不器用な舌打ち





好きだ・とか
そんな事言える男じゃねェ。

っつったらてめェは
唯笑うから。

調子が狂う。

泣かせたい訳じゃねェ。
笑ってくれ・だなんて、可笑しいだろ。



お前の笑顔が
本当は見たいくせに…


『グリムジョー様』
「あ?…チッ、なんだ…お前かよ」


十刃の自室に訪れたあたしは、そっと扉をノックする。
中から聞こえてきたのは、機嫌の悪そうな声。
まァ、何時もの事だけど。

第6十刃、グリムジョー・ジャガージャック様。
五人居た従属官も殺され、今、グリムジョー様はお一人の身…
あたしは、新たな従属官が決まるまでの間、彼の身の周りの世話をする様に頼まれていた。


『お茶が入りましたが…如何致しますか』
「要らねェよ、そんなもん」
『然様で御座いますか。では、失礼致します』


頭を下げて部屋を出て行く。
正直、グリムジョー様は好きでは無い。
あの好戦的な性格も、口の悪さも。
全てがあたしの理想から外れている。

…あたしの理想?
それは―…


「おい、何処へ行く。なまえ」
『ウルキオラ様…』


とぼとぼと歩くあたしの背中に掛けられた声。
振り返らずとも分かる、愛しき人の声。
あたしは彼、第4十刃、ウルキオラ・シファー様の従属官。
唯の片想いだけど…


「もう、グリムジョーの世話は終わっただろう」
『はい』
「そうか」


淡々とした会話だけが繰り返される。
唯それだけが、幸せ。
虚無を含んだ声が、低めの声が、憂いを帯びた瞳が。
全てがあたしの理想に適っている。


「では―…」
「おい、ウルキオラ」


ウルキオラ様が何かを言いかけたが、それを遮る様に響く下品な声。


「…何だ、何か用か。グリムジョー」


あたしの背後に立つ、大きな気配。
声も大きければ、背も高い。
ウルキオラ様の様に、存在自体が冷静で、静かで凛々しい方とは大違い。
あたしは顔を見るのも嫌で、振り返らずにウルキオラ様の表情だけを見つめていた。


「ああ、用が無けりゃ、てめェになんか話し掛けねェ」


口だけは達者な様だ、とでも言いたげな表情のウルキオラ様。
全く。用があるなら早く伝えれば良いのに。


「まァ、良い。コイツ、俺が貰うからよ」
『…は?』


いきなり首根っこを掴まれ、気が付いた時には担ぎ上げられていた。


『ちょ、何なさるんですか。グリムジョー様!』
「なまえを…お前に…?」
「ああ、そう言ってる。良いだろう?
お前は何にも執着しねェんだからよ」


当の本人は完全に蚊帳の外で。
勝手に進められていく会話に、あたしは目が回りそうになる。
あたしがグリムジョー様の従属官に?
そんなの、絶対に嫌。
でも、ウルキオラ様が行けと言うなら、従うしか無いのだけれど…


「何故欲しがる?
俺のお下がり等、欲しがるとは思えないが」
「あ?バカか、お前。
お前のモノだからこそ、奪ってやりてェんだよ」
「そうか…」


そうかって…
ウルキオラ様にとってのあたしは、結局その程度。
ウルキオラ様は従属官以上の感情は何も持ち合わせていないんだ…


「勝手にすれば良い
「おいおい、それだけかよ。
お前が珍しく従属官なんて連れてるから、もっと特別な存在かと思ったのによ」


…どうやらこの男、本当にそれだけの理由であたしを従属官に選んだらしい。
何処まで最低なんだ。と、心の中で蔑む。


「此処でお前と下らない乱闘を起こしても、意味が無いだろう。
藍染様に負担が掛かる」


カツカツと、靴音が遠ざかる。
ああ、ウルキオラ様が行ってしまう…
あたしはグリムジョー様に担がれている為、その姿は確認できないが。
音が遠ざかる度、胸がキリキリと痛む。


