「失礼します!」

三本ローラーを回していると、ドアが開いて男子部員よりも二回りほど高い声が響き渡る。足を動かしたままちらりとドアの方を横目で見ると、後輩であり部のマネージャーであるみょうじチャンが立っていた。

「顧問から福富部長に伝言です、そして備品整備のため来ました!」

みょうじチャンは最初の挨拶と同じようにはきはきと告げた。
しっかり者のみょうじチャンは、後輩とはいえ三年生にも信頼されている。与えられた仕事はちゃんとこなすし、他の部員への配慮も忘れない。たまにドジを踏むこともあるが、それを含めても周りの彼女への評価はかなり高い。
しかしそんな「しっかり者のみょうじチャン」という肩書きが崩れそうになる瞬間を、俺たちは知っている。

「あぁ、今行く」

俺の隣で、みょうじチャンよりかなり低い声が聞こえる。それとほぼ同時に自転車を回す音が止み、隣でペダルを回していた福チャンが自転車から降りる。壁に自転車を立てかけ、近くに置いてあったタオルを手に取りそれで顔の汗を拭き取りながら福チャンはみょうじチャンの目の前まで歩いて行った。
鉄仮面の福チャンは、寡黙で厳格でとても強い、部のキャプテンでありエースである。弛まぬ努力をし、尚且つ部全体をまとめる力がある。勿論だが、周りの福チャンへの評価はかなり高い。
しかしそんな「鉄仮面の福チャン」という肩書きが崩れそうになる瞬間を、俺たちは知っている。

「えぇと、次の部内レースの事なんですけど……!」

福チャンとみょうじチャンが話しているところを、足を緩めることなく見つめる。よく見れば……というか単に見れば分かることなのだが、先ほどドアを開けた時に比べて明らかにみょうじチャンの頬の色が変わっている。さっきまでは非常に健康的な肌色だったはずなのに、今は遠くからでも分かるほどの真っ赤だ。
これを指摘したら「この部屋が暑いからです!」と否定される気がするけど、この部屋より外の方が暑いのだからその言い訳は通じねェ。

「い、いつも通りAからFのブロックに分かれてレースをします。えと、基本的に1、2年生メインのレースにするつもりだと顧問の先生は仰ってました!」
「なるほど……ではタイム順にブロックを組んでいくか」

続けてみょうじチャンが喋ると、福チャンはもっともらしく返事をする。
福チャンと話す時にみょうじチャンに起こる別の変化は、普段他の部員と話す時にはあまり言わない「ええと」を言うようになったり頻繁にどもったりすることだ。最初は福チャンの威圧感に恐れおののいているだけかと思っていた。しかし、一度俺が何かの拍子にキレた時でもみょうじチャンは全く動揺した素振りを見せなかったので、福チャンに恐れおののいている訳ではないらしい。

「……みょうじチャンって」
「ん?」
「ゼッテェ福チャンの事好きだよなァ」
「そうだな」

ぼそ、と呟くと近くで同じように三本ローラーを回していた新開が頷いた。やっぱりこれは、みょうじチャンの変化を見た者全員の共通理解なのだと思う。
福チャンが気付いているのかどうかは置いておくとして。

「分かった。明後日までにブロックのメンバーをこちらで決めておくと顧問に伝えておいてくれ」
「は、はい!分かりました」
「……いつもすまないな、ありがとう」
「い、いえ!大したことはしていませんし!」

また福チャンとみょうじチャンの方に目を向ける。だいたいの会話は終わったようで、みょうじチャンが福チャンに会釈をしていた。そして聞こえてきたみょうじチャンの謙遜の言葉に、福チャンはしっかりとした声音で反論する。

「いや、みょうじが仕事をきちんとしてくれているお陰で俺達も練習に集中出来る。とても有難く思っている」

声はしっかりとしていたが、表情は柔らかい。……そう、あの福チャンの表情が、みょうじチャンと会話している時は柔らかくなるのだ。普段は表情筋を使ったことがないのではないかと疑いたくなるほどの鉄仮面なのに、こういう時だけ仮面が外れる。そしてその仮面が外れた素の顔は、みょうじチャンほどではないが赤く染まっている。
「ずっとトレーニングをしていたから体温が上がっている。その所為だろう」と否定される気がするけど、いつもはトレーニングしても顔が赤くなったりしてねェだろ、と反論できる。

「……福チャンって」
「ん?」
「あんまそういうの表に出さねェけど、みょうじチャンの事好きだよなァ」
「そうだな」

ぼそ、と呟くとまた近くにいた新開が頷いた。これもまた、福チャンの表情を見た者全員の共通理解なのだと思う。
話が一段落したようで、みょうじチャンは「そ、れじゃあ備品整備させて頂きます。トレーニングのお邪魔にならないようすぐに終わらせますので」とどもった癖にきちんとしたことを言う。福チャンはそれに頷く。みょうじチャンは備品のリストが書かれているらしいファイルを抱えて、そして恐らく無意識的に、落ちてきた左の髪を耳にかけた。

「……みょうじ」

話は一段落したはずなのに、福チャンがみょうじチャンの名前を呼ぶ。俺は、もう話は終わっただろうと思い外していた視線をもう一度二人に合わせた。
福チャンは少し驚いた顔をしており、右手をゆっくりと持ち上げる。

「その傷は、どうした」
「傷?……あ、」

みょうじチャンは確かめるように自分の左手を頬に当て、あぁ、と納得した声を出す。どうやらさっきまで髪で隠れていたところに、傷を作ってしまっているらしい。

「これはさっき、柱にぶつかってしまいましてーー」

みょうじチャンは左手を下ろして、傷が出来た旨を話そうとした。しかしその声は、いきなりスイッチを切られたラジオのようにぶちりと切れる。

「……」
「……」

福チャンとみょうじチャンの間に静寂が落ちる。暫く、といっても数秒だが、二人は固まっていた。みょうじチャンはファイルを抱えたまま、そして福チャンは右手をみょうじチャンの傷に触れさせたまま。
そして数秒経ち、やっと二人は弾かれたようにお互い身を引いた。

「す、すまない……痛そうだと思い反射的に触れてしまった」
「だだ大丈夫です……!き、気にしないで下さい!えと、じゃあ備品整備してきます!」

お互いかなり動揺しているようで、特にみょうじチャンの動揺っぷりは凄かった。ささっと部屋の隅に行き、「さて備品整備するぞー!」と小声で自分に喝を入れている。福チャンも福チャンで、反射的に触れてしまったらしい右手を見つめている。しかもどもっていた。

「……あの二人って」
「ん?」
「もう付き合ったらいんじゃね?」
「……ほんとそうだよな」

ぼそ、と呟くとまた近くにいた新開が頷いた。
これはあの二人のやり取りを見ている者全員の共通理解なのだと思う。

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