夢の片鱗と、純白 [ 33 / 33 ]




出会いたくなんて、なかった。

出会いたかった。

出会えてよかった。





―…せやから、出会いたくなかった。





温もりを欲し、追い求めて。
手に入れたら、失うのが怖なって。


その、温もりが偽りだったたと、気付くことさえも怖くて。
最初からなかったことにしてしまえば良えと、すべてを消し去り自ら壊してきた。

ああ、臆病なボク。
哀れなボク。

そないなボクに抱かれる哀れな温もり。
君の紅は、どないな匂い?
君の紅も、きっとあったかいんやろうなァ。


「っあ…」


震える脚、仰け反る白い首、潤む瞳。
君の耳元に唇を降ろしていく。
僅かな吐息が、その狭い空間に反響する。

耳元に熱が篭る、そんな瞬間。



ボクの首筋にも女の熱が篭った吐息が吹き掛かる。


「す、き…すきぃ……っ」


ああ、腐り果てた果実が、堕ちた。










「―…射殺せ・神鎗」
「…え―…ッッ」



鮮血が、舞う。鮮やかに、艶やかに。






生温い紅がぬるり、ボクの肌を這うようにして伝っていく。
ああ、ボクの神鎗はいつも紅に濡れ。
神鎗を縮めれば、飛沫が上がる。
鉄の匂いが充満した、赤黒い闇の部屋。


「あーらら。また汚れてしもた」


赤黒い染みができる。水溜りが、できる。
君の呼吸が止まった。鉄の匂い、女の華やかな香り。
女の死に舞台で、ボクは眠る。


ボクを、好きだという。
偽りの腐った果実。

果実が落ちて、作り物だと気づく前に壊した。
それでもボクは温もりが欲しくて、同じ過ちを繰り返す。
ボクの躓く石はそれ。臆病なボクの心は、温もりを求めて、また偽りの果実に手を伸ばす。