「ああ、そうかよ。藍染様、藍染様ってよ…
連れ戻したかったら、何時でも来いよ。
待ってるぜ」


そう言ってグリムジョー様も反転した。
視界にウルキオラ様の後姿が映る。



不意にウルキオラ様は立ち止まり、手を伸ばす。

…そんな妄想を描きながら、あたしは唯、遠ざかるウルキオラ様の姿と、グリムジョー様の体温を感じていた。





何時だって、彼は無理矢理で。
人の気持ちなんて考えないで…

---------------------




『う…うぅ…』
「……」
『う…グスッ…うぅう…』
「……ッ」
『ひっく…うぇ…ぅぅ…ズッ』
「ッ何だよ、煩ェな!泣くなッッ!!」


グリムジョー様に連れ去られ、あたしは嗚咽を漏らしていた。
そう、彼是二時間くらい。

まァ、グリムジョー様も良く此処まで耐えた、と褒めてやりたい所だけど。
生憎今はそんな心の余裕を持ち合わせていない。


「チッ…何で泣くんだ、煩ェなッ」
『…ッぐす…』
「いい加減泣き止め!命令だッッ」
『……ッッ』


そうだ、あたしは今さっきグリムジョー様の従属官になったのだ。
"命令"と言われたら、涙を止めるしかない。


「…はァ…何で泣き出すんだ。
さっぱり分からねェ」


ガリガリ、と頭を掻いて、大きく溜息を漏らすグリムジョー様。
何故泣くかって。
そんな事、言ってもきっと分かって貰えない。
愛しい人と離れ離れになり、居場所を奪われ、拒絶された。
こんなに辛いのに、泣くなという方が無理だと思う。


『…ッ』


と、思い出したらまた鼻の奥がツンとして、目がしらがじんわりと熱くなった。


「だから!泣くなッ!!」


怒声が響く。
冷静なウルキオラ様は、一度たりとも怒声等上げた事は無い。
そんなウルキオラ様の傍にずっと居たからか、その声の大きさに驚いて肩を震わせた。
あたしは必死に呼吸を整え、涙を引っ込めた。


『…ッ何で…あたし…なんですか…』


絞り出した声は、泣き過ぎた所為で少し枯れている。


「あ?さっきも言っただろう。
お前がウルキオラの従属官だからだ」


ぶっきらぼうにそう告げる。
唯それだけの為に、あたしはあの人の隣から引き摺り下ろされたというの…


『ひ、酷い…ッ
あたし…貴方の従属官になんかなりたくない!』


声を荒げてから気が付いた。
今、あたし…何て言った?
しかも仮にも十刃の彼に、敬語も使わずに…

恐る恐るグリムジョー様の表情を伺う。

視界で捕えたグリムジョー様の表情は…
微かに笑っていた…


「何だ、お前。それが素か」


す?巣?酢?
何、"す"って。


「余所余所しい態度とか、妙にウルキオラ染みた喋り方とかよォ…
ああいうの、本当に気に喰わねェ」


あたしの疑問を余所に、今までの態度を指摘された。


「今のお前が、本当のお前か」


口角を上げて笑う姿は、お世辞にも凛々しいとは言えないけれど、心を揺さぶる"何か"が有った。


「…で、お前は何で泣いてんだ?」


その質問に、あたしは視線を背けた。
言ったって仕方ない。
さっきそう思ったから。


「チッ
言えねェ様な内容なのかよ」


また、舌打ち。
本当にこの人は。
下品で嫌になる。


『下らない、と。仰ると思いますが』
「いちいち煩ェんだよ。
話せっつったら、話せ!」


大きな声に眉を顰めたが、これも命令、と自分に言い聞かせる様にして口を開いた。


『厚かましいながらも、ウルキオラ様に想いを寄せておりまして―…』
「もっと砕いて話せ!畏まるんじゃねェ」
『…ッだって、そうやって生きて来たんだもの!
今更変えられる訳無いでしょ―…あ…』
「変えられるじゃねェかよ」


