私は荒北靖友が好きだった。
野球が好きな荒北靖友が好きだった。
短髪で、いつも泥だらけで、ひたむきな荒北靖友が好きだった。
荒北靖友も私の事が好きだった。
同じ野球部のマネージャーである私の事が好きだった。
野球がとにかく大好きな、私の事が好きだった。
好意が双方にあることに気付いた私達が、付き合い始めるのは自明の理だった。

しかし私達の関係は、荒北靖友が怪我をし野球をやめたことから崩壊する。

怪我をした荒北靖友は自主退部、私は引退まで野球部のマネージャーを続けた。
野球をしている荒北靖友を私が好いていると知っていた彼は、退部と同時に私に別れを申し出た。

「もう野球部できねェから」

はっきりとした別れの言葉を突きつけられた訳ではない。けれどこの一言だけで、私は荒北靖友の言わんとしている事を察した。
「そっか」と俯きながら返事をしたことだけは、覚えている。

私が野球をしている荒北靖友ではなく、荒北靖友そのものが好きだったのだと気付いたのは部活を引退して少し経った頃だった。



「……なまえ」

信じられない、とでもいうような顔をしながら、靖友は私を凝視する。
少し前まで時代遅れなリーゼントになっていた髪は雑に短く切られており、ほんの少しだけ中学時代の面影がちらついた。

「お前、箱学に……入ってたのか」

まだ着慣れている感じのしない箱根学園の制服をお互い着て、お互い向かい合っている。
放課後、もうすぐ部活開始時間になろうかという頃。靖友の教室を訪れてみると、偶然にも靖友だけがそこにいた。

「うん」
「箱学に野球部はねェヨ」
「知ってる」
「お前甲子園に行きたいとか言ってなかったか、中学の頃」
「それ、もういいの」
「……そーかヨ」

別れて以来の、初めての会話。
風の噂で、靖友が野球部のない箱根学園を受験することは知っていた。
別れているから私には関係のないことなのに、もし付き合っていたとしても恋人の進学先を追っていくなんて褒められたことではないのに、私は自然と箱根学園への受験を志願した。周りには、秘密にして。
まだ未練が残っていた。
そして、野球をやめた靖友がどこにどう向かっていくのか見届けたかった。
きっと、そんな理由だと思う。

「靖友さ、最近ロードバイク?始めたよね」

ぼそ、と呟くように語りかけると、靖友は罰が悪そうに少しだけ顔を逸らす。

「知ってンのか」
「私のクラスにも、自転車競技部の子いるから」
「アー……」

顔を逸らしたまま、靖友は声を出す。そして目を泳がせて、私の次の言葉を待っているようだった。
野球をやめて、他のスポーツを始めたことを責められると思っているのだろうか。私が野球好きだと知っているし、野球をやっていたから自分が好かれていたのだと思い込んでいるようだから、きっとそうなのだろう。
いつでも腹を括っているように見えて、案外靖友は脆い。
そんな彼を安心させるため、私は柔らかく微笑んでみせた。

「ずっとさ、心配してたんだよ」

私の声に、靖友の目は泳ぐのをやめて私を見据える。

「野球やめちゃってから、靖友すごく荒れてたじゃん。だから、他に夢中になれるようなものが出来るまで心配してた」

あと、未練もあるよ。
その言葉はぐっと飲み込んだ。

「最近になってやっと、夢中になれるもの見つけられたみたいだね」

ほんとに安心したよ、と続ける。思いの外私は笑えていたようで、靖友もつられて少しだけだが微笑んでくれた。

「なまえの好きな野球じゃねェけど」
「野球にこだわらなくていいって」

そう言うと、靖友はまた笑う。
けれどさっきの微笑みとは少し違う、悲しそうなものだった。
教室の窓から、夕日が差し込む。
教室が橙色に染まって、そんな中に二人きりでいると、なんとなく不思議な感覚がした。
ふと教卓の上辺りにかかっている掛け時計を見ると、あと少しで部活動が始まる時間だった。靖友もそろそろ自転車競技部に向かわなければいけない。
そう思い再度靖友と目を合わせると、彼は少しだけ、声を絞り出した。

「なまえさ」

出来るだけ優しい声で、なあに、と返す。靖友は、私の言葉を噛みしめるかのように奥歯の辺りを噛んだ。

「野球やってる俺が、好きだったか?」

震えた声だった。
もう立派な男子高校生なのに、まるで小さな子どもみたいだ、と思った。
そして、ふつふつと、ある感情がもう一度芽生えてきた。

荒北靖友が、愛しい。

私は口を開く。
そして、思いを口にする。
それを聞いた靖友は、初めて私たちが結ばれた時と同じように、照れ臭そうにそっぽを向いた。

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