血腥い、夢を観る。













「市丸隊長、何方へ?」
「もう遅いし、帰ろ」


羽織を緩やかに翻せば、それに気付いて書類から視線を上げるイヅル。


「…まァ、今日は仕事の目処も立ちましたし、良いですよ」


垂れた瞳が疲れたように微笑む。


「月も綺麗やし、散歩して帰ろ」
「お供します」


唇の端からこぼれたような吐息混じりの微笑に、ボクはゆっくりとした足取りで隊舎を出た。
濃紺の空にふわり、浮かぶのは青白い月。

濃紺に穴が空いてしまったような存在感。
両手を袖口の中に入れて、その月を見上げながら渡り廊下を行く。


「綺麗ですね、冷えているからよく見えます」


イヅルの凛とした声は、同じく凛とした冬の空気を揺らす。


「せやね、良え色」


銀色というよりも、ほぼ白に近い月は、闇に沈んだこの世界に光をもたらす。
あらゆるものに影を作り、光があるのだと主張する。


三番隊舎を出て、暫く歩いた頃。


「それでは、僕は此処で失礼します」


空を見上げながら歩いていたボクの斜め後ろで、イヅルがお辞儀するのが視界の端に映った。


「あァ、ご苦労さん」


ゆっくりと振り向きながら言うボクのそれを合図に、イヅルボクに背を向けて闇に溶けて消えた。


あの金色でさえ、この暗闇に呑まれてしまう。
それだけ濃厚でどろりとした闇の中で、ボクはいつまで飲み込まれずにいれるだろうか。


そないなことを考えたら、ふと寂しくなって。
また、臆病な心が温もりを欲しだす。


その時やった。



『―っわ…!』
「っ……?」


背中に衝撃を受け、何事かと振り向く。

イヅルを見送り、考え事に耽っとったボクは霊圧を感知することができひんほどぼーっとしとった。
せやから、君の存在に気づけへんかった。


もし、そう。もしもの話。
もしも、やけど、確実に言えること。


イヅルともう少し手前で別れていたら。
或いは、もう少し先で別れていたら。

変なこと考えんと、ふらり。
月を見上げながら歩いていたなら。





君に出会うことはなかった。






そう、これはもう。

ボクが抗うことのできひん運命の輪に。
片足を乗せてしまった、ということ以外に説明がつかない。



くるりくる。



運命は、回りだす。


それはボクが呼吸をする度。

君の心臓が鼓動する度。







『ご、ごめんなさい!書類で前が見えなくて―…』


振り向いた先に居たのは、書類―…
ではなくて。

女の子の声。


その顔は、書類に埋もれて確認することはできひんかったけど。



「…ボクは大丈夫やけど、半分持とか?」


あまりにも大量な書類を、抱えている両手はふるふると小刻みに震えとる。
こないボクでさえ、磨り減った思いやりの欠片を心の奥底から引っ張り出してきたなるほどの量を、その細く青白い腕に抱えとった。