はぁ…グリムジョー様と居ると、調子が狂う。
大体、普通従属官がこんな口利いたら、叱るでしょう。
何故、わざわざこういう接し方を求められるのか、あたしには理解できない。


「で、何だよ。ウルキオラが何だって?」
『ッだから!
ウルキオラ様が好きだって言ってるの!』


あたしの言葉に、グリムジョー様は正に絶句、と言った感じだった。
目を見開いて、あたしを疑う様な目で見て来る。


「う…ウルキオラが…好き?」


改めて聞かれると、顔が火照る。
あたしは唯黙って頷く事しか出来なかった。

馬鹿にされるだろうか。
呆れるだろうか。

まァ、この人に理解を求め様何て思わないけど。


「……はぁ…そいつぁ…悪かったな」


でも、彼の口から出て来たのは意外な言葉だった。


『え?』
「こんな真似しちまってよ」


こ、これはもしかして…
ウルキオラ様の元に帰れるチャンス?


『じゃ、じゃあ…
あたしをウルキオラ様の元に返してくれる!?』


一筋の希望の光。
しかし、それを飲み込むかの様に、グリムジョー様は笑った。


「お前の気持ちなんざ、知ったこっちゃねェよ。
お前は俺の従属官だ。俺が決めたんだ」
『…ッ』
「あ?何だ、また泣くのか」
『煩い!もう良い!
貴方の従属官では居るわッ
ウルキオラ様の最後の命令ですもの。
ただし、貴方の思い通りに動くと思わないで!』


色々な物が爆発した。
別に抑え込んでいるつもりは無かったけど。
グリムジョー様を相手にしていると、どうしても調子が狂う。
ウルキオラ様の冷静さの傍に居た所為か、グリムジョー様の熱い性格に中てられて、何時もの調子が出無い。


「く…ッククッはははっ…面白ェ…」
『え?』
「気に入った。
良いゼ、俺の思い通りに動かなくても。
傍に居ろ。それだけで愉しめそうだ」


突然の笑い声。
何がお気に召したのか。
さっぱり理解出来ないあたしを余所に、グリムジョー様は唯、腹を抱えて笑っていた。


『グリ様』
「はぁ…その呼び方、辞めろ」
『だって長いんだもの』


あたしの反論に、これ以上何を言ってもダメだと悟ったグリムジョー様は、舌打ちをして会話を終わらせた。
グリムジョー様の従属官になって、早一ヶ月。
『思い通りにならない』と、宣言した通り。
あたしはグリムジョー様に言われた事にとことん反発しまくっている。


「で、何の用だ?」
『お茶…だけど、どうせ要らないでしょう』
「チッ今日は呑む」
『そう。
持ってきてないけど』
「あ゛?!おちょくってンのか」


胸倉を掴みそうな勢いで、詰め寄るグリムジョー様。
あたしはぷいっとそっぽを向いて、口を尖らせた。


「チッもう良い、どっか行け」
『かしこ、畏まりました、かしこ』
「てめ…!」
『ばいばーい』


ふざけるあたしに怒り出しそうだった為、そそくさと部屋を出て扉を閉めた。
反発してはみるものの、十刃とそれ以下は、力の差が有り過ぎる。
でも、一ヶ月も傍にいるけれど…
怒鳴られる事は有っても手を出された事は一度も無い。


『そう考えると、結構良い奴なのかも』
「誰がだ?」
『きゃぁあッ』


突然耳元で声がして、驚いて振り返ってみる。
其処には相変わらず感情を露わにしない、愛しき人の姿。


『う…ウルキオラ様…』


胸がほわん、と暖かくなる。
ああ、どれだけ会いたかった事か…

…でも、何故ウルキオラ様がグリムジョー様の宮に?


