忘却と虚無の中で
RRR......
電話のコール音が切れる。
ああ、また…君の声がボクを縛る。
《 私たちは今、電話に出ることができません 》
"私たち"は、君とボク。
君を失った今、ボクだけになった今。
"私たち"は姿を消して、"ボクだけ"になった。
《 用のある人は、電子音の後にメッセージを残してやァ 》
気怠そうなボクの声。
その隣で君が笑っとる。
ピー……
無機質な部屋に響く、単調な電子音。
留守電の声、早よ変えなあかん・て、分かっとる。
せやけど、君の声を聞く方法が他にはないから……。
《 ギン?居るんでしょう? 》
聴き慣れた声が、電話越しに聞こえる。
ボクを心配する、乱菊の声。
《 塞ぎこんでばかりじゃ、体に障るわよ 》
ボクに構わんといて。
《 たまには外に出なさいよ。吉良も心配してる 》
良えから、もう、放っといてや。
《 …また、電話するわ 》
乱菊のその声を最後に、電話が切れた。
音が無くなると、急にこの部屋が死んだように思える。
君という存在が、この部屋に息を吹き込み、ボクに世界を与えてくれた。
君を失えば、それは世界を失ったも同然で。
世界を失えば、ボクはどうやって呼吸をするのかも忘れ。
居なくなった君を探して彷徨う亡霊と化した。
君が姿を消すと、温もりを失ったかのように寂しくなる部屋。
日焼けした壁紙は、君との思い出。
撮り貯めしておいたドラマのDVDも、趣味の悪いカーテンも。
少し汚れたソファーも、君が好きだった紅茶の薫り、愛用のシャンプーの匂い。
そして、君の愛用していたCDコンポから流れる、君の好きな歌。
聴き飽きたんや、君の好きな歌。
なんだか甘ったるい愛を、軽い口調で寒々しく歌う。
『私、この歌大好きなんだよね』
君の趣味はたまに分からへん。
そう言って笑えば、少し頬を膨らませる君。
その頬をつつけば、少し照れたように笑って。
幸せには色も形も匂いもないけれど、それは確かにそこにあって、存在していて。
今は何もなくなった空虚な世界で、ボクは破けたビニール袋のように、風に吹かれてその空間を漂い、彷徨う。
破けた所から、君も、幸せも、香りも、全て抜け落ちてしもた。
汚れて、轢かれて、また破けて、それでも宙を舞う。
君が居なくなると、ボクは此処まで弱い存在になってまう。
RRR....RRR...
また、電話がなる。
君の声、まだ聴いていたいけれど。
前に進むためには、君の声を聴いてはいけない気がして。
ボクは立ちあがって、受話器を取った。
「―…もしもし」
《 あ、もしもし。吉良ですけど… 》
声だけでも分かる、ボクを心配しとる声。
《 松本さんと呑むに行くんですけど…市丸さんも一緒に―… 》
断られる、と思っとるのか、語尾が弱々しく消えていく。
もう、この彩りを失った世界で独りぼっちになるのは嫌やった。
結局ボクが弱いだけや。
臆病で、酷く弱い生き物。
君 な し で は 生 き て い け へ ん 。
「…何処で呑むん?」
受話器越しに、息を呑むような声が聞こえた。
ぱぁ、と明るくなるイヅルの表情が見えるようやった。
《 あ、えと、場所はですね…… 》
ボクはイヅルの話しを聴き終えると、電話を切った。
行かなあかん。
この部屋を出なあかん。
流れる音楽。
コンポの電源を切って。
電話の留守電も変えて。
この世界から、君の面影を消す時がきた。
忘却と虚無の中で
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何もかもを忘れ、虚無の中で生きよう。
(市丸さん、こういう系統の話しが多いなぁ)
12.08.26.12:54
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