜続きの私に、不健康そうな笑顔を向けるのは十二番隊三席の阿近さん。

私の、愛しい人。


「あんまり根つめてやるなよ」


お前が倒れたら、俺の仕事が増えるだろう?
という、なんとも阿近さんらしい冷たい言葉だけれど「心配だ」という風に聞こえるのはきっと私だけ。


『阿近さんの仕事増やすのもそそるけど。それよりも、減らす方が遣り甲斐がある』


そう言って意地悪く笑えば、阿近さんもふん、と鼻で笑って煙管を咥える。


「言うようになったじゃねェか」
『伊達に阿近さんの彼女やってませんから』


ふふん、とこちらも鼻で笑う。
阿近さんは、負けたよ。と子どもっぽく笑って私の頭を撫でた。


「明日の非番は、お前の好きなところに連れて行ってやるよ」


口角をあげる、意地悪な笑み。
でも、少し子どもっぽい無邪気な笑み。
二つが合わさって無敵の笑顔を私に向ける。


『本当?やったぁ』


万歳して喜べば、やっぱガキだな。なんて皮肉たっぷりの阿近さんの言葉。
それすらも愛おしくて。
阿近さんの腕にぶら下がる様にくっつけば、ふわり、煙管の香りを纏った掌が頭に置かれた。
髪の流れに沿うように、阿近さんの掌が髪を幾度か往復する。

阿近さんが、キスする合図。

私は阿近さんを見上げて、軽く目を伏せれば阿近さんの手が髪から頬に移動してきて。
大きな両手に顔を包まれ、そのまま唇を奪われた。

少し苦い、甘い香りのする煙管の味。
阿近さんが私にくれる、キスの味。


『―…ふへへ』


恥ずかしくて、堪え切れずに笑えば怪訝そうな顔をする阿近さん。


「照れ隠しなのは分かるが、その変な顔はどうにかならねェのか」
『ひっど、変じゃないもん』
「顔の筋肉緩みきってたぞ」
『う、ううるさい』


阿近さんのバーカ。
べぇ、と舌を出して言えば


「なんだ、舌絡めるぞ」


なんて、卑猥な脅しをされたので慌てて舌を引っ込めて頬を膨らませた。
そんな私を見て吹き出して笑う阿近さんは見た目よりもずっと子どもっぽく見えた。

こんな阿近さんを知っているのは、きっと私だけ。


『阿近さんだいすき』


そう言って阿近さんの細い腰に巻き付くように抱きつけば、それに応えるように阿近さんも私を包み込む。


「知ってるよ、阿呆」


そうやって幸せを噛み締めたのは、ほんの三刻前。





見えざる帝国が滅却師を率いて尸魂界にやってきたのは、幸せを噛み締めていたあのときから数えて三刻後。

それは嵐の如く、まるで太刀打ちできずに通り去っていく風のように。
大切なものも、命も、愛さえも。
全てを奪い去っていくような風だった。


技局にいると、あまりこうした戦争に参戦しない。
表だって戦に向かう隊士はどちらかと言うと十二番隊の隊士たちで。
阿近さんも十二番隊の三席ではあるけど、技局の局員としての立場を尊重することの方が多く、涅隊長、副隊長が居らっしゃらない時は基本的に阿近さんが局を仕切る。


『ッ阿近さん…!』


戦慣れしていない私が、縋る様に阿近さんの白衣の裾を握った。
振り向いた阿近さんは、今まで見たことのない、哀しい顔をしていた。

でも、子どものように怖がって縋る私を不安にさせまい・と、阿近さんは口元にだけ笑みを飾った。


「大丈夫だ、なまえ…お前は何としてでも護るから」


嫌だ、護るなんて言わないで。
まるで私の傍から離れて行くって言ってるみたい。


『阿近さん…』


寂しそうに、哀しそうに。
笑う彼の手を握ることしか、私には出来なかった。



戦火を切ったのは一瞬の出来事だった。
あちらこちらで大きな霊圧のぶつかり合い。


消えて行く霊圧は


 仲間たちのものばかりで―…



「くっそ…!」


手の出しようのない悔しさからか、珍しく戦局を見ていた阿近さんが机を激しく叩いて表情を歪ませた。


『阿近さん』


感情を露わにする阿近さんを見て、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
いつだって不敵な笑みで、余裕綽々としてるのに。

怒りと悔しさと、そして恐怖。
様々な負の感情から、強く握りしめた拳が震える。

その大きな拳に、そっと手を重ねた。


『大丈夫、大丈夫よ…もうすぐ、黒崎一護がきてくれる』


そうは言ったものの、黒崎一護は黒腔の中に閉じ込められて身動きができない状態。
こちらからは開ける術はない。
通伝刀を用意し、救世主到来を告げたものの、思わせぶりのような結果になってしまった…