『どうかなさったんですか?』


疑問をそのままぶつけてみる。
もしかして、あたしを取り戻しに来たのでは。
そんな淡い(いや、大分強烈な)期待を抱いて。


「藍染様の命令を伝えに来た」


それだけ呟く様に言うと、さっきまであたしが居た部屋に入って行った。
期待していた分、裏切られた感じが倍増の倍増って感じで…
どうにも遣る瀬無い気分になったあたしは一旦宮を出て散歩する事にした。


外は偽りの空が広がっていて、酷く眩しかった。
白で統一された城、部屋、死覇装…
心が休まる場所が無い。

しかし、自分の本性を自分で理解してきてからというもの、酷く心が安らぐ。
自分じゃない自分を見た様な、不思議な感覚に戸惑いながらも、何処か安心できて…
それもこれも、全部グリムジョー様の所為だと思うと少し腹立たしいけれど。

白い砂を踏み締めながら、何と無く城の周りを歩いていると


「なまえちゃんや無い、その後ろ姿は」


と、訛りの有る声が背後に飛びついた。


『……市丸…様』


振り返ると其処に有るのは、胡散臭い笑みを張り付けた長身の男。


「嫌やなァ、ギン・て呼んで言うてるやない」
『失礼致しました、ギン様』


何食わぬ顔で、あたしの隣を歩くギン様。
身長がグリムジョーとそう変わらない所為か、変に緊張する。
それに、この人は何を考えているのか分からない。
十刃からも妙に気味悪がられている。
東仙さんと違い、ギン様はどの立ち位置で、その位偉いのか分からない。
唯、藍染様の傍に居るという理由で、あたし達より立場は上なんだろう・と、その位の認識でしか無い。


「何や、雰囲気変わったなァ、なまえちゃん」
『そうでしょうか』
「前みたいなツンツンしたのが無くなっとる。
ウルキオラの傍から離れたからと違う?」


ドキン、と胸が鳴った。
それが、ウルキオラ様の名前を聞いた所為なのか。
それとも一瞬グリムジョー様の顔が浮かんだ所為なのか。
どちらとも付かないけれど。
曖昧な胸の高鳴りだけが、静かに響く。


「なまえちゃん、ウルキオラの事好きや無かった?」
『えっ』


冷や汗が出て来る。
何故バレた?


「嫌やねェ、見てれば分かるよ。
そないなん」
『今、口に出してない筈なんですけど…』
「ん?
ああ、唯の勘や」


ああ、本当に。
何を考えているのか分からない。


「でも、今は違うみたいやね」
『…え…違う…?』
「ああ、何と無く…な。
ちゃうの?」


質問の意味が分からない。
ウルキオラ様を好きでなければ、あたしは今、一体…?


「まだ好きって感情にまでは至ってへんみたいやね。
唯、君は今ウルキオラの事、好きや無いと思うで」


どういう事?
さっぱり意味が分からない…

『で、でも。
ウルキオラ様を見ると、心が温かくなるんですッ』


何で、こんなに必死に言い訳しているの?
何だか、まるで"他の誰か"を否定しているみたい。


「そら、好きや無くても温かくなる人かて、居るで?
友達とか家族みたいに、恋や無くても」


ギン様の言う事は、正しいかもしれない。
ホッと一息吐けるのは、恋人や好きな人の傍とは限らない。


「っちゅうか、むしろ恋人の前やったら逆に疲れるやろ」
『え?』


ギン様の意外な言葉に、目を丸くさせた。


「もっと好きになって欲しい。
振り向いて欲しい。
そう思て、自分を良く見せ様とするのが恋やないの。
それやったら、逆に自分見せられへんで疲れるだけやん」


そう言われてみれば、そうかもしれない。
ウルキオラ様の傍に居た頃は、ウルキオラ様の視線が気になって…
自分を出す事より、良く見られたい一心で。

あれ?
じゃあ、何でさっき有った時、ホッとしたの…?


