鳴子くんに肩を支えられながら、だるい体を引きずって保健室まで辿り着く。体が本調子ではない所為か、いつもより道のりが長く感じた。早く保健室のベッドに横になってしまいたい。そう思いながら引き戸を開けようとすると、引き戸にぺたんと小さなメモが貼ってあるのが見えた。鳴子くんもそれに気付いたようで、ぺりっとそれを外して読み上げる。

「急用が入ったので少し留守にします、四時間目終了後には帰ってきます……やって。保健の先生の書き置きか?」
「そうだろうね。でも先生いなくても鍵は開いてるっぽいから早く寝たい」
「はいはい、了解しましたぁー。ちゃんと運んだるからなー」

おちゃらけた感じで返事して、鳴子くんは引き戸を開け、カーテンで仕切られたベッドの方へ連れて行ってくれた。有難い。
そしてベッドに私を腰掛けさせ、カーテンを閉める時には「あ、寝る時はブレザー脱げよ。あと寝返り打つとき邪魔なったらあかんから髪解いとき」と注意してくれた。有難い。有難いけど、お前はオカンか。
そんな事を思いながら、言われたとおり羽織っているブレザーを脱いで髪も解いてベッドに横になる。やはり横になると、少しは楽になった気がする。
楽になると、色々と考える余裕が出てきた。
保健室。連れてきてくれた男子生徒。先生がおらず二人きり。
これらのワードは、いつも私が意識している「恋愛フラグ」としてはなかなかに高レベルな物だと思う。今私はこの三拍子揃った状態にある。
しかし今、三拍子揃っているにも関らずテンションが上がっていない。
それは何故か。
自分でも一瞬疑問に思ったが、少々熱っぽい頭でも案外すぐに答えに辿り着いた。

まず第一。
これらのワードが最大限に生かされるのは怪我の時であり、病気の時ではない。
怪我の時に二人きりになれば、保健室に連れてきてくれた男子が手当をしてくれる。そういうシチュエーションが少女漫画ではよく見かけられる。「ったく、女の子なんだから気を付けろよ」と憎まれ口を叩きながらも手当する姿は、全国の少女漫画ファンを魅了している、と私は思う。
けれど病気の場合、少女は大抵ベッドに寝かされ、辛そうな顔で眠りについている。この場合男子キャラは手当も会話も出来ない状況であり、少女の寝顔を見つめながら「……ゆっくり休めよ」と独り言を呟く事しか出来ない。それもそれで味があっていいのだが、この場合私が寝ている間にイベントが終わってしまう。

そして第二。
病気の時の独り言イベントは、カーテンを閉められた時点で実現不可能である。
先ほども言ったように、独り言イベントは男子が少女の寝顔を見ながら憂いを帯びた声で言うのが鉄板なのだ。しかしついさっき、鳴子くんは勢い良くカーテンを閉めた。しかも躊躇なく。これでは男子は少女の顔を見ながら何かを言うことは出来ない。……まぁ現実ではそれが普通なんだろうけど。
それにより、独り言イベントのフラグもぽっきり折れた。

最後に第三。
綺麗にフラグを回収したとしても、相手が鳴子くんである。
これは説明する必要はないと思う。相手は鳴子くん以上でも鳴子くん以下でもない、鳴子くんだ。
どうも私の想像している王子様タイプとは対極にある人物だからか、鳴子くんとのフラグ回収は正直あまり気乗りしない。
鳴子くんには大変失礼な事を言っている自覚はある。
でもやはり、鳴子くんをそういう目で見たことはまだない。友達としては好きだけれど。

熱っぽい頭でも冷静に考えられた事に妙な達成感を抱き、その直後妙な喪失感に苛まれる。フラグがもう折れているということと、こんな事に頭をフル回転させる自分がちょっと阿呆らしいということに、だ。
布団を口の辺りまで持っていき、口を隠して自嘲した。
するとカーテンの向こうから、鳴子くんの通った声が聞こえる。

「みょうじさん、ちょっとカーテン開けてええかー?」

何だろう、と思いつつ「いいよー」とか細い声で答えると、鳴子くんはカーテンを開けた。何やらプリントのようなものとシャーペンを持っている。それ何、と聞くと、保健室入室カードやで、と鳴子くんは答えた。

「みょうじさん調子悪いから、ワイが代わりに書いたろー思って」
「有難いけど適当な事書かないでね」
「適当な事書けんからみょうじさんに聞きながら書くんやって!」
「だからカーテン開けたのか」

何処からかパイプ椅子を引きずってくる鳴子くんを見ながら納得する。
ベッドの横に置いたパイプ椅子にどすんと座ると、「あーあー、では今から質問しまーす」とふざけて言った。鳴子くんのふざけ方は、風邪の時でもそんなに気に障らない。その理由は分からないけど。

「お名前はー?」
「分かるでしょ」
「まぁ分かるわ。みょうじなまえ、と。保健室に来たのはいつですかー?」
「いや、それも分かるでしょ」
「分かるわ。四時間目ーっと。症状は?」
「頭痛と鼻詰まりと喉の痛みかな」
「重症やん」

そんな調子で質疑応答を続ける。
途中で「そういえば鳴子くん教室帰らないでいいの?」と聞いたら、「保健の先生おらんしみょうじさんが無限にゲロったので介抱してましたーって言うから大丈夫や!」と笑った。サボりたかっただけなんだろう。あとその理由付けは全く大丈夫じゃない、私の世間体が死ぬ。

五分くらいの質問で、保健室入室カードの記入は終わったようだった。鳴子くんはシャーペンの芯を戻し、よし、と呟く。

「書き終わった?」
「終わった終わった」

そう言って、鳴子くんは微笑む。
鳴子くんの笑顔は他意が無く純粋だから、見ていて落ち着く。そう思っていると、急に鳴子くんの手が私の頭の上に降ってきて、髪をわしゃわしゃと撫でた。

「ゆっくり休みや、早よ治るとええな!」

そんな台詞付きで。
うん、と当たり障りのない返事をしてみたが、内心びっくりしていた。

ま、まさか。
まさか全く期待していなかったこの状況で、しかも鳴子くん相手で、フラグが回収されるなんて。
相手はイケメンが良かったけど、この際それはどうでも良い。望みが無いと思われていた状況で、保健室イベント病気バージョン(プラスα頭なでなで)が叶うなんて。やばい妙にテンション上がってきた。それによく見たら鳴子くんも整っている顔をしているような気がしないことも、なくもなくもない。やばいテンションと熱が上がってきた。上がってきた!

高揚するテンションをこれでも必死に頭の中で押さえつけながら、鳴子くんに「ありがとう」と言ってみる。
鳴子くんは「それほどでもあるけどなぁ!」といつものようにカッカッと笑った。
その時、四時間目終了のチャイムが鳴る。
すると鳴子くんの顔からは笑みが消え、じわじわと焦ったような顔になった。

「……みょうじさん。これ次昼休みやんな」
「う、うん」

急に表情が変わった鳴子くんにちょっとびっくりしながら、私は答える。そして私が答えたと同時に、鳴子くんは叫んだ。

「あかん!!早よ購買行かんとパン売り切れてまう!!!!」

言い終わるか終わらないか、鳴子くんは走り出した。ばぁん!と保健室の引き戸が開けられ、無造作に閉められる音が聞こえる。私が事態を理解した時には、もう保健室周辺から鳴子くんは消えていた。
パイプ椅子の上に置かれたシャーペンとプリント、開けっ放しのカーテンを見て、私は我に返った。

フラグ成立しても、鳴子くん相手じゃ……駄目か。

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