そんなときだった。
此処、技術開発局までもが戦場に化した。


技局の壁が破壊され、ガラガラと崩れた壁の破片が落ち、空の光が差し込んだ隙間から見えたのは


「じ…じ丹坊!?」
「何やってんだ
てめえ!?」


困惑、混乱、恐怖、不安。
混沌とし出した技局。



「ま…待て…
ごァッ」
「聞こえないのか!?
じ丹坊!!」


技局にも流れだす鮮血。
咽返る様な、鉄の匂い。


『う、え…』


吐きそうになり、胃がせり上がる。
それをどうにか堪えて、肩で息をする。
涙目になっている私の背中を、大きな優しい手が摩った。


「大丈夫…とは、愚問だな」


それは何時もの阿近さんからは窺えないほど、弱々しい微笑みだった。


さらり、私の髪をひと撫でする。
まるでそれが最後、と言わんばかりに優しく、優しく。
涙が出そうになるくらい優しく私の髪を撫でた。


「くそっ…全員バックアップは取ってるな!?
退避しろ!!」
「ここは俺が封鎖する!」


普段の生活からはまるきり想像もできないほど、真剣な鵯州さんの声。
部屋ごと封鎖しようとしているらしい。


鵯州さんの真剣なまなざしがこちらに向けられた。
それは紛れもなく、阿近さんに向けたもの。

そんな阿近さんにも、退け、と叫ぶ鵯州さん。
躊躇する阿近さんに、鵯州さんは睨みつけるように言う。


「今てめえが居なくなったら…」
誰が技術開発局を仕切んだよ…


阿近さんを信じてるからこその一言。


「行くぞ、なまえ」
『はい、阿近さ―…』


阿近さんも覚悟を決めたように動こうとしたときだった。




―ドン



鈍い音が響いて私たちの足は止まった。


『そん、な…リン君…』


リン君が、鵯州さんの腹部に刃物を突き刺しているのが、見えた。
阿近さんの表情が変わった。


ギリッと、歯を食いしばり、拳を握りしめる阿近さん。


酷く冷静な阿近さんは、普段なら迷いもせずに仕事を取るけれど。
今、目の前に一つの命の灯が懸っている。

長年連れ添ってきた、相棒とも呼べるその人の命を目の前に、動けなくなった阿近さん。

どちらかを選べ、と言われて選べる人間がいるとするならば。
その人はきっと、人の心を持っていないのかもしれない。
それこそ、虚や破面のように。心の在るべきところに孔が空いているのだろう。
失うものは何もない、と主張するように。

でも―…


私は大きく手を振り上げた。
その次の瞬間、乾いた音と掌に広がる熱を持った痛み。


『貴方は、失うものは山ほどある。でも、まだ失ってないでしょう』


私は呆ける阿近さんの左頬を打った。


『護ってよ』


何時もの冷静な阿近さんなら、こんなときどうするか。
涙ながらに訴えれば、阿近さんは唇を噛み締め、もう一度鵯州さんを見つめた。

鵯州さんはなんとかリン君を突き飛ばしたようだった。


「友情や人情に動かされるほど、俺はまだ落ちぶれちゃいねェよ」
心配すんな。


まだ少しぎこちないけれど、不敵に笑った阿近さん。


「結界を張るぞ、付いてこいなまえ」
『はい…!』


私たちは駆け足で技局の廊下を進んだ。

鵯州さんの築いた道を、確保して補正し、確かなものにするのが、今の私たちにできること。


「良いかなまえ。どうせこんな即席の結界はすぐ破られちまう」


結界に必要な道具をかき集めながら、阿近さんは悔しそうに呟く。


「この結界でどうにか凌いでいるうちに、黒腔をこじ開けて黒崎一護を出す」


それが、俺たちに出来る最善策だ。


そう言った阿近さんに、私も力強く頷いて見せた。



動ける隊士たちで結界を設置し、全てを阿近さんに託すように彼らは結界から出て結界をはる道具を壊されないように戦いに出た。


『…阿近さん、よろしくね』
「ッ!?」


すっと立ち上がった私がそう言うと、阿近さんが勢いよく振り返った。
手が、足が、かたかた震える。
尋常じゃないくらい、汗が出る。緊張の所為か、心臓が耳にあるみたいに煩い。


「なまえ、お前まさか―…」


行くな、と表情で訴える阿近さんに、私は弱々しくも微笑って見せた。


『私にだって、失いたくないものがある』
それを護るために戦うのだから、止めないで。


結界の外に立つ局員の数は、半数にまで減っていた。
私が出たところで、微塵も役に立たないだろう。
でも、命が惜しくて縮こまるのと、護るために戦うの、どっちの方が苦しいか。怖いか。
貴方なら、分かってくれるでしょ?


強がって口角だけ上げて笑って見せたけれど。
阿近さんは、まるで泣きだす寸前の子どものように、縋るように私の手首を掴んだ。


『…阿近さん…、頼んだからね…』
「ッなまえ…!!」


私は阿近さんの手を思い切り振りはらって、走って結界の外に飛び出した。
結界の装置は四つ。

最初は一つの装置に付き三人以上で守っていたけれど、もう今は、一つの装置につき一人。
内、誰も守りについていない装置があった。
ほんの先程、守っていた人影が崩れ落ちたのを私は知っている。


私はほとんど握ったこともない斬魄刀を鞘から抜いた。
隊士たちが奮闘したおかげか、丹坊は倒れていた。

かたかたと、震える私に合わせて斬魄刀も震える。
そんな私の前に、滅却師の一人が立ちふさがった。


「俺は星十字騎士団、シャズ・ドミノ。与えられた力は―…」
『そんなこと、聞いてないわよ』


声が震えそうになる。
凄い霊圧。潰されそう。


「…見たところ、平隊士のようだが。お前に何が出来る?」


莫迦にしたように笑う滅却師。


『技術開発局局員兼十二番隊第五席のみょうじなまえよ』
「五席…か。副官補佐ですらないお前に、俺が倒せるとも思えんが」


判ってる。私じゃどうにもならないことくらい。
それでも、私は…


貴方を護るために
  戦う事を選んだの。



口角を上げて、少し意地悪っぽく。
でも目だけは無邪気でまるで子どものよう。

阿近さん、貴方の笑顔を真似て、私は笑いました。


『この装置は、壊させない』


斬魄刀を強く握りしめ、私は宙を蹴った。



(まだ、さようならを言う練習はしていない)
キスの合図
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幸せが崩れるのは、水が零れるのと同じくらい容易いもので。


(零れた水は、もう元には戻らないと知っていた)

13.03.04.23:11


(じ丹坊の"じ"の字がバグッてしまうので平仮名で申し訳ありません。)


 

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