「ほら、好きや無い」


ニタリ、と笑うギン様は、何処まで人の思考を呼んでいるのかと、怖くなる。
まるで全てを曝け出したみたいで…


「…ほな、そろそろ王子様が迎えに来る頃と違う?」
『王子様?』


ギン様が、細く白い人差し指を向けた。
その指先を辿ると、ある人影が視界に入る。


『ぐ…グリ様…』


其処に居たのは、明らかに不機嫌なオーラを醸し出すグリムジョー様。
何故、此処に?

そう問う間も無く、気が付けばあたしはまた担ぎ上げられていて、ギン様から遠ざかった。
遠ざかるギン様は、唯至極楽しそうに微笑んでいた。


『グリ様、どうして?』
「煩ェよ。
従属官が主人放って、何処行ってんだ」
『どっか行けって言ったの、誰よ』


チッと、何時も通り都合が悪くなると舌打ちをする。
ギン様の言い表し様の無い、底知れない気味の悪さに耐え難かったからか。
グリムジョー様が来てくれた事に、少しホッとした。
でも、ウルキオラ様に感じた温かさとはまた違う物で。

これは何だろう・と、考えれば考える程思考が絡まるので、考える事を放棄した。


『何で迎えになんか来たんですか?』


湯気の経つカップを差し出しながら聞いてみる。
勿論、飲み易い様に少し冷ましてから。


「煩ェつってんだろ」
『質問の答えになってません』
「チッ
煩ェな」
『もう慣れた、その"煩い"』


またチッと舌打ちして、差し出した珈琲カップに口を付ける。
ごくごくと喉を鳴らして飲み干していく。

ちなみに珈琲には角砂糖五個とミルクがたっぷりと入っている。
何故こうなったかって?
それは―…



『グリ様、お茶入ったけど』
「……珈琲」


何時もはお茶なんか飲まない癖に、今日に限って飲むなんて言うもんだから、驚いて目を見開いてしまった。
しかも、普段お茶を淹れないから、好みが分からなかった。

取り敢えず珈琲と言われたからには珈琲を淹れるしかないけれど。
でも、砂糖やミルクの割合が分からない。
取り敢えず見た目の偏見でブラック…

と、ブラック珈琲をそのまま渡した。

カップに口を付けた姿は、意外と様になっていて…
不覚にもドキッと来てしまった。


「ッッ苦!!」
『えッ』


ゲホゲホッと咽るグリムジョー様。
これは驚きだ。
まさか、ブラックが飲めないと?


「…ッ」


そんなあたしの気持ちを読み取ったのか、眉間に皺を寄せて無理矢理流し込む。
鼻を摘みそうな勢いで呑むグリムジョー様。
これは面白い物を見た。


「ゲホッ…良いか、飲めない訳じゃねェからな。
ブラックだって知らないで飲んだから、咽たんだ」


言い訳を並べるグリムジョー様。
その姿が少し可愛いとか、思ってしまう。


『…次からは甘くするから』


そう告げたが、グリムジョー様は唯黙ってカップを突き返してきただけだった。
本当、ぶっきらぼう。
と思いつつ、カップを受け取ったが、グリムジョー様の微かに見えた横顔が赤く染まっていたのに気が付いて、吹き出しそうになるのを必死でこらえた。



という事が有ったから。
以来、調節に調節を重ねて、この位の甘さが丁度良いと分かった。


『藍染様からのご報告、何だったの?』


お茶を片付けながら、そう問い掛ける。


「…何だって良いだろ」
『良くない。
あたしは誰かさんの従属官なんだから』
「チッ
どうせウルキオラが来たからだろ?
ウルキオラ、ウルキオラ…
お前、ウルキオラの事好きだもんな。
もう立派なストーカーじゃ―…ッッ!!」


