残されたもの











溢れ出して
零れ堕ちたのは
それとも、






出 逢 い は
単 純 だ っ た 。




「落ちましたよ」
『あ、有難う御座います』


落とした定期券
少し訛りの有る声

そして、ホームに滑り込む電車の轟音。


電車が巻き込んだ熱風が、あたしの制服のスカートを揺らす。


二人の運命が交差した瞬間。









「お早うさん」
『―…お早う、ギン』



今では、目を覚ませば其処に彼が居る。
銀色の細い髪。
白い頬。

女のあたしから見ても、彼は充分綺麗だった。


「名前ちゃん、今日講義あるんやない?」
『え?今何時―…きゃあああッ』


枕元の目覚まし時計。
あたしの瞳に映った、『遅刻』という二文字。


『どうしてもっと早く起こしてくれないのよッ』
「そないな事言われても…不可抗力やて」
『んもー、ギンの馬鹿馬鹿ッ』


焦りながらも、急いで身支度をする。
そんなあたしの背中に向けられる言葉。


「今日、何時くらいに帰ってきよる?」
『え?
そんなの分かんないよ…』
「最近帰り、遅無い?
もしかして、浮気しとるん?」


顔を洗うあたしの鼓膜を揺らす、水音とギンの声。
ああ、もう。イライラする。
学校行って、課題やって。

浮気なんてしてる暇無いっての。


『ハァ…する訳無いでしょ』


タオルで顔を拭きながら、そう言い放つ。


「ほんまに?」


疑うギンに、あたしは溜息で返した。
あたしが信じられないの?
あたしが浮気してるって、本気で思ってるの?
どうして?


『兎に角、浮気なんてしてないから』


苛立ちを何とか抑えながら、あたしはパジャマを脱ぎ捨てる。


『今日は帰り、何時くらいになるかなんて解らない』
「…せやかて、今日―…」
『んもうッ
急いでるの!帰ってきたら聞くからッ
行って来ます!』


ギンの言葉を遮り、あたしはバッグを肩にかけて部屋を出た。


今、あたしが恨むとするなら。

鳴らなかった目覚まし時計と
ギンの言葉を遮った自分自身。









出 逢 い は 単 純 だ っ た 。




( ヤバイ、遅刻しちゃうよォ… )


今日に限って雨で
今日に限って寝坊で
今日に限って占いで最下位で
今日に限って電車が遅れていて…


今日に限って
貴方に出逢えた。



「落ちましたよ」
『あ、有難う御座います』


肩を叩かれ、振り向けば見覚えのあるパスケース。
可愛らしい熊のキャラクターの顔。

それが自分の物だとすぐに理解したあたしは、お礼を述べてそれを受けとった。


「おっちょこちょいやねェ」


クス、と薄く微笑んだ彼に
心を奪われた瞬間。

忘れていたかの様に電車が滑り込んだ。

あんなに電車が来なければ。と
思った日は無かった。







以来、駅で良く出逢う様になった。


( 今日は居ないのかな… )


駅のホームで、携帯を弄るフリをして彼の姿を捜す。
それが日課となってしまってからは、彼を好きだ・と、自覚するしか無くて。

きょろきょろと、忙しなく瞳を動かしていると


「誰を捜してん?」


と、背後で声がした。


『Σひゃあッ』
「そない驚かんでも…」


振り向けば、長身の彼。
銀色の髪が陽に透けて綺麗だと思った。


『べ、別に誰も捜してなんかいませんよ』


顔が熱い。
頬が火照る。


貴方を捜してました。


なんて、口が裂けても言えない。


「あら、そうなん?
ボクは捜しててんけどなァ…




















君の事」






『え…?!』


これは…夢?


