「あーおやぎ」

後ろからちょいちょいと肩をつつきながら名前を呼ぶと、青八木はぴくりと肩を震わせる。そして恐る恐る振り向いて、肩をつついた人物が私だと確認してからほっと息をついた。その一連の動作は、男子なのにちょっと可愛らしい。

「みょうじか」

無口な青八木は、少ししか口を開かない。それでも名前を呼んでくれたのが嬉しくて、私は出来うる限りの笑顔で頷く。
青八木は今週末提出の課題をやっていたらしく、机の上には何枚かのプリントが広げられていた。私は青八木の前の席の椅子を動かして、そこに座る。そして広げられたプリントをまじまじと覗き込む。シャーペンを持ったままの青八木は、そんな私を不思議そうに見た。

「もう課題してんの?真面目だー」

茶化すようにそう言うと、青八木は表情は動かさないもののふるふると頭を振った。「溜め込むと面倒だから」という言葉を聞き、へぇ、と相槌を打つ。何でもなさそうに返事をしてみたけれど、私は内心ガッツポーズをしていた。青八木は無口、というイメージは、青八木を知っている人全員が持っている。それほどまでに彼は喋らず、彼とよく一緒に行動している手嶋に言わせてみれば「社交性はゼロ」らしい。そこまでけちょんけちょんに言ってしまうのもどうなのかと思うけれど、確かに「社交性はゼロ」と頷ける性格ではあった。けれど数ヶ月の私の地道な努力を経て、私は青八木とそれなりに喋ることができる「友達」の位置に落ち着くことが出来ている。青八木と会話のキャッチボールが出来ていることがその証拠だ。たぶん、手嶋の次に私が青八木とたくさん喋っていると思う。青八木に私の知らない何か濃密な繋がりがあれば話は別だけど、今のところそうでもなさそうだ。
私はそのことに喜びを感じつつ、そしてそれを上手く隠しつつ、さも今思い出したというような感じで「あ、そうだ」と片手に持っていたものを青八木に差し出した。私が相槌を打った直後から課題を再開させていた青八木は、視線を課題から私の方へと向ける。その仕草も可愛らしいと思ってしまうのは、きっと私が相当青八木に毒されているからだと思う。
私が青八木に差し出したものは、透明な袋に入ったいくつかのクッキーだ。袋自体にデザインはついていないけれど、リボンを結んでシンプルかつ可愛らしいラッピングになっている。中身のクッキーは、昨日私がわざわざ家で焼いたものだ。課題に一切手を付けずに。

「女友達にあげるために作ったんだけど、余ったから課題を頑張る青八木にあげよう」

ここで「青八木のために作った」と言ってしまえば、健気な女の子のように見えるかもしれない。しかし相手は青八木だ。健気だと思われるより前に、重いと思われてしまうかもしれない。青八木とそれなりの仲になりたいけれど、急いてはいけない。ちゃらちゃらした人相手なら少々先走った行動をしても構わないだろうけれど、青八木の場合は外堀からじわじわ埋めていく必要がある。
クッキーを受け取った青八木は、小声でありがとう、とお礼を言ってくれた。そして袋を開けて、一つ摘まむ。それを口の中に放り込み咀嚼するのを見ながら、私はちょっぴり緊張した。実際に女友達にも食べさせたから味の心配はないはずなのだが、やはり緊張してしまうものは仕方が無い。何食わぬ顔でクッキーを渡せる癖に味の感想を聞くのが怖いのは、意気地があるのか無いのか。そこんとこどうなんだろう、と思いながら青八木の口元を見ていると、やがて青八木は咀嚼をやめた。そして喉仏あたりがわずかに動く。

「美味い」

そう一言、少し恥ずかしそうに青八木は告げる。指に付いた砂糖を遠慮がちに舐めとる姿に少しどきりとした。けれどとりあえず、第一関門はクリアといったところだろうか。

「そっか、それは良かった」

善人そうな笑顔を浮かべて、私は言う。クッキーをあげたのは青八木の気を引くためなので、実際のところは善人でもなんでもない。ただただ、青八木の気持ちをこちらに向かせようという策略を練っているだけだ。しかし長らくそんな努力をしてきていた所為か、最近何となく、青八木の気持ちが私の方へと傾いてきている気がする。

(……ここはひとつ、)

試してみるか。
そう思い、私は席を立つ。すると二個目のクッキーをもぐもぐと食べていた青八木は、口を動かしたままこちらを見上げる。その姿はなんだかげっ歯類を彷彿とさせる。リスみたいな。ハムスターみたいな。
私はもうひとつ持っていた袋をかざして、さも当然のことのように口を開いた。

「もう一つ余ったから、ちょっと手嶋にあげてくる」

さて、この言葉に青八木はどう反応するか。引き止めるか、何か言うか、送り出すか、ノーリアクションか。
引きとめられたら、青八木はそれなりに私のことを気にしてくれていることになると思う。何か言われた場合は言われた内容による。送り出されたりノーリアクションだったりした時は望みはちょっと薄くなるけれど、私は「さも当然のことのように」言ったので、その雰囲気に押されてしまっただけだと保険をかけることもできる。これは我ながら臆病で姑息な考え方だと思うが、そうでもして考えないと青八木は攻略できないと思う。たぶん。
青八木は目を数回ぱちぱちとさせて、どう返答するか迷っているようだった。何気に一番つらいのはノーリアクションだったときだ。何を考えているか判断できないし、純粋に凹む。
青八木は何か言いたげだったけれど、あまり私がここに立ったままとどまり続けているのも変だ。青八木の言葉を待つのもいいけどどのくらいの時間がかかるかよく分からないし、私が引き止めてもらうのを待っていると青八木が気づいてしまったら、ここまで好意を隠して青八木と仲良くなってきた努力が水の泡というやつになる。

「そんじゃね」

ダメ押しの別れの言葉。おまけに手もひらひらと振ってみせた。これで駄目なら流石にほんとに手嶋に渡しに行っちゃうよ。そんな意味を込めたのが分かったのか分からないのか、青八木は何も言わなかったけれど、私がひらひらと振っている手を頼りなげに掴んだ。その手にはクッキーに付いていただろう砂糖が少量ながらくっついていたらしく、ちょっとだけ指先がざらざらとしていた。

「……どしたの?」

内心よっしゃと叫びながらも、私は平静を装って青八木に問いかける。彼に渡したクッキーは残り少なくなっていて、もうそんなに食べたのか、と変なところで感心してしまった。

「……純太には、」

青八木が口を開く。そんな口元にはやはり砂糖が付いていて、そしてそれすらも可愛らしいな、と思えた。

「純太には、部活の時に俺から渡しとくから」

だから、行くなということだろうか。
言葉の続きはなかったけれど、青八木の恥ずかしそうな顔から察するに、きっとそんな想いが言外に隠れているんだろう。そう思うとなんだか微笑ましくて、そして自分の策に狂いはなかったと思うと安堵した。
恐らく青八木が陥落するのには、そう時間はかからない。

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