『え、いや、そんな…大変有難い申し出ですが…』


彼女の長く堅い言葉を聞いているうちに、気が変わってしまいそうやったから。
ボクは彼女が全部を言い切る前に、その書類を手に取った。

そないか弱くはないボクやけど、片手でその書類の半分以上を持とうとしたとき、その重さに手首が少し軋んだ。


「良ォこない重いもん、一人で持っとったなァ」


そう言ってボクが書類を持ち上げるのに比例して、だんだんと現れ始める青白い輪郭。


『申し訳ありません、私が至らぬばかりに…』


細い顎が見え、紅く薄い唇がゆっくりと動くのが見える。
動作はほんの一、二秒程やのに。

何故かこの時はスローモーションで見えた。
そう、それはまるで。
時間という、ボク等の手の及ばぬところにある概念が、ボク等の出会いを邪魔するかの如く。


ボク等の手の届かない、それは姿さえない何かが。
ボク等は出会ってはいけない、と主張するように。


時間はゆっくりと、しかし正確に運命という歯車を回していく。


『本当に、有難うございます』


彼女の透き通ったような、潤ったような。
清水のように何も障害がなく流れていくような声が、ボクの鼓膜を揺らして脳へと伝える。
その流れすらも、緩やかで滑らかで。


「良えよ、唯の気まぐれ、やし―…」


彼女の全てが見えたとき。
ボクの紅玉は揺れ動いた。


この世の汚いものなど、見たくない・と。
ボクのこの、血ィみたァに紅い瞳が嫌や・と。

閉ざしてしまったボクの瞼の奥に潜む、汚らしい紅い玉が。

この世の全てを否定したい、と。
その全てを観たい、と。

瞳孔は小さくなり、目は見開く。

書類の向こうから現れたのは、







『い、市丸……ッ隊長…』


月明かりに透ける、揺れる銀色の髪。


ボクを見つめ、揺れ動くのはボクと同じ、紅色の瞳。





ああ、戯曲が廻る、巡る。







そう、貴方が呼吸をする度。

私の心臓が鼓動をする度。




書類で目の前が見えなかったとは言え、不覚。
その一言以外に、言い様がない。

視覚が遮られていようとも、私は霊圧を探知しながら歩くべきだったのだ。

もし、そう。
もしもの話だけれど確かに言えることは。

私が残業なんて引き受けずにさっさと帰宅していれば。
書類を一気に持っていくなんてせず、面倒でも半分ずつ運べば。
近道などせず、遠回りでも渡り廊下を通っていれば。







貴方に出会うことはなかった。






そう、これはもう。

私が触れることすらもできない運命の輪に。
指先が触れてしまった、ということ以外に説明がつかない。



くるりくる。



宿命は、回りだす。










目の前には、残虐非道と噂される、かの有名な三番隊隊長、市丸ギン。

彼と直接会話など、したことはなかったしこれからもしたくない、と思っていた。
渡り廊下の角で一度だけ聞いた。
彼が他の隊の隊長と話している声を。

まるで蛇のように。

鼓膜にぬるりと張り付いてくるような声。
毛穴という毛穴から潜り込んで体内を締め付けるような話し方。

脳が痺れた。

この人は嫌いだ、と。



それはもう本能だった。



この先に待ち受ける未来を、体の細胞が知っていたのかもしれない。
これから起こることを、細胞が拒否していたのかもしれない。


唯、貴方が苦手だった。


同じ銀色の髪をしていた。
白すぎる肌に、その髪はよく似合い。


同じ紅色の瞳をしていた。
隠してしまった瞳は美しすぎるほどに。


私と同じなのに、私と違う。

根本的に違う。

性別とか、顔とか、声とか、体型とか。

そういうことじゃない。
全てが違った。




それは、貴方に

温もりを感じなかったから。






だから、いくら貴方と同じ髪色をしていても、
いくら貴方と同じ瞳の色をしていても。



貴方とは、相容れない関係なのだと。
心の片隅でいつも感じていた。


けれど、心の中に違和感だらけの感情が生まれていることにも気づいていた。
この感情に名前があるのも知っていた。

でも、この感情に、その名前を当てはめるのはそれこそ間違いな気がして。



私の心に生まれたこの感情だけが、場違いで間違いで違和感だった。



「君、ボクんこと知ってるん?」


訛りのある声が、濃紺の世界に響く。


『ええ、三番隊隊長の市丸ギン隊長であることは存じ上げております』


声が、震える。
喉が、震える。



貴方が、怖い。

その紅い瞳を隠して。
何を想うの、何を考えているの。

その銀色の髪を月明かりに透かせて。
何を想うの、何を考えているの。



貴方の白すぎる肌は、まるで生気がない。

その白すぎる肌は、触れてもいないのに冷たさを感じさせる。


貴方に、温もりが感じられない。








―…何故やろか。

ボクと君の頭上でこの濃紺の世界を、唯一照らす月は同じ月やのに。

君の銀色の髪には、温もりがあった。
同じ色やのに。同じ月明かりに照らされている筈やのに。


君の長い睫毛の奥にあるのは、この世界を全て観たい。と望む紅い玉。
星の瞬きを取り込んで、きらきらと光る潤った紅い瞳。


なぜ、同じ瞳やのに。同じ髪やのに。


君には温もりがある?

ボクには、何が足りない?



わからない、わからない、わからない。


君を抱けば、君のその温もりはボクのモノになるんやろうか。


嗚呼、温もりが恋しい。





「なァ、書類運ぶの手伝うたる」
『…いえ、滅相もありません』


君の凛とした声が、震えながらもボクの言葉を跳ね返す。


「そう言わんと、またぶつかるで?ボクやったから良えものの、ろくでもない人やったら困るやろ?」


ボクの言葉に思考が揺れる彼女は、瞳を僅かに震わせる。


「またぶつかって、今度は書類が飛ばされたらどないするん?これ、見たところ重要なやつばっかしみたいやけど」


彼女は渋々、という表情を隠そうとはせず。
下唇を噛んで俯いた。


『では、お言葉に甘えさせて頂いてもよろしいでしょうか』


彼女の声は、変わらず震えていた。

その理由は、まだわからない。



ボクは口角がにやり、といやらしく上がったことに気づかれへんよう、彼女に背を向けて歩き出した。

ボクの後ろを、静かな足取りで二、三歩遅れてついてくる。

ボクの軌跡を辿るように、雪のように、軽やかで柔らかくて。
溶けてしまいそうな足取りやった。




暫く進んだ。

ぽつり、ぽつりと落とすような他愛ない話が雪のようにボク等の間を舞う。

そう、彼女は雪のような存在だった。
何も言わず、いつの間にか静かにボク等の頭上に降り注ぐような。
触れれば溶けてしまうほど、脆くて儚い。


そう、君が儚いことは。
誰よりもボクが知っていたんだ。





降り積もった雪は穢れを知らぬ、純白で。

汚れるのは一瞬で。

よごれた雪は汚くて。

それは元の姿があまりにも綺麗だから。

汚れた雪なんて、見たくないはずなのに。

純白の雪に足跡をつけてしまうのは、

その純白を、ボク自身の手で汚してしまいたいと願うから―…









汚してしまっては、元に戻らない・と、知っていても。







夢にまで見ていたのに、
第1章:夢の片鱗と、純白
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君との出会いを後悔している。




14.2.8.20:49




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