電車がホームに滑り込む。





「パスケースと一緒にこのハンカチも落としたやろ?」
『え…あ。あたしのタオル…』


彼の白い掌に有る、お気に入りの水色のタオル。


「それ、渡したかってん」
『はァ…どうも…』


何だ、それだけか。
と、期待を裏切られたあたしは素っ気ない言葉で返すしか無くて。

淡い期待も、この想いも。
結局こんな古びた駅には場違いなだけで。


「それよりも、良えの?電車閉まるで?」
『え…あッ』


あたしは急いで電車に飛び乗る。
その後ろから、余裕の表情で乗り込む彼。


「なんて。実はこれ、十分発やねん。
後五分は発車せェへんよ」


意地の悪い顔をあたしに向ける。


『なッ…からかったの!?』
「違う…っちゅうたら嘘になるなァ」


クスクスと至極楽しそうに笑う。
完全に相手のペースに引き込まれたあたし。


古びた駅
古びた電車。

其処で芽生えた
新たな恋心。







「実はそのタオル。この前わざと渡さへんかったんや」
『?…何で?』


やっと動き出した電車。
窓の外の見慣れた景色が、彼が居るだけで何時もと少し違って見えた。


「ボクが持っとったら、君に声を掛ける口実になるやろ?」
『ッ…』


ダメ、期待しちゃ。
そう言い聞かせても、頬は熱くなるばかり。


「―…二年くらい前にな、ボクの目の前でストラップ落とした子ォが居てん」


突然昔話を始めた彼の言葉に耳を傾けた。
脳内で、二年前を思い出す。
二年前…あたしは高校一年生だった。

……そう言えば、二年前にあたし
ストラップを落とした様な…


「まだ染めたての髪で、白い肌が印象的やった」


あたしはどちらかと言えば、色白…
高校生になって、初めて髪を染めた。


「ストラップ落とした事にも気付かんと、電車に飛び乗って、そのまま行ってしもてん」


ストラップを無くした事に気付いたのは、学校に着いてからで…


「何時か、その子にまた会えたら…
そう思っててん」



期待はダメ。
切なくなるから。

でも、期待せずにはいられない。
だって、彼の口調がとても穏やかだから。

閉じた瞳に、あたししか映していない様に見えたから。




「―…そしたら、その子…
一週間前に定期、落としたんよ」



一週間前……





「落としましたよ」
『あ、有難う御座います』








『………まさか…?』

「せや。
君、鈍感そうやったけど…
気付いて貰えたみたいで良かったわ」


優雅な物腰。
穏やかな口調。

その裏に隠れる
少し意地悪な微笑み。


あたしはこの人に

恋 を し ま し た 。













「…改めまして。ボクは市丸ギンや。
君の名前は?」


低い声。
訛りのある声。


『苗字名前……』



少し声が震えたのを、今でも覚えている。


「名前ちゃん…ね。
宜しゅう頼むわ」


そう微笑んだ彼、市丸ギン。
薄い唇から、期待を超えた言葉が飛び出した。


「其処で提案なんやけど。
名前ちゃん、ボクと付き合うてくれへん?」






『は?』




唖然とするあたしを余所に、不敵な笑みを浮かべたまま、彼は続けた。


「これも何かの縁や・て。ボクは思うんやけど。
名前ちゃんは思わへんの?」


不敵な笑み
意地悪な笑み
余裕な笑み

あたしの心は、もうとっくに貴方に向いているのに。
それを拒む方が難しかった。


『…その縁…信じてみようかな』


挑戦的な言い方。
告白というより、喧嘩を受けて立ったみたいな台詞に、彼は笑みを深めただけだった。


「おもろい子やね。
まァ、良えわ。携帯出し?」
『?』


携帯を取り出すと、勝手に操作してあたしに返した。


「それ、ボクのアドレス。
気が向いたら、メールしてや」


そう彼が微笑んだと同時に、電車の扉が開いた。


「ほな、ボクは此処で」



古びた駅
古びた電車

鳴り響く発車のベルは


新たな恋の始まり。









 
差出人:ギン
件名:今日
------------
迎えに行く。

19時に
何時もの駅で
待っとって。

-END-

------------




パタン。と、携帯の画面を閉じる。
ギンと付き合ってから、もう何年経っただろう。

あたしは大学生になって
ギンは社会人。

一緒に住む様になって
同じ時間を共有する様になって

泣く時も笑う時も
怒る時も全部
ギンの隣で。


「名前ー、ご飯食べに行こッ」
『あ、うん!』



恨むとすれば


鳴らなかった目覚まし時計と
ギンの言葉を遮った自分自身。






「でさ―…なのよ」
『あははッ本当にィ?』


美味しいご飯。
温かな光。


外はもう真っ暗で
時計は九時を差していた。


何気ないひと時。
友人の笑い話を訊いて
お腹が痛くなるまで笑って
お腹一杯ご飯食べて




雨が降り出した。



『本日は各地、晴れ模様で―…』



天気予報は、当てにならない。







何気ないひと時を壊したのは、ポケットの中で震える携帯。

ディスプレイには"母"の文字。
ギンと同棲し始めてから、滅多に電話をしてこなくなった母。


嫌な予感がした。


心臓が、煩かった。


『もしもし―…?』






恨むとすれば
鳴らなかった目覚まし時計
ギンの言葉を遮った自分自身
当てにならない天気予報
そして
何気ないひと時を壊した、一本の電話



[ ―もしもし、名前…? ]











