攫われた








「ほな、ボク等も帰ろ」


そう言って、細長い指をあたしに差し出す。
月の明かりに彼の銀色の髪は透ける。

普段の"隊長"としての作られた笑みとは違う、もっと優しい特別な笑顔。
それがあたしに向けられるようになったのは、ほんの二年前。
冷酷非道で、何を考えているのか分からない、という噂が飛び交う彼は三番隊隊長。
執務中は勿論、彼のことを隊長と呼ぶけれど。

その笑顔があたしだけの特別なものに変わった日から、あたしは二人きりの時だけ彼を下の名前で呼ぶ。


「行こ、名前ちゃん」

『うん…ギン』


微笑んで、差し出された手を握り、あたし達は帰路を辿る。
素敵だね、月が照らす帰り道。
同じ歩幅、同じ帰路。
向かう場所は同じ。
月が伸ばす影を二人分引き連れて、笑いながら、互いの体温を感じながら歩くこの道が大好きだった。


「そういや、明日…
明日で、ボク等、付き合うて二年になるんやね」

『そうだね…もうそんなになるんだね』

「何や、プレゼントは?」

『えぇ?それを今聞くの?』


子どものようにねだるギンに、思わず微笑んで見せる。
勿論、二人で迎える明日のためにプレゼントは用意して―…


『あっ』

「?」


急に大声を出して立ち止まったあたし。
手をつないでいる彼も、必然的に立ち止まる。

きょとん、とした表情であたしを見遣るギンを、あたしは困ったような表情で見返す。


『執務室に忘れ物…してきちゃった』

「ん?なら、ボクが代わりに行ってこよか?」

『え、あ…大丈夫!』

「ほな、一緒に…」

『すぐ戻ってくるからッ』

「ちょ、名前ちゃ―…」


あたしはギンの言葉を遮り、瞬歩で執務室へと向かった。
あたしの脳裏にあるのは、自席の机。
右側の下から二番目の引き出しの中身。


折角今日、日付が変わった瞬間に渡そうと決めていた物なのに。
忘れてしまうなんて…

ギンが取りに行ったら意味がない
一緒に取りに行ったら、言い訳ができない。

サプライズが好きなあたしは、様々なシチュエーションを考慮に入れ、急いで執務室へと向かった。
カムフラージュ用の書類、どれにしようなんて考えながら執務室の扉を開けた。

誰もいなくなった夜の執務室は、昼間、活気のある時間帯との差の所為で酷く寂しく見えた。

薄気味悪さすら感じたあたしは、素早く自身の机の中から小さな箱を取り出した。


『よし、あとは書類を……ッ』


自分の机を漁っているとき、ふと感じた視線。
霊圧…は、完全に消えている。
気配があるわけでもない。

ただ、何処からか、誰かから見られている、という視線を感じて振り向いた。
勿論、そこに誰がいるわけでもなく。

気のせいだと言い聞かせて、あたしはまた自分の机に向き直った。











―カタン…ッ










『ッ誰…!?』


今度は、物音がはっきりと聞こえた。
其処に居る人物で、考えられるのはギン…
でも、ギンだったら霊圧を隠してまで、姿を隠す必要も意味もない。

よくありがちなのは、物陰から猫が現れたりするのだが。
猫の気配ではない。
もっと、大きな……





視界の端で、何かが動いた気がした。







『―ッ…』


振り向いた途端、あたしの視界は真っ白になって。
意志とは逆に、遠ざかる意識の片隅でギンの名前を呼んだ。

倒れるあたしを、大きな腕が捕える。


これは…誰―……



右手から滑り落ちる、彼のためのプレゼント…











―…ギン…




「名前ちゃん…?」


ふと、呼ばれたような感覚に、思わず振り向いてしもた。
霊圧も気配もないのに。

名前ちゃんの代わりに其処にいたのは、愛らしい黒い猫で。
ニャァ、と一鳴きしてボクの横を通り過ぎていく。

何か、嫌な予感がボクの脳裏を掠めていった。


幾らなんでも、遅すぎる。


名前ちゃんは瞬歩が得意や。
第三席の名前ちゃんやけど、瞬歩だけやったら、ボク等隊長格とも渡り合える。
そんな名前ちゃんやったら、まだ幾らも歩いてへん此処から執務室まですぐ行けるやろう。
探し物に手間取っているのか。
そないなことを思いながら待っていたけれど。
さすがに遅い。

