臆病な鬼の恋物語











愛しているよ、こんなにも…


「なまえ」
『あ、阿近さん』


何時からだろう。
こんなにも君の唇が気になり初めたのは。

その唇に触れたいと、思うようになったのは。

その優しい瞳に、俺が写る瞬間が、堪らなく愛しい。


「これ、宜しく頼む」
『了解です』


俺の手から書類を受け取り、机に向かうなまえ。
たったこれだけのやり取り。
それが嬉しくて…

君のうなじを掠めた風が、俺に届く。
君の香りを運んで。

俺らしくも無い。
こんなに人を愛するなんて。





―…違う。
恐いんだ。




……先に昔話をしようか。
此処では永い時を過ごしてきたから、随分昔の事になるけれど。

蛆虫の巣から這い出てきてからの事だから、そうでも無いのか。



…時間なんて関係ないか。
幼いころはまだ良かった。
蛆虫の巣で無心に何かを弄っている時の方が、幸せだったのかも知れない。

あの頃の俺と、今の俺の違い。

それは、角があるか無いか。

たったそれだけで、人の人生は随分変わる。






俺には好きな女が居た。
これでも、人を愛した事はあるんだ。

蛆虫の巣から出て来た俺は、もう普通の死神だった。
俺の生き方を遮る物なんて、何も無かったんだから。

でも、人を愛した時に初めて気付いた。
普通の死神?
何を言っていたんだ、俺は。
俺は普通の死神じゃない。











俺は『鬼』だ。










本当に愛していた。
美しく、聡明な人だった。

…しかし、彼女は目が見えなかった。
虚との対戦時に、失明したらしい。
それでも、彼女は俺の傍で何時も笑いかけていてくれた。



ずっと傍に居てくれたんだ。


そんな普通の…いや、普通よりも少し幸せな日々を送っていた俺に訪れた、悲劇。


おれの額に角が生えた。
あまりの痛みと、驚きが俺の中を制し、何が起こったのかは理解できなかった。

鏡を見た時、其処に映ったのは角の生えた俺。

誰もが驚き、哀れみ、そして避けた。

唯一傍に居たのは、技局のメンバー。
元々、技局っつうのは、曲者が集まる。
今更、俺の額に角が生えようが何だろうが、大して気になる奴は居なかった。


そして、彼女も傍に居た。
俺に角が生えた事なんて、知らないから。
彼女は盲目。
見える筈が無いんだ。


彼女は変わらない笑顔で俺に微笑んでくれていた。



俺は彼女の目を治してやろうと、薬の開発に勤しんだ。
仕事の後にこっそりと作っていたから、永い時間がかかってしまったけれど、薬は完成した。

彼女はとても喜んでいた。

もう一度、太陽を見る事が出来る。
俺の顔が見れる。

そう楽しそうに、幸せそうに
笑ったんだ。

笑っていたのに…






薬を飲み、一時間程で視力が戻り始めた彼女。
完全に視力が戻った時、俺に笑い掛けてくれる所を想像していた。

何て浅はかだったのだろう。
俺の額に有る物は何だ?


鬼の象徴…



彼女は変わらず俺に笑いかけてくれると信じていたのに―…




薬を飲んでから一時間半。
彼女は数十年ぶりに光を取り戻した。


そんな彼女と、初めて目が合った。


泣きながら笑う?

有難う、と言って無く?

幸せな笑顔を見れるだろうか。

俺に抱きついて来るか?



そんなリアクションを予想していた。
しかし、返って来たのは、感謝の言葉でも無く、笑顔でも、涙ですら無かった。

返って来たのは…






「き…きゃああぁああッッ」






俺に対する拒否反応。








彼女は走り去り、残されたのは俺の体と、彼女に拒まれた恋心。

彼女の顔に有ったのは『憎悪』

今でもはっきりと覚えている。
彼女のあの表情。
俺の瞼の裏に、焼きついて離れない。

脳裏には、彼女の残像と恋心の欠片。
突き刺さっていて、抜こうとしても取れない。

痛い

痛い…

どうしてこんなに痛いんだ?


ああ…
彼女はもう二度と
俺に笑いかけてはくれない…



そう理解した俺は、近寄って来る女は適当に遊び、決して深入りしないように努めた。
実際、それは上手く行っていた。
彼女の様に、俺の心を揺さぶる女は居なかったし、遊べば満足する様な女ばかりだったから。

そうやって過ごしてきたんだ。

彼女がどうなったのか、俺は知らない。
知る必要も無い。
俺はそれを過去として受け止め、もう二度と、人を愛さないと決めたから。







なのに、一体俺はどうしてしまったのだろう。
胸を熱くする何かが、心を支配し始めた。




『新入隊士のみょうじなまえと申します。
慣れない事ばかりで、足手まといかもしれませんが、どうぞ、宜しくお願いします』





そう微笑んだ彼女、なまえの笑顔が、突き刺さったままの残像と重なった。
彼女に似ていた。
顔、という意味じゃない。
醸し出す雰囲気や仕草が、似ていた。
計らずしも、俺の過去を呼び覚ます程。

なまえを気になり始めたのは、単にそういった理由だった。

しかし、今では過去の残像なんか薄れる程、なまえ自身を愛しく思う様になってきた。
突き刺さった過去は、何時の間にか溶けて消えた。



名前を呼ぶと、胸が熱くなる。

微笑まれると、苦しくなる。

名前を呼ばれると、嬉しくなる。



でも、何よりも恐い。


また鬼だと…
憎悪を全面に出した様な表情をされるのが。
存在自体を拒否されるのが。


恐い。


俺にだって学習能力は有る。
これ以上踏み込まないよう、境界線を引く。
上司と部下。
唯それだけの関係。

なのになまえはそんな境界線、見えていないかの様に踏み越えて来る。

それ以上こっちに来ないでくれ。
じゃないと俺は、お前に近付いてしまう。

名前なんて呼ばないでくれ。
笑わないでくれ。

お前に惹かれてしまう。

傷つくのが恐い。

臆病者だと笑われるだろうか。

…それでも良い。

大切な人に拒まれるのが、どんなに苦しいか…
経験した事の無い奴には分からない。

孤独だろうか。
可哀相だと言うだろうか。

それでも良い…
それでも…

なまえの傍に…
なまえの笑顔を
一番近くで見れなくなるより、この関係の方がずっと良い。









『―…近さ…』


名前を呼ぶな。
それ以上近付くな。


『―阿…さ…』


止めてくれ。


『阿こ―…』


戻れなくなる…





『阿近さん!』
「…っ」


ハッと目を覚ます。
どうやら、何時の間にか眠っていたらしい。
目の前には、心配そうな表情で俺を見つめるなまえ。


「…どうかしたのか」


俺は溜息を吐いて、立ち上がった。
なまえは俺を見上げて、書類を渡した。


『……阿近さん、顔色悪いですよ』


俺は書類を受け取り、確認した。


「そんな事無ェよ。
ちょっと寝不足なだけだ」


パラパラと書類を捲る。
穴も無いし、直す所も無い。


『…阿近さん、今夜暇ですか?』
「あ?」
『暇ですよね?』
「…予定は無いな」


なまえは睨む様に俺に尋ねる。
何故そんな事を聞く?


『じゃあ今夜、阿近さんの家に行きますから』
「は?」
『では、書類配ってきます』
「お、おいなまえ―…」


なまえはその場から走り去った。
何故俺の家?


「……勘弁してくれ」



どうして距離を置いても置いても、アイツはどんどん踏みこんでくるのだ か。
そろそろ本当に引き返せなくなる。


愛する事が恐い。


恐いんだ…


お前なら平気なのか?





…お前にまで拒まれたら、俺はどうやって生きて行けば良いんだ…







―トントン…


「……本当に来たのか」


襖をあけると、其処にはなまえの姿。
ビニール袋を大量に持ち、微笑んでいる。


『勿論』


俺は溜息を吐いてなまえを上がらせた。
戻れなくなる、とか言って、此処で家にあげるんだから、俺は本当は学習能力が無いのかもしれない。

なまえはお邪魔します、と言って中に入った。
そして真っ先に台所へと向かう。
冷蔵庫や棚を開けて、溜息を吐く#名子。


『やっぱり空っぽ。
普段何を食べてるんですか』


腰に手を当てて、仁王立ちする。

普段…ねェ。
別に食べたい、とも思わねェしな…

そんな事を考えている俺み見兼ねたなまえは、少し頬を膨らませた。


『今日はご飯作りに来ました』
「飯?」
『阿近さん顔色悪いし、寝不足とか言ってたんで。
栄養の有るものを作りに来ました』


そういう事か。
…期待していた訳じゃ無いが、何と無く拍子抜けしてしまう。


「勝手にしろ」


素っ気ない俺を気にもせず、なまえは鼻歌交じりに料理を作り始めた。


しばらくして、良い匂いが充満し始めた。
自然と空腹感が俺を襲う。

なまえがお皿に料理を盛り付け、俺を呼んだ。


『出来たよ、阿近さん』


エプロン姿の名なまえに手招きされる。
何のプレイだ、これは。
俺は静かに席に着いた。
なまえも座り、微笑む。


『新婚さんみたいだね』


そうだな、なんて事は口が裂けても言えない。


「阿呆」


とだけ言って、ご飯を口に運ぶ。
久しぶりに食べたちゃんとした飯だからか、とても美味しく感じた。


『美味しい?』


そう聞いて来るなまえ。
俺は


「普通」


とだけ答えた。
なまえは頬を膨らませて、箸を取った。



『本当、素直じゃないんだから』
「俺は正直に生きているだけなんでな」
『あっそ』


黙々と飯を食べる。
少し素っ気なかったか?

いや、でも…

はァ…

何だこの罪悪感。
境界線を踏み越えるなまえがいけない。
そう言い聞かせてはみるものの、どうにも拭えない罪悪感…


「美味いよ」


呟く様に食卓に落とす。


『え?』


驚き、目を見開くなまえ。


「もう言わない」


何処か嬉しそうな表情を浮かべるなまえを前に、俺は箸を進める。
どうにも調子が狂う。

俺をかき乱して、笑う。

そんなお前が

どうしようも無く

憎くて、愛しい。



夕飯も終わり、食器を洗うなまえ。
本当に新婚みたいだ、と思いながらも、気にする素振りを一切見せない。

飯は上手かった。
お世辞では無く、本当に上手かった。
久しぶりに腹も満たされ、満足のいく食事を摂れた。
それは紛れもなくなまえのお陰なのだが…


正直、早く帰って欲しい。

気持ち的にキツイ。

好きな奴が目の前に居る。
夜・密室・二人きり


こんな条件が揃っていて、下心を全く出さないのは、骨が折れる。
もう二度と同じ過ちを繰り返さない様に、俺は素っ気ない態度を取る以外に方法が見つからない。


人は不器用だと笑うかもしれない。


しかし、俺は臆病で、小心者だから、これくらいしか方法が見つからないんだ。
自分が傷付くのは嫌だ。
あんなに胸が押し潰される様な思いは、もう二度としたく無い。


でもそれ以上に、好きな奴にあんな顔をさせた俺自身が許せない。

俺は鬼だ。
愛す資格も、愛される資格も無い。
なのに調子に乗って、人を愛した。
愛されたいと願った。


俺が願わなければ…


彼女はあんな思い、しないで済んだのかもしれない。
俺を憎い、気持ち悪い、と思わなかった。
こんな奴と…
鬼と今まで一緒に居た自分が、許せなくなってしまうかもしれない。