―バタバタバタッ


慌ただしい足音が、長い無機質な廊下に反響して鼓膜を揺らす。
薄暗い廊下。
其処にポツンと置いて有る、ベンチ。

腰かけているのは、母の姿。



『お母……さん…?』



ハッと顔を上げて、あたしの顔を見つめる。
目が赤い。

母が、一呼吸置いてから、向い側に有る扉を指差した。


心臓が煩い。
耳元で心臓が鳴っているみたいに。

ガクガクと、今までに無いくらい手が震える。
ドアノブが上手く回せない。




―ガチャ…




やっとの事で回したドアノブ。
その音すらも、震えて聞こえた。


カーテンが閉められた、薄暗い部屋。
真ん中に置いて有る、白いベッド。

其処に横たわるのは、愛しい人の姿―…



『ギ……ン…?』



震える声に、応答は無い。

ベッドに歩み寄り、愛しい人の顔に掛かる白い布を捲る。


白い肌に生気は無く
閉じられた瞳は何時もと変わらない癖に、その瞳はあたしに向けられていない。


『ギン……?
ギン…ギン…嘘……でしょう?』


目の前に広がる光景。
信じられないのか
信じたく無かったのか。




今となって恨むのは

鳴らなかった目覚まし時計

ギンの言葉を遮った自分自身

当てにならない天気予報

ポケットで震えた携帯…




雨は止んでいた。

代わりに
あたしの心に
雨が降っていた。











「即死でした。
雨でスリップした車が、彼にそのまま突っ込んで…」


医者の言葉が、何処か遠くの出来事の様に聞こえた。


ギンは死んだ。


それが、海の向こうの、遙か彼方の国の出来事みたいに感じた。
現実感もリアルさも無く。あたしは涙も出無かった。


信じれない
信じたくない


ギンは、まだ生きている。



フラフラ…と、あたしは病室を抜け出した。
そしてその足で、家に戻る。




「此処が今日からボク等の家や」

『ふふ…何か変な感じ』

「これからは、二十四時間ずっと一緒に居れるんやで?
もっと嬉しそうな顔しィや」

『えぇー』

「Σ何やねん、その反応!」







鍵を差し込み、右に回す。


ガチャリ…と音がして、鍵が開く。





「名前ちゃん、ハッピーバースディ!」

『何、コレ』

「何て…この家の合鍵や」

『ふぅん?』

「Σな、何やそれ!
ふぅんて!」

『あははッ
嘘だよ、有難う』






薄暗い部屋。
人の気配のしない部屋。

あたしの好きな色のテーブルクロス。
机に積まれた、レポートの数。

お揃いのマグカップ
お揃いの食器





『あ、ギン!
これが良い、これ!』

「えぇ〜…
ボク、時々名前ちゃんの趣味が分からへんわァ」

『絶対コレ!可愛いもん!』

「はいはい。
ほな、マグカップはこれで決まりやな」






ねェ…
お揃いでも相手が居なかったら
何の意味も持たないの。

少し多めにミルクを入れた、ギンの作る紅茶。
一緒に飲む相手が居ないだけで、冷たくなるの。






寝室に足を踏み入れる。
ギンの選んだベッドカバー。
その上に置かれた、古臭いテープレコーダー。


『…何…これ…』


テープレコーダーを手に取り、再生ボタンを押す。
雑音が流れ、直ぐに愛しい人の声に切り替わった。


[ これで録音出来てんねやろか…

ォホンッ…ん゙!