心配になったボクは執務室まで瞬歩で向かった。

開いたままの執務室の扉。
薄暗い室内。
ボクは名前ちゃんの席に近づく。
開けられたままの、右側の下から二番目の引き出し。


「…名前ちゃん?」


その薄暗い部屋のどこにも、彼女の姿はない。
霊圧も…






―コツン…





「…?」


何かを蹴り、反射的に足元を見遣る。


「これは…」


足元に転がる小さな箱。
手に取ろうと上体を屈ませ、それに触れた。


「…っ」


指先に感じたのは、紛れもなく愛おしい人の霊圧。
乱れたその霊圧から、名前ちゃんに何かあったことを直感的に悟った。


「名前ちゃん…っ」


心の中は焦燥感
頭の中は名前ちゃん


君は、何処に行ってしもたのか。


目を閉じて、名前ちゃんの霊圧を探る。
しかし、僅か過ぎて感じたその瞬間に消えてしまう。

霊圧を消しているのか
それとも、意識がないのか。

どちらにせよ、名前ちゃんが正常な状態ではないことだけはわかる。



右に行けば良えのか、左に行けば良えのか。
前か後ろかも分からへん。
せやけど、こないなトコで右往左往しとっても、何も始まらん事だけは確かや。


ボクは何も考えずに地面を蹴った。
僅かな名前ちゃんの霊圧を必死に探りながら。



(無事で居たってや、名前ちゃん…!)













『―…っ…』



ゆっくりと浮上し始めた意識。
突如、起きなければならないような衝動に駆られ、まどろむ脳を無理やり起こして瞳を開けた。
瞼は重く、目の前が霞む。

それでも、その白く霞んだ世界が、あたしの世界ではないという事だけは理解した。



『こ……こは…あたし…』


重力に負けるかのように、下がっていく瞼。
その瞼の裏で途切れた記憶の先を手繰り寄せる。


今日は何日、今何時、ここはどこ。
最後、あたしが見た光景は―…


「起きたか」

『っ…く…ちき隊長…』



霞む視界に写り込む、その凛とした姿。
そしてこの霊圧。
間違うはずもなく、朽木隊長と分かる。



『なぜ、朽木隊長が…?
ここは……』

「ここは我が屋敷。
兄は私が連れてきた」

『朽木隊長が…?
なぜ、あたしなんかを…』


その質問に、朽木隊長の眉尻が少し寂しげに下がったように見えた。


「兄は…私のものではない」


凛としていて、気品のある声。
その声が私に向けられている筈なのに、自分に言い聞かせているように聞こえた。


「分かっているのだ、兄をこうして攫ったところで兄の心まで手に入る筈がない、と。
だが、それは結局のところ理性の一部でしかない」

『たい…ちょ?』


どこか切なさが見え隠れする声色に、あたしは上体を起こして隊長を見上げた。


「兄の心が…市丸を捕えて離さぬことも知っている」


"市丸"その言葉に、心臓が跳ねた。
そうだ、今ギンはどうしているだろう。
きっと心配している。

朽木隊長でいっぱいだった脳内に、一気にギンが広がる。
ギンの笑顔や、不器用な優しさ。
そのすべてが愛しいという気持ち。


『あの、朽木隊長…
あたしを返してくだs―…』

「ならぬ」


最後まで言い切る前に、遮られた言葉。
その言葉の向こうに繋がるギンの姿は消え去って、また目の前は朽木隊長で埋め尽くされた。


「今はダメだとしても、いずれ兄の心も手に入れる。
それまでは、せめて体だけでも―…」

『え…っあ…!』


敷かれた布団の上に、仰向けに押し倒されたあたしの視界には朽木隊長の恐ろしく整った顔立ちと、天井。
それ以外は何も見えず、一瞬で全てが恐怖に染まる。


『お…お止め下さい、朽木隊長…っ』


囚われた手首。
逃れようと力を込めても、その冷たく大きな手から抜けられる筈もない。


「あまり暴れるな。
そなたを傷つけたくない」


そう撫でるように優しい声色に、あたしは戸惑う。
もしこのまま大人しくしていれば、少なくとも殺されはしないかもしれない。
こうして体を授け、時間稼ぎをすれば、もしかしたらギンが助けに来てくれるかもしれない。

様々な思考が脳内を駆け巡り、辿り着いた答えは…



「そうだ…そなたは、私に全てを任せれば良い」


腕の力を抜き、瞳をきつく閉じた私の姿を、ギンが見たらなんて言うだろう。
裏切り者だと、蔑むだろうか。
軽蔑するだろうか。

無事にもう一度、ギンの顔が見たいから。
そんな単純な理由で、あたしは諦めたかのように朽木隊長を受け入れた。


「…今、市丸の事を考えただろう」

『え…っああああぁあぁ』

「っ…」


濡れてもいない秘部に突き立てられたソレは、凶器のようにあたしを引き裂く。


「っ…大方…兄が抵抗しなくなったのは、時間稼ぎの為であろう?
ならば先に、そなたを奪ってしまえば良い…っ」

『―…っ…!!』


あまりの痛みに声も出ず、大粒の涙が頬を転がる。
揺さぶられる体と、痛みだけを噛み締めて、あたしは唯泣いた。







攫われた



(桜の散る先は月明かりだけが照らす。)



[TOP]




prev next

[back]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -