それは酷く滑稽な戯曲で、2







灰色がかった雲は、その重みに耐えきれずに今にも泣きだしそうな表情をしていた。


( 一雨、くるかな )


空を仰げば誰もが思い、手元に傘が無い者はやってしまった、と眉を顰め、傘のある者は勝ち組だと口角を上げる。
空は灰色で、白い壁はなんとなく青白く見える。
壁の光が反射してなのか、視界が何処か青みがかって見える。そんな青い日。

泣きだしそうなのは、僕の心も同じだった。


『市丸たーいちょ』
「ああ、なまえちゃん。良えとこに来たわ」


僕の好きな胡桃色の長い髪を揺らして、君は隊首席に座る人物に微笑みかける。
微笑みかけられた人物は、これまた胡散臭い微笑みを彼女に返す。


『? 何か御用ですか?』


心なしか嬉しそうな君のその表情は、僕の心を酷く痛めつける。


「ああ、この書類ボクん代わりに配ってくれへん?」
『またそうやって雑用を…これ、御自分で回らなければいけないやつじゃないんですか?』


少し困ったような、呆れたような声色。
しかしの表情は声とは裏腹に少しだけ輝いて見える。


「いやァ、ボクはこの通り書類溜まっとるし監視されとるし…」
「それは、すぐサボる市丸隊長が悪いんです」


言い訳をつらつらと並べる隊長に、僕が溜息混じりに言っても、彼は少しも悪びれず、


「な?ボクが此処動いたらサボる可能性の方が高いねんもん」


イヅルのお墨付きやで、なんて言う始末。
悪い方に自信たっぷりの隊長に対し、もう。と可愛らしく頬を膨らませるみょうじ三席。
―…ああ、君のそういう表情も、嫌いじゃない。


『まァ、隊長命令だと思って行ってきますか』


はぁ、と溜息を吐くものの、君のそれがわざとだと判ってしまう。


「…雨が降りそうだから、早めに帰っておいで」


そう優しく言えば、彼女は表情を緩めて僕を見遣る。


『有難うございます、吉良副隊長は優しいんですね』


弾む声に、明るい笑顔。
君のその顔だけで、僕はきっと、荒れ狂う嵐の中も業火の中にも行けるだろう。

…なんてバカげたことを考えているうちに、彼女は行ってきます、と言葉だけをこの空間に残して隊首室を出た。



隊首室の大きな窓から外を見れば、先程よりも幾らか暗くなっていて。

もうすぐあの雲がどんどん重くなって空を低くして、火のついた子どものように泣き喚くのだ、と。
気象予報士でもない僕でもわかるくらい、空は曇っていた。


「ああ、厭な天気やね…」


自身の背後にある窓を見上げ、彼はそう呟いた。
彼の言葉がこのとき、何故か僕には重く聞こえた。

彼は普通に、雨が降りそうだという意味で言ったのかもしれない。
しかし、僕にはこのあと、厭な事が起こる。そういう予兆だと言っているように聞こえた。

僕の心臓がひときわ大きく脈を打つ。


ああ、もしかしたら。
今日のこの天気は、僕のこの気持ちを、洗い流してくれるかもしれない。


「―…イヅル」


低い声が、僕の意識を捕えた。


「はい」


振り向けば、そこには至極楽しそうな笑顔。
それは何処か子ども染みていて、それがやけに不気味だった。


「天気は気まぐれや」
それは、ボクよりも。


静かに言う隊長の声が、すんなりと脳に染み込む。


「…必ずしも、味方につくとは限らへんねや」


そう意味深に言う彼は、これから起こりうる全てを知っている様だった。


「良えか、イヅル。功を焦ったら………終いや」


隊長の声が、やけに大きく響いた気がした。


「―…しかし隊長……」
果報は寝てても、来ないんですよ―……


―…雨が、降り出した。



ああ、演者が他にもいたならば。

この酷く滑稽な戯曲の舞台に、僕以外の演者も立っていたのならば。

物語の終結は、違った方向へと向かったのだろうか。


―…外は雨が降っていた。





『ッ只今です』


慌てて隊首室に駆け込むと、そこには銀色の細い髪を靡かせた隊長がぽつり、大きな窓を背景に座っている姿があるだけだった。


「あらら、傘持って行かへんかったん?」
『傘忘れてしまって…それに、こんなに早く振って来るなんて』


予想していなくて、と弱々しく微笑む。
そんな私に市丸隊長は、天気は気まぐれやから・と意味深な言葉を投げかける。


『―…そう言えば、吉良副隊長の姿が見えませんね』


死覇装に付いていた水滴を軽く払って隊首室を見渡すが、そこにはいつもの優しい笑顔は無かった。
こんな雨の日には必ず、彼は手拭を持って待っていてくれるのだけど。


「ああ…彼、どないしたんやろね」
『?何処に行ったか、ご存知ないのですか?』



人間観察が趣味で、洞察力にも長けている市丸隊長が、吉良副隊長の行方が分からないなんて。
吉良副隊長も、行き先を告げずに隊首室を出るなんて、珍しいな…と思っていたが、手にある書類を思い出して私は慌てて隊首席の傍まで駆け寄った。


『あの、これ…吉良副隊長にお目通し願いたいんですけど…』
「ああ、ほな預かっとくさかいに」


市丸隊長の、大きく骨ばった手が私に差し出された。


『…失くしませんか?』
「えらい失礼やな。ボク、これでも隊長やで?」


渡すのを躊躇う私に、彼はそう冗談を言って笑う。


『では隊長様。宜しくお願い申し上げまする』


と、適当な日本語の羅列を隊長に投げかける。


「何や、可笑しな日本語使うなァ」


くつくつと笑う隊長の大きな手に、私も笑いながら書類を渡した。

…本当は私が自分で、渡したかったのだけれど。


「なまえちゃん、今…何考えてるか当ててあげようか」
『へ?』


あまりにも唐突な言葉に、間抜けな声が唇の隙間から漏れた。


「この書類、自分でイヅルに渡したかったんやろ」
『え…ッ』


なんでバレているの。
慌てて表情を作り変えるけれど、そんなことしてもこの人には無駄みたい。

まァ、仮面作りはプロなんだから、私のその場しのぎの仮面なんてすぐに剥がされてしまうけれど。


「なまえちゃん、イヅルんこと…好きやもんな」
『…なんで知って…ッ』


耳まで赤くなるのが、自分でもわかる。
この人の観察力には恐れ入ったとしか、言いようがない。
ひた隠しにして、誰にもバレていないと自負していたのに。


「あーあ。三番隊きってのべっぴんさんは、ボクやのうてイヅルやったなんて」


残念やわ。と、然程残念とは思えない表情と声色で言うものだから、思わず小さく微笑む。


『まァ、大概の美人さんは市丸隊長が好きですからね』
「ほんま、残念やわ…なまえちゃんのこの髪、好きやってんけどなァ」


と、隊長は私の下ろしたままの髪を一束指に巻き付けた。


「なまえちゃん、良ォ見ると肌も綺麗なんやね」


そして今度はその手を私の頬へと滑らせる。


『ふふ…有難うございます。でもダメですよ』


子どもの悪戯を制するように、私は彼の手を静かに退けた。


「残念」


お互いにくすくすと吐息を含む小さな笑いを漏らした。


怖い・非道・残虐・冷酷・気味の悪い人…
隊長に関する噂は、様々であるが、実際にこの人と関わったことのある人なら、それが唯の噂であることが分かる。
私も正直に言うとこの人が苦手だったが、いざ話してみればほら、こんなにも話しやすい。
今では冗談が言い合えるほど、この人との関係は至極良好。


『では、執務に戻りますね』
「ああ、ほなこれはイヅルに渡しとくさかい」


私は、宜しくお願いします、と軽く会釈をして隊首室を出た。

市丸隊長に触れられても、ドキドキしない。
市丸隊長とは、あんなにも自然に笑いあえるのに。

どうしてか、吉良副隊長を目の前にすると、笑顔を作るので精いっぱいになってしまう。

元々恋愛経験は豊富な方ではないけれど。
吉良副隊長と市丸隊長との態度の差は、きっと吉良副隊長を傷つけてしまっているな、と。
反省してもどうにもならないことの方が多いのよね。


私は空から零れる大粒の雨の所為で、端が少し濡れた渡り廊下を通って執務室へと向かった。



「―…ただいま戻りました」
「おかえり、イヅル」


隊首室には胡散臭い男と、良く知った甘い香り。


「何処行っててん」
「ああ、少し外の空気を吸いに…」


僕の言葉に、興味もなさそうに頷いて、彼は珍しく筆を走らせていた。


外の空気を吸いに。
それは確かに本当だった。

でも本当は、隊長と彼女の慣れ合いの場に居たくなかった。

窓から少しだけ見えた、彼女とのやり取り。

彼女の髪を愛おしそうに指でなぞって、彼女も嬉しそうに微笑む。

僕とは笑いながら下らない世間話なんてしないのに、市丸隊長にはあんなにも優しく笑って話す。
楽しそうにしている彼女と、市丸隊長。

何が悲しくて、僕はその場で息も涙も殺して泣かなければならないのだ。

だったら初めから、見ない方が良い。


しかし、見なければ見ないで胸がチリチリと焼け焦げるような錯覚を起こす。
こんなにも、君を想っているのに。
どうしてこんなに、君は遠いのか。


「イヅル、最近悪夢でも見てるん?
目の下のクマ、酷なってんで」
「ー…見てるか見てないかで言ったら、見てます」


目を覆い、耳を塞ぎたくなるような、願望と戯言だらけの悪夢を。


「イヅルが倒れたら、三番隊は機能せえへんねんで?」
「全く、市丸隊長が言えたことですか」


少し嫌味っぽく返せば、何故か楽しそうに笑う。


「せやけど、イヅルが倒れたらほんまにシャレにならへん。今日は早よ帰って寝とき?」
「お言葉ですが、まだ帰る訳には…」


帰れ、の言葉に、僕は焦って首を横に振った。
提出書類はまだたくさんある。
今日のノルマの3分の1ほどしか終わっていないのだ。


「あと二刻で就業時間も終わりやし、今日はボクもサボらんと、きちんとやるさかい。イヅルは帰って早よ寝?」


隊長命令や、の一言で、僕には頷き大人しく自室に帰るという選択肢しかなくなってしまった。

僕は分かりました、と渋々身支度を整えて、早々と隊首室を出た。


最近、悪夢でも見てるん?


ええ、見てますよ。
嫌という程に、ね。

…昔の人は、夢に出てくる異性は、自分のことが好きだから出てくるのだと言っていた。
ならば、君だって僕の事が好きな筈だろう?


何故、僕以外ノ男ニ笑イカケル?
何故、僕以外ノ男ト話シテイル?

僕ダケジャ 足リナイノ?

僕以外ヲ愛スル君ナンテ、僕ハモウ…


要ラナイヨ……



「―…面を上げろ・侘助……」




―…雨は、依然降り続く。




ああ、ほら。
厭な天気やわ。


ボクは誰もいなくなった隊主室の、大きな窓を打ちつける雨を見つめとった。
窓に当たる雫は、つるつると重力に従って下がっていく。
冷たい窓をなぞる様に、軽く手を付ける。
触れている指先の周りだけ、ボクの体温で白く曇る。


空は酷く重く、苦しそうに大粒の雨を吐き出している。


ああ、ほんまに厭な天気…


窓の外から覗いていた金色の髪。


君はなして、気付かれへんの?

彼女は何時だって、君を求めとるのに。

君は誰よりも彼女を見とるのに。


戯曲の演者は、自分だけや・て、思とる。

阿呆やなァ…
その戯曲を組み立てるのは、ボクで。
踊らされるのは君で。

そして、物語の幕を下ろすベルが、彼女やのに。


君は、一人で戯曲を演じとる気でいる。


ボクはくつくつ、と喉で笑いを押し殺す。

ボクが組み立てた、滑稽な戯曲で踊る君が

哀れで、愉快で、




悲しくて。




歪んだ愛を押し付ける結末を、ボクは知っているから。
その結末を描いているのも、ボクやから。


自分の思い描く通りに、物語は進む、進む。





「―…厭な天気や」




終焉がすぐそばに来ていることを、悲しい雨は否応なしに告げる。




―…雨は、止む気配を見せない。





( 酷くなる一方だなぁ… )


帰り道、薄暗くなった辺り。
こういう天気、時刻が一番嫌い。
全てを曖昧にする、この空気。

曖昧な色は、すぐに闇に取り込まれてしまう。


瞬歩を使えば、きっと数分で自室には着く。
でも、私は瞬歩苦手な方だし、そんなに乱用もできない。

どのみち、数分かかるのなら濡れてしまうのは確実だし。

傘を持たない私に残された選択肢など、無いに等しいもので。



こんなとき、吉良副隊長がいたらなァ。



優しい声色で、少し弱々しく眉尻を下げて微笑って。
傘、無いのかい?
なんて聞いてくれる。
僕の良ければ貸すよ、なんて優しい言葉に私は申し訳ないからって口実つけて、一緒の傘に入るんだ。


なんて妄想を繰り広げていても雨の勢いが止む・なんて奇跡は起きず。
ましてや、本当に吉良副隊長が現れるなんてことも無く。


溜息を一つ、忌々しい雨に向かって吐き出した。

ちらり、と隊首室に目を遣れば、そこには妖しく笑う市丸隊長の姿があった。


話せばいい人なんだけど、それでもやはり、拭えない気味悪さというものは残っていて。
それはきっと、彼が一歩、他人と距離をとっているのだろう・と最近理解した。



私はもう一度溜息を吐くと、えいっと一歩、降りしきる雨の中に足を踏み出した。
こんなところでぐだぐだと考えていても、何も変わりはしない。
だったら、濡れても良いから早く帰って、熱い湯に浸かろう。
そう考えて一度目の瞬歩を使った。

無理そうだったら瞬歩はやめて、走れば良いさ。

景色が視界の端に流れ、溶けて消えた。




―…肌に当たる雨は、酷く冷たい。




酷い雨だと言うのに、僕は傘もささずに隊舎の屋根の上に立っていた。

そのとき、雨の中走る彼女の姿を捕えた。
瞬歩は苦手なくせに、どうして濡れてまで帰るんだい?

もう少ししたら、僕が傘を持って現れる、とは。
考えもしなかったのかい?


結局君ハ、僕ノ事ナンテ眼中ニ無インダ。


君が僕にくれる優しさや戯言は、結局は夢の中でだけなんだろう?


ダッタラソンナ夢、消シテシマッテ

コンナ下ラナイ戯曲ハ、終ワリニ シナクチャネ。




言っただろう?

この戯曲を終わらせるためなら、僕は躊躇いなく君を斬ると。


この戯曲が終わることに
怯える僕は、もう居ない。


「―…雷鳴の馬車 糸車の間隙―…」
『…ッ!?』


…気付いたみたいだね。
まァ、君は三席だし…そのくらいの実力はあって当たり前か。

何せ、僕は霊圧を閉じてすらいないのだから。


「―…六に別つ…縛道の六十一・六杖光牢」
『ッな…!』


帯状の六つの光が、彼女の胴体に突き刺さった。
元々僕は四番隊出身だし…鬼道はそこそこ得意なんだよ。

なんて、自嘲気味に笑って見せたけれど、僕の姿をまだ捉えていない彼女に、僕のこの表情なんて見えていないんだけどね。

鬼道が得意で、尚且つ僕は副隊長で、詠唱破棄せずに放った僕の鬼道を、三席の彼女が解けるわけもなく。
手も足も出せない状態の彼女がパニック状態に陥るのは、目に見えていた。







さァ、始めようか。

この期に及んで演者はまだ、僕一人。











でも、この滑稽な戯曲は、フィナーレを迎える。






それは酷く滑稽な戯曲で、
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それは僕の手と、君の血で。


(幕を下ろす、準備は良いかい?)

13.03.01.01:25




 

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