バシンッと、乾いた音が響いた。
あたしの右手がビリビリと痺れて、熱を持つ。
グリ様のさっきまであたしを見つめていた瞳は、床を捕えていた。


「…ッ」


あたし、グリムジョー様の事、叩いたんだ。
だって、ウルキオラ様の名前を出すから。

…何で?
ウルキオラ様の名前を出されて、嫌な事なんて無いじゃない。


…―君は今ウルキオラの事、好きや無いと思うで…―


辞めて。
辞めて、辞めて。
あたしが好きなのはウルキオラ様だけ。
じゃあ、何でこんなに右手が痛いの?
何でこんなに…心が痛いの…


―バンッ


あたしは走ってその場から立ち去った。
頭の中がぐちゃぐちゃで。

ウルキオラ様が好き。
心が温かくなるもの。

―…好きや無くても温かくなる人かて、居るで?

グリムジョー様の傍に居ると、何時もの自分じゃ無いみたいで疲れるの。

―…恋人の前やったら逆に疲れるやろ

でも、グリムジョー様に良く見せようなんて思わない。
勝手にあたしの中の『本当のあたし』が出てきてしまうだけ。

―…そろそろ王子様が迎えに来る頃と違う?

違う、グリムジョー様の迎えなんて求めて無い。
唯、この纏わり付く気味悪さから逃れたかっただけ。

―…何や、雰囲気変わったなァ

……それは―…

―…ウルキオラの傍から離れたからと違う?

そしてグリムジョー様の傍に移ったから……





―…まだ好きって感情にまでは至ってへんみたいやね。




グリムジョー様が…?


『ああ…あたし…
グリ様の事が好きなんだ…』


何時だって無理矢理で。
力任せだから…
気付くのが遅くなった。

そう、唯それだけ。

本当はすぐ傍に有ったのに
力の裏に隠れて見えなかっただけ。


「……なまえ…か?
どうかしたのか」
『ウルキオラ様…』


背後でした声に、振り向く。
初めて見せたあたしも涙に、驚いて大きな目を見開くウルキオラ様。


「グリムジョーか?」
『……ッッ』


涙が溢れて来る。
違う、と言いかけた言葉を飲み込んだ。
涙の理由は分からないけれど、グリムジョー様が原因なのに変わりは無い。
でも、果たしてあたしに彼を責める権利は有るだろうか。


「……俺の所に…
戻ってくるか、なまえ」


ウルキオラ様の声が、乱れた心に染み渡る。
涙を流した分、乾いてしまった心を癒してくれる。

ウルキオラ様の傍に居ると安心する。
心が安らぐ。

戻りたい。ウルキオラ様の元に…
静かに、淡々とした毎日が良い。

グリムジョー様の傍に居ると、あたしがあたしじゃなくなる。
いちいち感情的になって、反発したり反論したり、怒ったり泣いたり…
……笑ったり……

感情を剥き出しにする事が、こんなに苦しいなんて…
だったら、あたし…
ウルキオラ様の傍に戻った方が良いのかもしれない。


『グリムジョー様の傍は、疲れます。
自分を良い様に見せようなんてしていないのに。
疲れるんです…』
「なまえ―…「なまえ!!」


響き渡った声は、もう聞き飽きた・と言って良い程の怒声。
全てを破壊する、あの人の声。
初めてあたしの名前を読んだ。


『グリ…様…』


肩で息をしているグリムジョー様。
あたしを、追って?
あたしが、貴方を叩いたから?
それとも…?



―…そろそろ王子様が迎えに来る頃と違う?



