「翔くん!」

見慣れたひょろ長い背中に声をかける。すると名前を呼ばれた彼は一瞬ぴたりと動きを止めて、ゆっくりとこちらを振り返った。その顔にはマスクが付けられており、首元にはくるくるとマフラーも付けられている。まだまだ寒く、雪も降るような季節だ。私も彼と同じように首元に付けているマフラーを、口元に引き寄せながら話した。

「さっきな、京都伏見の合格発表見てきたんよ。昨日教えてくれとった翔くんの番号、あったよ!」
「知っとるわ、ボクもさっき見てきたとこやし。なまえちゃんの番号もあったなぁ」
「うん、あったで!」

私が嬉しそうに声をあげると、翔くんは少しだけ目を細めて「おめでとさん」と言う。マスクで口元が隠れているからはっきりとは分からないが、きっと微笑んでくれているんだろう、と思い込むことにした。
私と翔くんは、高校受験を何とか勝ち抜いたおかげで(翔くんは頭が良いから何とか、というほど必死さは無かっただろうが)晴れて同じ高校に通えることになった。しかし私達は別の中学出身で、ついでに言うなら小学校も幼稚園も違う。
そんな私達が一体どこで、どのようにして仲良くなったのか。それを語るには、悲しい過去を引っ張り出してくる必要があった。
私達の出会いは、小学校四年生だか五年生だか、そのあたりまで遡る。交通事故により私と両親が運び込まれた病院に、翔くんは自転車を走らせてお母さんのお見舞いに来ていたのだ。そこで私と翔くんは、偶然出会った。同い年で、そしてお互いに色んな不安を抱えた私達はすぐに意気投合した。そして何回も病院に通い何回も会うことで、私達は学校は違えど友達になれたのだった。その過程で悲しい事は沢山あったけれど、お互い支え合ってなんとかやってこれた、と思う。
「支え合って」なんて、そのテの表現をあまり良しとしない翔くんは眉間に皺を寄せるだろうから口には出さないけど。
ついさっきまで少し離れて先を歩いていた翔くんの隣に並んで、歩を進める。隣に並んだ彼を見やり、私は羽織っているコートのポケットに手を突っ込みながら聞く。

「今日翔くん、ロードやないんやね」

いつもいつも翔くんの隣にある、デローザと呼ばれている自転車が、今日は無かった。それを不思議に思ってそう質問すると、ピギィ、と彼はいつまで経っても聞きなれない声を出す。そして、唯一見える顔のパーツである目を瞬かせた。

「今日朝、ちょっとだけ雪降ってたやろ」
「うん、降っとったね。家出発するくらいの時」
「んで、今日は雪なんかと思て家に置いてきてしもた」

惜しいことした、と翔くんはため息と共にぼやいた。
確かに、今朝は少しだけ雪が降ったので路面が若干濡れている。しかしそれも太陽の熱で蒸発したのか、本当に若干だ。この程度の路面の状態なら、というか雪が降っていたとしても、いつもの翔くんなら迷わずロードに乗るだろう。しかし今日はロードの練習ではなく、高校の合格発表。だから念のため、歩いて京都伏見まで来たらしい。
もしロードで合格発表を見に来ていたら、すぐにロードで家に帰り、すぐに着替え、すぐにまたペダルを踏むことが出来るだろう。けれど徒歩の場合、家に帰るまでに時間がかかる。きっとそのロスタイムが惜しいんだな、翔くんは。
すっかりひょろ長くなった背を隣から見て、私は思う。
昔、翔くんのお母さんが亡くなってしまう直前。翔くんのお母さんは、翔くんに、前に進むよう言ったらしい。その事は、後々になって翔くん自身が教えてくれた。お母さんからの言葉は今でも彼に染み付いているようで、彼はペダルを踏んで前に前に進もうとしている。
けれど彼は、ちょっぴり危ういのだ。ペダルを踏んで、誰よりも速く、誰よりも遠く、何処かへ行ってしまいそうになる時がある。
だから私はそんな時、翔くんをそっと引き止める。立ち止まらないように、けれど速すぎて見えなくならないように。
私はもう一度マフラーを口元まで持ち上げて、それから翔くんの制服の袖をくい、と引いた。翔くんの目が、私を見る。

「ロードじゃないんやったら、今日は私と歩いてのんびり帰ろ」

気の抜けた笑顔を浮かべて、私は言う。翔くんはペダルを踏む時いつも気を張っているから、その隣にいる私は気の抜けているくらいが丁度良いのだ。勝手にだけれど、そう思っている。

「お互い受験勉強ばっかで、最近何も話せてなかったやろ?やから、今日くらいはお喋り付き合うてや」

足元を見て歩調を揃えて、私は言う。
翔くんが遠くに行ってしまわないように、でも彼が進むことを邪魔しないように。
きっと翔くんは、高校でもロードをするだろう。恐らくそのために、京都伏見に入るのだ。私だって翔くんの影響でロードに興味を持ち、高校では自転車競技部のマネージャーをしようと思っているくらいなのだから。
……だから、入学前の今くらいは、ちょっとゆっくりしてもバチは当たらないでしょう?

「……ゆっくり歩いても、前には進めるんやから」

朗らかに言うと、翔くんは何かを考えるようにぼんやりと目線を上にやった。そして数秒上を見て、それから視線を私に戻す。その顔は何となく気の抜けたもので、私の表情に似ていた。

「……せやなァ。たまにはなまえちゃんとお喋りしてあげな、なまえちゃん拗ねてまうもんな」

ププ、と独特の笑い声をあげる翔くん。ちょっとだけ子ども扱いされた気がするけれど、翔くんがゆっくり進むことを選んでくれたのだから、この際細かい事は気にしないようにしておこう。
私は無意識に口角を上げながら、翔くんとまずは何のお喋りをしようか、と思案した。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -