蜘蛛の [ 26 / 33 ]




毎朝、夢を見るようになったのは何時からだろう。

具体的な日にち等、覚えている筈もなく。
唯、君がどんどん綺麗になるたび
君の唇が紅く染まるたび

ボクはこんなにも不安で。
ボクは、どないしたら―…



「ハァ…ッあん、あッ
ああ、ッハァ…ギ―ッふぐッ」
「それ以上、喋らんといて」


ボクの名前を呼ぼうとする女の口に、指を二本突っ込む。
喋るな。
お前の声が聞きたい訳やない。
お前に名前を呼ばれたい訳やない。

なして、こないにも苦しい。

女を抱く度、募るのは虚無感。
虚シイ、寂シイ、切ナイ。


「ッ…」


心臓が大きく脈打ち、ボクは女の中に入っとったソレを抜いてお腹の上に欲を吐き出した。


「ハァ…ハァ…」


女は目を潤ませ、荒い呼吸を繰り返す。
ボクはさっと身を清め、服を着る。


「…帰っちゃうの?」


甘ったるい声と、女の体温が背中に張り付いた。
妖艶な手つきでボクの体を弄る。
細い指先でボクの首筋を撫で、せっかくボタンを閉めたのにプチン、プチンと外されていく。


「離し」


一言冷たく言い放ち、女の手から逃れるべく立ち上がった。


「…何よ…そんなに冷たくしなくても良いじゃない」


ああ、始まった。
女は泣けば済むと思っている。
良ォそないポロポロと涙流せるなァ。


「勘違いせんといて。
君はボクの性欲処理機。
それ以上でも何でもないわ」
「…ッ」
「それでも良え言うたのは、君やで」


ほなね、とお金だけ置いて部屋を出た。



( ラブホは金ばっか飛んでくなァ… )


金は無くなるのに、愛も何も手に入らない。
女を抱けば抱くほど、温もりは冷めて、愛は遠のく。
本当に欲しいモノは、手に入らずに。

本当に欲しいモノは、正に空気。
こないにも近くにあるのに。
触れる事も掴む事も出来ひん。
でも、無ければ死んでまう…

もどかしい、もどかしい。

ボクのモノにしたいのに。
それは叶わぬ願い。

はぁ、と溜息を一つ。
夜空に吐き出す。

夜風に乗って
この想い、届けられたら。

溜息の分、君への想いを忘れられたなら。
こないにも苦しまずに済んだかもしれへんのに。


好きや、好きや。
こないにも、君が



「―…只今…」


明かりの漏れる扉を開ければ、聞こえて来る母親の温かな声。
そして…


―…ドタドタドタ…ッ!!


『お、お帰りなさ―…きゃあぁあああ!』



ズダダダダ…ン…ッ



『い、痛ーい…』


階段から駆け降りてくる君。
そして、今日は慌て過ぎたのか階段から転げ落ちた。
靴を脱いでる最中やったから、それを受け止められずに転がる君を唯見つめる事しか出来ひんかった。


「だ…大丈夫?」


声を掛ければ、涙を浮かべながら微笑む。


『お、お帰りィ…』


涙を堪えた震える声。
何とも間抜けな格好で、そう言うもんやからボクは耐え切れずに吹き出した。


『Σな…何で笑うの!』


あたし痛かったんだよ、と抗議する君を見て、お腹が痛くなるまで笑た。


「ハァ…ご免なァ。
ただいま、なまえ」


ひとしきり笑うた後で、なまえの頭をそっと撫でてももう遅いみたいで。


『知らない!』


と、頬を膨らませてぷい、と視線を逸らされた。


「ご免て、な?」


幼い子供をあやすように、優しい声色で謝る。


『本当に反省してる?』
「しとる、しとる。
間抜けななまえ様、申し訳ありませんでした」
『してないじゃん!』


もー!と怒るなまえに、牛のモノマネ?と尋ねたら蹴りを一発貰った。


『お兄ちゃんのバーカ!』


そしてそのまま、今度はリビングに駆け込んで行った。
自分の部屋に戻らないのが、なまえらしいトコ。
このまま部屋に戻ったら、意地を張ってまうのを自覚しているらしく、またすぐボクと顔を合わす状況を自ら作り上げる。