あの時と同じ。
不思議な安堵感が全身を包む。
ウルキオラ様とは、また違う。
もっと心をくすぐる様な…
言い表す事が出来ない、この感じ…


「ハァ…ハァ…ウルキオラ…
テメェ…ッ」
「グリムジョー、お前がなまえを泣かせたのか?」
「煩ェ!!」
「答えになってない」
「煩ェつってんだ!!」


そう叫んだグリムジョー様は、一瞬あたしの視界から消えて…
気が付けば、グリムジョー様の大きな腕の中に居た。
今日は担がないのね。
なんて冗談を言っている程、アットホームな雰囲気では無くて…


「…今すぐ、なまえを離せ」
「何でテメェに指図されなきゃいけねェんだよッ」
「なまえが泣いたからだ」
「煩ェ!
コイツは俺の従属官だッ」


グリムジョーはそう吐き捨てると、響転を使ったのか周りの景色が歪んで、視界の端に流れて行った。
そのままグリムジョーの部屋へと連れて行かれ、そっと床に下ろされた。
あんなに好戦的で、煩くて、下品な奴なのに、その行動だけがやたら紳士的で、調子が狂う。


『グリ様…』
「……ッお前、ウルキオラのトコに戻ンのかよ」


何時もよりずっと小さな声に、何だか目頭が熱くなる。
怒られた子供の様な、少し切ない表情の所為だ。


『あたしは…貴方の従属官なんでしょう?』
「お前が、俺の従属官が辛いなら…
もう、辞めてくれて構わねェ」


なんで、今日に限ってそんなに切ない声で喋るの。
本当にもう…調子が狂う。
何でそんなに自分勝手なの。


「俺は…お前に辛い顔させる為に、従属官にさせた訳じゃねェ」
『ウルキオラ様の所有物だからでしょ』


自分で言った言葉に、胸がチクン、と痛む。


「……それは…チッ」


出た、都合が悪くなった時の癖。
自分で言ったじゃない。
ウルキオラ様の従属官が珍しいから、奪ったんだって。
今更都合が悪くなる事なんて、無いじゃない。


『ウルキオラ様を敵視して、ウルキオラ様の弱みを握りたくて、あたしを従属官にしたんでしょう?
今更、何が都合悪いの?
どうして急にウルキオラ様の元に戻れだなんて―…』
「煩ェ!!
俺はお前が好きなんだよッ!!」
『……え…』


煩いって何よ。
それが告白する態度?
喧嘩売ってる訳じゃないんだし。

…言いたい事は山程あるのに、全部、乾いた喉に張り付いて出て来ない。

グリムジョー様が、あたしを…?
嘘だ、こんなの…


『嘘…よ』
「嘘じゃねェ」
『だって…だったら…何で…』
「言っただろうが。
お前に辛い顔、させたくねェんだって…」


好き?
何でウルキオラ様の元に帰れだなんて…
あたしがグリムジョー様の傍に居るのが辛い?
どうして?

『あたしがあたしじゃなくなる』

『感情を剥き出しにする事が、こんなに苦しい』


…あたしはそんなに、辛い顔をしていたの?
確かに今、心は痛い。
締め付けられるように苦しい。

でも、これは違う…
違うけど…


「戻れよ…
命令だ…」
『…ッ』


命令…
そんなに、傍に置いておきたくないの?
あたし、そんなに辛い顔をしていた?