俺が望んだ。

俺が悪い。

傷付いたから何だ。
傷付けた方だって、苦しい筈だ。

俺は鬼だ。
人を愛してはいけない。

俺は鬼なんだ。



―…なまえが水を止めた。
タオルで手を拭き、こっちに近付いて来る。

俺はなまえがそれ以上近付く前に、立ち上がった。


「送る」
『え…でも…』


俺は何も聞かず、さっさと部屋を出る。

外は雨だった。

何時の間にこんなに降っていたのだろう。

結構土砂降り。
視界も悪い…

なまえが慌てて追いかけて来る。


『雨が止むまで…
此処に居ちゃダメ?
あたし、傘持ってないんです』


そう上目遣いで頼むなまえ。
俺は玄関口に置いてある傘を投げる様に渡した。


「俺は濡れる。
お前はそれを使え」


なまえは困惑の表情を見せる。
それもそうだろう。
何時もよりも明らかに俺の態度が冷たいのだ。
自覚はしている。
俺だって、好きな奴にこんな態度取りたくない。

でも、俺は鬼なんだ。

愛する資格なんて、無い。

優しくするな。
優しさを受け入れるな。

俺は鬼。
誰も俺を、愛してくれはしない。

何も望むな。


頭の中で同じ言葉を繰り返す。

ダメなんだ。

ダメなんだ…







「…さっさと行くぞ」


俺は雨の中出て行った。
黒い浴衣に、雨が染みを作る。
浴衣は雨に濡れ、更に黒くなった。
重い浴衣が体にへばりつく。


『待って、待ってよ!
阿近さんッ』


土砂降りの中、なまえは渡した傘も差さずに追いかけて来る。
俺は歩く速度も緩めず、唯ひたすら前進する。
なまえの嗚咽が雨音に混じって溶けた。




『―…ッ好き…』




雨の轟音で、消えてしまえば良かったのに。
何故かその、小さくか細い声をしっかりと聞いてしまった俺。

心臓が大きく跳ねる。


『ッ好きだよ…阿近さん…』


その頬を濡らしているのは、雨なのか涙なのか。
唯泣きじゃくるその姿は、あまりにも幼くて。

雨に打たれて泣く姿を、抱き締めてやりたいのに。
恐怖心から、足が動かなくなる。


『阿近さんが好き…ッ
どんなに嫌だって言っても、好きなモンは好きなんです。
この気持ちを止める権利なんて、誰にも有りません…
勿論、阿近さんにだって有りません…!』


高ぶる感情に任せて吐いた言葉は、告白というには余りにも荒々しい言葉。
そんななまえの薄い唇から漏れた言葉。

囁くような
小さな願い。


















『お願い…
居なくならないで』









俺は、人を愛しても良いのだろうか。
もう一度、人を愛する喜びを味わっても良いのだろうか。

俺は…
俺にも、人を愛する資格は残っている?

俺はそっとなまえに近付き、人差し指を軽く曲げて涙を掬う様に拭った。
止め処なく溢れる涙は、指一本では足りない。

暖かい涙が、人差し指を伝う。

俺は腕の中になまえを収めた。
なまえは驚いて、腕の中で固まった。



…暖かい。



濡れた体は何時の間にか冷え切っていて、同じ様に濡れたなまえの体温でさえとても暖かく感じる。
この温もりを、俺は長い事忘れていた。


「……俺は鬼だぞ。
お前、目ェ見えてんのか」


俺は鬼。
それは忘れてはいけない事実。


「鬼に好きだなんて…お前、随分奇特だな?」


なまえはゆっくりと顔を上げた。
涙に濡れた瞳は、不安定に揺れている。






「…本当に俺が好きなら…


…もう少し奇特なままで居ろ」






そう言って微笑むと、なまえの瞳から、また涙が溢れた。


『阿近さんの傍に居れるなら、あたしずっと奇特で良い…ッ』


そう言ってなまえは俺の背中に腕を回した。
心が通い合い、温もりが体全体に染み渡る。


「俺はしつこいからな。
覚悟しとけよ」


そう言って、俺はなまえの唇にキスを落とした。
雨でぬれた俺の唇は、酷く冷たかった。


でも、なまえとのキスは
今までしたキスの中で一番温かかったのは、きっと気の所為じゃないと思う…。








鬼の俺でも、誰かを愛して良いだろうか。

彼女は許してくれるだろうか。

俺は最低な奴だ。

性懲りも無く、人を愛してしまった。

愛されたいと願ってしまった。

でも、コイツは受け入れてくれた。

俺は…






俺はもう一度、




コ イ ツ と 
恋 し て み よ う と
思 う ん で す 。









(阿近さんのツノって自分で作ったわけじゃないんですね)(お前の中の俺のイメージは何なんだよ)
臆病な鬼の恋物語
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雨雲が月さえも隠す夜


(初めてのキスを知ってるのは、夏の夜だけ)

11.07.13.19:00



 

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