どうせ、ボクがリビングに入ったら母親をうまく利用して、ボクと会話すんねやろな。
分かり易い彼女の行動を先読みして、細く笑む。

ボクはゆっくりとした足取りで、リビングへと向かった。


まだ少し子どもっぽい。
それでも愛らしくて、妙に強がりで。
意地っ張り、泣き虫、我が儘。
悪いトコを挙げたら、きっとキリがないけれど。
全部含めて、ボクの大事な妹。


蜘蛛に愛された、哀れな蝶。


この想いは、まだ誰も知らない。
秘めて、秘めて。
月さえも知らない、蜘蛛の恋。


他の蜘蛛の巣に掛かった君が、他の蜘蛛に食べられて散るよりも。
ボクの毒牙にかかって、朽ち果てる君を見る方が良い。



「ただいま」
「お帰り。
遅かったわね?」
「大学生は忙しいねや」


温かい明かりと、夕飯の良え匂い。
点きっ放しのテレビ。
ソファーには父親。
母親はキッチンで作業していて、ダイニングの椅子には、お気に入りのクッションを抱えたなまえ。


「そういえば、さっき玄関の方で大きな音がしたけど、どうしたの?」
「ああ、それな。
実はなまえが―…」
『お、おおおお母さん!
聞いてよ、お兄ちゃん酷いんだから!
怒ってるあたしに、牛?って言ったの!』


階段で転んだ事実を知られたくないのか、慌てて言葉を遮る。


「牛?あんたは豚でしょ」
『お母さん酷い!
お父さーん!』


あはは、と笑い飛ばす母親。
今度は父親に助けを求めるが。


「なまえの太腿は霜降り通り越して、脂身ばかりだろうなァ」


なんて、冗談を飛ばす。


『お父さんまで!』
「な?ボクが言うた通りやろ?」
『お兄ちゃんの意地悪!』


ニヤリ、と笑えば拗ねたように唇を尖らせる。
ほんま、可愛えなァ…


『…そういえばさ、何でお兄ちゃんは京都弁で喋るの?』


なまえの疑問は、もっともや。
京都からこっちに引っ越してきた時、全員標準語で喋るようになった。
まァ、なまえはまだ小さかったさかい、方言も何もなかってんけど。
ボクは京都で生まれ、こっちに越してきた頃にはもう物心ついとったし。
今更京弁止めるなんて、あの頃の自分には出来ひんかった。


「まァ…あの頃のお兄ちゃんは京都弁の中で育って、方言を抜くなんて出来ひんかったしな。
今なら使い分ける事も出来るけど、京弁の方が世の中上手く渡れる時もあるっちゅう事や」


長々と言えば、なまえはさっぱり分からない、といった風に首を傾げる。
実際、京都弁を使てた方が良え。
物珍しそうに女は寄って来るし、おちゃらけたキャラを演出して人間関係も上手い事紡げる。
更に其処に無敵の笑顔を貼り付ければ、人の輪には入り易いし、出る時も揉めんで済む。

笑顔と京都弁は、ボクの武器。

なんて言うても、なまえはきっと理解出来ひんやろうから、黙って微笑んだ。


『…良く分かんないけど、お兄ちゃんが今更標準語で喋っても気持ち悪いし、それで良いや』
「気持ち悪いて何やねん、こら」


頬を抓れば、痛い!と顔を歪ませる。


「おお、掴み易。
太ったんちゃう?」
『お、おおお兄ちゃんのバカぁあ!!』


ボクの手を振り払って、今度は階段を駆け上がり自分の部屋に入って行った。


「ギン…あんたももう少しオブラートに包みなさいよ」
「オブラートなんて何時かは破けてまうやない。
まァ、ああいう素直なトコもなまえの良えトコ。
ほな、いただきまーす」


そう、この気持ちだって、オブラートに包んでも何時かは破ける。
抑え込んだ分だけ、大きく破裂する。

その日が来るのが怖い。
でも、今のボクには伝える勇気は無い。
勿論、これからも伝える事なんて無いんやろうけど…

それでも、なまえの笑顔を一番近くで見ていたから。

蜘蛛巣を張って、待ち構える


蜘蛛に愛された、哀れな蝶。
その翅をもいで、飛べないように出来たら―…





蜘蛛の



(そしたらもう、離さないのに)




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