それは酷く滑稽な戯曲で、3







もしもこれが、夢ならば。
これほどにまで醒めてほしいと願うことはないだろう。




―…いつからだろう、貴方の夢を見るようになったのは。



好きなひとがいる。
でも、手の届かないひとなのよ。
だったらせめて、夢にくらい出たい。


昔の人も、そうだったのでしょう?

人を想う力というのは、何よりも強いと聞くから。
私の想いも強ければ、きっとあの人の夢の中にも出ているはず。


でも、私の夢にも出てきたのよ。

夢の中での貴方は、何時もよりもずっとやさしく微笑っていてくれて。
貴方の隣が私だと、貴方は全身で言ってくれた。


あいしているよ。


貴方の少し弱々しくも、優しい声で。
そんな戯言を口走る。

少し照れた貴方の表情。
耳の先がほんのりと紅くなる。

貴方の私のこと、好きなでしょう
夢に出たい、と願うほどに。

ああでも…


コンナ 夢ハ 終ワラセナキャ

デモ、醒メナイデ。

止メナイデ。

モット、言ッテヨ。



あいしてるって―……



「―…やァ、どうしたんだい?」


優しさに狂気を纏った声が、聞こえた……


『ッ吉良……副、たいちょ……』


帯状の光から漏れる霊圧。
ああ、これ……貴方の―…


「苦しそうだね、みょうじ三席」


空からは、雨、雨。
重苦しい、霊圧、霊圧。


狂気、狂喜、狂気……


どうして、貴方はそんなに優シイ顔デ嗤ッテイルノ。


「ああ、可哀想に。君の綺麗な髪がすっかり濡れてしまっているね」


胡桃色の髪は雨に濡れ、幾つもの束になって頬や額にくっついている。
濡れたせいで、その色さえもくすんでしまっている。

そっと手を伸ばして、束の内の一つを指に巻き付けてみた。
そう、誰かさんのように。

でも、巻き付けた髪はふわりとも、さらりともしない。
冷たく降りしきる雨に染まり、胡桃色の影は見えない。
僕の指にねっとりと絡みつき、ああ、まるで蛇みたいだ・と、思ったのはここだけの話。


『どう、して…?』


日も沈み、曖昧な色はすっかり闇に染まって黒に塗り潰された世界で、唯彼女の肌だけが浮き彫りにされたように白かった。

君の美しい髪色も黒く染まり、死覇装の黒に取り込まれ、君の檜皮色の瞳と白い肌だけがこの世界で取り残された唯一の色だった。



「―…君が好きなんだ」



さらり、と舌を転がって宙に飛び出た言葉は、雨の轟音にかき消されることもなく君の鼓膜を揺らす。
雨音が、僕の言葉をそっと包み込む。

君の檜皮色の大きな瞳が更に見開かれ、黒の世界にほんの少しだけ色が広がった。


君の戯言は、夢の中でしか聞けない。
でも、僕が戯言を言う分には、夢でなくても良いだろう?

夢でないのなら、君の戯言など期待もしていない。




けれど、君の少し厚い唇が紡いだのは、望みもしない戯言だった。


『私も、すきです…』


雨にかき消されそうな、小さな、小さな戯言。


アレ、可笑シイナ。

コレハ、夢…?


『ずっと、吉良副隊長のこと、スキデシタ』


雨に冷えた君の血の気の引いた唇が、夢の続きの戯言を紡ぐ。
檜皮色の瞳が少しだけ細くなり、何処か優しげな表情を浮かべる。

夢と同じように、嬉しそうに微笑むんだ。

これも戯曲か、はたまた夢か。

君は一体どこの舞台で、何を演じ、僕をどうしたいのだろう。



『あいしてる』



君が戯言を吐いた瞬間、僕の中で何かが弾けた。

間違エタ。マダ僕ハ、夢ノ中ニイル。





くすり、血色の悪い唇から薄く吐息が漏れだした。
それは雨の中でもよく聞こえるほど、滑らかに、鮮やかに。


『吉良、副隊長?』


恐る恐る彼の顔を伺うけれど、六杖光牢の所為で対して身動きが取れない。
彼の不健康に白い肌は、長い前髪の所為で影が濃くなるばかり。
貴方の表情が、見えない。




「おはよう、みょうじ三席」

私の名を呼ぶ声が好きだった。


「雨に濡れなかったかい?手拭、用意しておいたよ」

小さな気遣いが、嬉しかった。


「どうしたんだい、顔色…悪いよ?」

心配そうな表情が好きだった。




『あいしてる』



私が紡いだ言葉が彼に届いたとき、彼は全てを諦めた様な瞳で私を見た。



―…雨は、止まない。時間の如く、流れる以外に道は無い。



時間は戻らない。
雨も、天には帰らない。


「―…これも、夢…か」
ははは…参ったな。


何時から、現実と夢の境界線がなくなったのだろう。
君の吐く戯言が、何時にも増して胸に突き刺さる。
痛くて、痛くて、突き刺さった言葉は抜けなくて。


コンナ夢ハ、終ワリにシナクチャ。



物語には、始まりがあって、終わりがある。

僕の戯曲は始まったしまった。
君が夢に出てきたあの日から。

だから、終わりもなくてはいけない。

今宵この戯曲は、フィナーレを迎える。


言っただろう?

例えばこの物語の幕を下ろすのに。
僕の手と、君の血と、雨の音が必要だとするならば。


僕ハ躊躇イモ無ク、君ヲ斬ル・ト。




―…時間は流れる、雨の如く。
雨は落ちる、時間の如く。


ああ、今宵。
何処かで戯曲の幕が下りる。


( せやから言うたやろ。厭な天気や・て )


雨に打たれる二つの影。
それを見守る、一つの影。

酷く滑稽な戯曲は、それはそれは愉快で哀しくて。
月が笑えば太陽が陰り、太陽が笑えば、雨が囁く。


さあさ、今宵も。
滑稽な戯曲の始まり、始まり。


胡桃色の髪が、好きやと思った。
明るく可愛いらしい笑顔が、好きやと思った。
柔らかな、花のような香りが、好きやと思った。

好きやと気付いた頃にはもう遅くて、戯曲は進む、無情にも進む。
それは時間の如く、雨の如く。


「なまえちゃん」
『はい?』


口角を柔らかく上げて弧を描く唇。
淡い桜色の頬は若干上がり、檜皮色の瞳は細くなる。
長い睫毛が頬に影を作り、胡桃色の髪を揺らして君が振り向く。


君の声に色を付けるとするなら、橙色で。
明るくも、温かみがある。そないな色の声で、ボクの名を呼ぶ。


なまえちゃんの心が欲しい・と、願った。
ボクの名を呼び、ボクだけを見て、ボクに愛の言葉を厭と言うほど囁いて。



せやけど君は、ボクの夢にすら出て来ィひん。

出てくるときは何時も、忌々しい金色が隣に居って。


ああ、ボクがもう少し身長低ければ良(ぇ)かったんか。
ボクの髪が銀やのォて、金やったら君はボクの方を向いてくれたんか。

ああ、ボクが三の字背負ってへんかったら……君は、ボクんこと好きになってくれたんやろか……


無いものを嘆いても、手に入るわけでも何かが変わるわけでもない。
ほな、どないしたら良えのやろか・と、考えたけど答えは酷く単純やった。


手に入らへんねやったら、最初から無かったことにすれば良え。


君が金色に微笑むたび、
君が金色に赤面するたび、

ボクの手に入らへんものやと判る。

せやけど、ボクを見て微笑むたび、
ボクの名前を呼ぶたび、

もしかしたら、という淡い期待が燻る。


君ヲ消シタイ。

消シタ無イ。


たった二つの感情やけど、大きくどす黒いものは複雑に混じり合って絡み合う。
ボクに、なまえちゃんは殺せへんかった。

なまえちゃんの存在が、曖昧な色になり始めた頃やった。




「イヅル、最近悪夢でも見てるん?目の下のクマ、酷なってんで」
「―…見てるか見てないかで言ったら、見てます」



ああ、君もこの戯曲に振り回される演者やったね。
ほな、そろそろ。この戯曲も終いにしようか。

だってせやろ?
なまえちゃんの吐く戯言も、君の吐く愛の囁きも。
夢から醒めれば全てが戯曲だと信じるしかなくて、枕も頬も濡らして、最悪な目覚めで朝日を浴びる。
そないな日常に、希望も何も見出せる筈がないんやから。


物語の終焉のためには、君の手と彼女の血が必要で。
それならば、と不敵に笑った君は斬魄刀片手に彼女の元へ。


彼女ガ捕マッタ……

ああ、こらあかん…。



戯曲のフィナーレは、すぐそこに。






醒めて欲しい夢などなかった。
君が出てくるんだ、悪夢な筈ないだろう。

君が優しい言葉をくれるんだ。
甘い果実のような台詞を囁くんだ。

これが悪夢だなんて、誰が信じるんだい?

だから僕は眠ることがいつしか楽しみになっていたんだ。


でもね、この夢と現実の差があまりにも辛くて、辛くて。
僕の心は耐えがたいと泣き叫ぶから、この雨のように、唯ひたすらに痛いと泣くものだから。
この戯曲を終わらせてあげなくちゃ・と、僕は思ったんだよ。

鉤状に変化した僕の斬魄刀を見て、君の黒目が少し小さくなる。


『待、って……なんで、どうして…』


困惑の表情を浮かべる君は、恐怖と言う衣を纏っている。
黒目は不安定に揺れ、焦点は定まらない。
血の気の引いた唇は更に色を失っていく。


「へぇ、そんな表情もするんだね」
なんて美しいんだろうか


知らない表情を、今度は僕自身で簡単に引きだすことが出来た。
死の淵に立たされた君は、いつもよりもずっと、美しい。


『なん、で…?私は、貴方をあいしているのに』


ああ、また戯言か。
早く早く早く早く早く早く早く早く
この夢から醒めなければ、戯曲は終わりにしなければ。


「ああ、僕も」


あいしているよ、なんて。反吐が出るね、綺麗な戯言に。


『じゃあ、なんで…こんなこと……ッ』


僕はにこり、と微笑んで。
これは夢だろう?
小さく呟いた。

君が目を丸くしたのなんか、まるで見えていないみたいに、ね。


『い、嫌…ッ…お願い、やめて。どうして?嫌だよ…お願い、助けて助けて』


助けて、と命乞いを連呼する君の首に、僕は侘助をかけた。
君の細すぎる首に、侘助は少し大きいけれど。


『ひッ…』


薄皮が切れて、ほんの少しだけ鮮血が溢れる。
ああ、黒の世界にひつつ色が増えたね。


『ッ嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌』
「煩いよ」


恐怖に歯をがちがちと鳴らしながら、拒絶する言葉を吐き続ける。

これが夢なら、大丈夫。

朝起きれば雨は嘘のように上がっていて、太陽がばつの悪そうな顔をして雲の切れ間から日を差し込む。

そんな太陽に負けじと、明るい笑顔できっと君は迎えてくれる。



『お願い、助けて、助けて…ッ』


必死に僕を視線だけで見遣るみょうじ三席。
すっかり恐怖に染まった、君のその表情も、僕は好きだよ。


くす、と唇の端からほんの少しだけ笑みを零す。
素敵だね、君のその恐怖に染まった血が流れ出れば、それと比例して君の命の灯は消えて行く。
僕が君の命を終わらせてあげるんだ。
こんなに素敵な戯曲が、他にあるかい?


『あいしてる、あいしてる』


彼女の唇から、大量生産された戯言。


『アイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテル』


ああ早く、


コンナ夢ハ、終ワラセナクチャ。



『助けて……』


戯言の合間に零れた言葉。
僕は静かに斬魄刀を握る手に力を込めた。


「命乞いなんか、するもんじゃァないよ」
『ッ嫌あああああぁぁぁぁぁああッッガッ』


刃が肉にめり込む音、骨を砕く音、そして雨とは違う液体が地面に落ちる音、ゴトン、と地面に落ちる音。


全てが連なって、メロディになった。
それは一瞬の出来事で、何もなかったかのように雨の轟音に消されて消えた。

このまま放っておけば、彼女の体は霊子化して瀞霊廷の一部になる。


僕の手についた返り血も全て雨が流してくれた。




「ひゃあ、派手にやったなァ…」
「ッい、ちまる…隊長…」


足音と胡散臭い声に振り向けば、至極楽しそうな銀色の髪。


「あーあ、これ…なまえちゃんちゃうの」


みょうじ三席だったものを見て、そいう言った。



「なして殺してしもたん…なまえちゃん…



    イヅルのこと好きやったのになァ……」

「ッ…!!」



衝撃が体を突き抜けて行った。
ああ、なんてことだ。
彼が此処にいるということは、これは夢ではなくて。

届かないと思っていた彼女は僕に手を差し伸べていて。

全てを知った時には何もかもが遅過ぎて。

彼女はもう二度と、僕に微笑んでくれないんだ・と、理解した頃には僕は空に向かって吠えていた。





あいしてる




それは戯言でも戯曲でもなんでもなくて。

それは愛の言葉でしかなくて。

それに気付けなかった僕は君を殺して、全てを失って。


今夜、戯曲の幕を下ろした黒の世界の夢を、きっと僕はこれからも夢に見続けるのだろう。


そこに何時もの君は居なくて。
黒に塗りつぶされた、僕に殺された姿でしかいないんだ。


それは僕の戯曲の終わりで、悪夢の始まりで。


僕は夢だと勘違いしていた。
夢と現実の境界線は確かにそこにあって、僕は確実に現実の側に立っていたのに、それに気付かずに君の笑顔を奪ってしまった。







演者は一人、拍手喝采を浴びて幕は下りる。
全てがすべて、何もかもが、そう、遅過ぎて。



君を失った虚無感と、君を手に入れた優越感で
僕は気が狂ってしまいそうだよ。



それは酷く滑稽な戯曲で、
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戯言ではなく、今なら言える


(君のことを、愛してた。)

13.03.03.01:01





 

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