えー…ギンです。
て、言わへんでも解るか。

名前ちゃん。
今日は何の日でしょう。


…実は、今日はボク等が付き合うて三回目の記念日やねん。


最近、名前ちゃんは色々と忙しそうやね。
一緒に住んどっても、
過ごせる時間が限られとって…
ちょっと…寂しいわ…なんて。


名前ちゃんと出会ってから一緒に過ごした三年間。
色んな事が有ったなァ。



ストラップ落として

定期落として

タオルも落として…



ほんま名前ちゃんはおっちょこちょいやから、目ェ離せへんで…


駅で何時も、名前ちゃんの事見とった。
二年間、ずっと。
話しかけるタイミングを計って、計って…
名前ちゃんが定期を落としてくれへんかったら、今、こうしてボク等は付き合うてへんかもしれへん。
そう考えると、運命っちゅう奴を信じてみとォなる。


ボク等が出逢えたのも、何かの縁…


そう言うたボクに、名前ちゃん、何て言うたか覚えてる?
ふふ…その縁、
信じてみようかな・て。

ほんま、おもろい子ォや思てな。
…ボクとの縁、信じてくれた?



なァ、名前ちゃん。
君は、ボクと一緒に過ごせた日々を幸せや・て、胸を張って言える?

……ボクは言えるで。



ボクは
名前ちゃんと出逢えて、ほんまに幸せやと思う。


来世も、その次も。
ずっとこれから先も。


君と一緒に居れたら…
楽しいやろなァ…


名前ちゃん、あんな…?

ああ、あかん。
これはちゃんと直接言わな。

せやから、早よ帰ってきて。

伝えたいこと、あんねや。


ボクな、今も、これからも
ずっと―……』



ブツッ…と、そこでテープレコーダーが切れた。
頬を、温かい何かが伝った。
それが顎からあたしの掌に落ちる。








あたしはそのテープレコーダーを握り締めたまま、寝室を出た。
まだ、ギンの面影の残る部屋。



ギンの好きな色のカーテン。
籠一杯の干し柿。
ギンのスーツ。
ギンの香り。


ギン、ギン…

何で、ギンが居ないの…



『……ギン……ギン…』



何年もの間。
一緒に過ごしたこの部屋に残るのは、

ギンの香りとギンとの思い出
そして、動けないままで居るあたし。


覚束ない足取りで、再び病院へと戻る。


「名前…貴方、何処に行って―…」


医者の説明の途中で、姿を消したあたし。
心配そうに見つめる母を素通りして、ギンの眠る病室に入った。

ベッドに近付く。


今朝、目覚まし時計が鳴っていたなら
ギンの話を聞く余裕も有っただろう。

天気予報が当たっていたなら
車がスリップする事も無かった。

携帯が鳴らなければ
あたしはこの事実を知らないで済んだ。



『ねェ、ギン…
テープレコード…聴いたよ…』


ベッドの横にある、丸い小さな椅子に腰かける。


『ふふ…ねェ…最初、声震えてたよ?
緊張したの…?』


勿論、紫色になった唇から、返事は無い。


『…ギン、あたしに言う事が有るんじゃない?』




―…ああ、あかん。
これはちゃんと直接言わな。




『早く、言ってよ…
気になって眠れないじゃない…』


目頭が、熱い。
鼻の奥がツン、となる。


『ねェ…言ってよ……言ってってば…』







―…解ってる
解ってるよ

ギンが、もう言ってくれないって事くらい。
でも、あたしは臆病だから。
現実を、見たくないから。






『…ッ言ってってばぁ…!』




…ああ、ダメだ。
涙が溢れちゃった。



ねェ、あたし…
ギンと一緒に過ごせた日々を、ちゃんと胸を張って幸せだって…言えるよ。


ずっと…ずっと…







『ッ一緒に居たかったよ…ッ』


一緒に居たかった
一緒に過ごしたかった


ギンが居なかったら
あたしは、幸せじゃないもの…



ねェ、何を言おうとしてたか、あたし知ってるよ?


あの言葉…
言って欲しかった。


たった一言が聴けなくなる日がくるなんて。


あの言葉、大好きだった。

貴方の、訛りの有る声で…














一人きりの部屋

二人で育んだ、思い出と愛。


ギンの面影の残る部屋。
あたしに遺された物。


鳴らなかった目覚まし時計
ギンの言葉を遮った自分自身
当てにならない天気予報
お揃いのストラップが揺れる携帯


ギンの匂い
ギンのくれた愛



動けない心と、思い出




ギンが好きだった
あたしの残像


二人の時間だけが
現実味の無い部屋に漂っていた。






残されたもの
--------------------
言いかけた言葉、それは紛れもなく愛の囁き…


("愛しとるよ")

11.05.07.23:24


[ あずさ様400打記念リク ]


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