『……分かりました…』


拳をぎゅっと握り締めて、あたしは震える脚を踏み出した。
一歩一歩進む度、心が潰れそうになる。
目頭が熱い。
鼻の奥がツンとして痛い…

グリムジョー様の横を通った。
長身に、端正な顔立ち。
鍛えられた体も、グリムジョー様の香りも、もう…こんなに傍で感じる事は出来ない…

ブラックコーヒーが苦手だという、意外な一面も。
その姿からは分からない程、紳士的な行動も…
もう、こんな……傍で…

胸がぎゅっと掴まれた様に痛む。
ああ、目の前が歪む。
涙が…


「ッなまえ…」
『ッ!?』


不意に腕を掴まれ、涙が零れ落ちる。


「……俺は…どっちにしろ、お前を泣かせてしまうんだな…」


申し訳なさそうに、俯くグリムジョー様。
そんな顔、しないで。
貴方は強気な表情の方が似合っているのに。


「……ッウルキオラの元に戻るのか」
『…戻れって言ったの、誰?』
「…チッ…」


都合が悪くなると舌打ちをする、その癖。
嫌いじゃなかったよ。


『離して』


このまま腕を掴まれていたら、あたし、戻れなくなる。
グリムジョー様の体温と一緒に、感情が流れ込む。


「嫌だ」
『離して…』


ぎゅっと力強く握られる。
グリムジョー様の掌が熱い。


「お前が…
好きだっつうまで、離さねェ!」


切ない声には変わりは無いのだけれど、少し声のトーンが大きくなったグリムジョー様に少し驚いた。


『あたしが、グリ様を?』
「そうだ…
俺が好きだっつってんだ。
お前も…俺を好きになれ」


なんて横暴な…

…でも、そんな荒々しい言葉の中に、温かい物を見てしまった。
そして、自分の胸の中に広がる甘い感情にも気付いてしまった。

此処まで来たら、もう戻れない。
グリムジョー様の感情を感じ過ぎてしまったから。
もう少し早く、手を離してくれたなら。
あの時もっと遅くにやってきたなら。

あたしはウルキオラ様の元に戻っていたのに。
ウルキオラ様と淡々とした毎日を送りながら、後悔に苛まされて、生きて行ったのに。

もう、戻れない。
なんて強引で
なんて力任せで
なんて、温かい…


グリムジョー様の手の力が緩んだ。
ズルッと、あたしの上が解放される。


「悪かった…
お前の、辛い顔見たくないって言っておきながら…」


俯くグリムジョー様。
胸の奥が、疼く。


『……好き』


あたしの言葉に、グリムジョー様が顔を上げた。


貴方は力づくで、あたしの気持ちを掻き乱す。
強引で、無理矢理で…



『感情を曝け出す事が、苦しかった』
「……」


あたしの話に、グリムジョー様は黙って耳を傾けてくれた。


『グリ様の傍に居ると、疲れるんです。
自分が自分じゃなくなるみたいで…』
「だったら、ウル―…」
『でも。
それが心地良いんです。
グリ様じゃ無いと、ダメなの…』


其処で一旦言葉を区切った。
グリムジョー様も顔を上げてあたしを見遣る。
綺麗な青い瞳に、あたしが映った。


「あたしに色んな気持ちをくれるのは…
グリ様だけなの」
『なまえ…』


やっと、言えた。
やっと、気付けた。

貴方の強引さに振り回されて、今まで気付けずにいたけれど…
今分かった。
貴方の無理矢理さの裏に隠れていた、本当の気持ち。


『御免なさい…』


何に対しての謝罪だろうか。
唯、グリムジョー様はその言葉に、今まで見た事の無いくらい優しい笑顔を見せた。


「キス一回で許してやるよ」


そんな横暴な台詞を吐いて、意地悪な顔して微笑む。
だからあたしも負けじと意地悪に笑う。


『一回で良いの?』
「…チッ」


貴方のその癖、嫌いじゃないよ。
無理矢理でちょっと強引な所も。
本当は優しい所も。

気が付いたら、全部好きな所に変わっていた。


―…何や、雰囲気変わったなァ


うん、きっとグリムジョー様のお陰。
色んな気持ちをくれるから、あたしは少しずつ変わっていくの。


「良いから、早くしろよ」
『それが人に頼む態度?』
「…チッ…クソ…」


舌打ちをする貴方の、その悪い癖が直りますように。
そう願いを込めて、唇を重ねたの。
ちょっと驚いた貴方の顔を真っ赤で、それを笑うとまた舌打ちをした。
願いは叶わなかったけれど、その癖も嫌いじゃないから、まァ良いか。




不器用な舌打ち
--------------------
意地の張り合いを止めたら気持ちが見えた。


(次舌打ちしたらもうキスしない)(え…それは、ほら…勘弁してくれよ)

11/04/28.23:28


 

[back]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -