「でも、福富くんには会わなきゃいけないって思ったんだ」

みょうじの声がした。シャッターの音がした。
シャッターを切った後も、みょうじは数秒ポラロイドカメラを構えたまま動かないでいた。そしてようやくカメラを膝の上に下ろした頃、カメラから音がして現像された写真が出てきた。

「いつものカメラと違うな」

それだけ言うと、うん、とみょうじは頷く。
触ってみる?とこちらにカメラを差し出してきたが、人の物であるし使い方もよくわからないので丁重に断った。そっかぁ、と笑うみょうじの顔には西日が薄っすらと差している。

「ポラロイドあったから出してきた」
「一眼レフ以外にも、持っていたんだな」
「まだ親が離婚してない頃に買ってもらったやつなんだ」
「…………なるほど」
「あ、別に古傷でもなんでもないから気にしないでいーよ離婚とか」

俺が少し口籠ったのを気付いたのか、みょうじは手をぱたぱたと振りながらなんでもないように言う。
実際気にしているのか気にしていないのかは、その表情では分からない。あぁ、と返事するとみょうじは口角を上げて小さく息を吐いた。
そしてポラロイドカメラから出てきた写真を掲げて、ん、と呟く。

「なかなか綺麗に撮れた」

手を伸ばして、こちらに写真を見せる。「あぁ」と肯定すると「福富くん持ってよー」と言われたので、手を伸ばして写真を受け取る。その写真は西日の光の一筋が綺麗に伸びている瞬間を捉えており、バランスを取るかのように梅の木がひっそりとフレームインしていた。

「上手いな」

そう言うと、みょうじはやはり笑って「被写体が良いだけ」と軽口を叩くように言った。

「やっぱ私はまだまだだよ。お金あったとしてもカメラマンは無理かなぁ」

謙遜するみょうじに何かしら声をかけようとしたが、何を言えば良いか見当がつかない。
とりあえず写真を返そうとみょうじの方に手を伸ばす。けれどみょうじはそれを一瞥すると、「いいよ」とだけ言った。

「それ、あげる」
「綺麗に撮れているのに、いいのか」
「綺麗に撮れたからあげる」

それでもみょうじに写真を返そうとすると、しっしと手で払われる。仕方なく貰っておくことにすると、「それでよし」とみょうじは言った。初めて話してから半年以上経つが、未だにみょうじのことはよく分からない。
みょうじはぐぐ、と背中を逸らして伸びをする。
木の上でそんな事をすると危ないけれど、特にぐらりと揺れたり地面に落ちたりすることはなかった。意外と器用なのかもしれない。それか、本当に野生児か。
そんなくだらない事を考えていると、みょうじは首だけこちらに向けて俺を呼ぶ。

「なんだ」

そう返事すると、透った声でみょうじは話し始めた。冬に聞いた掠れたアルト寄りではない。いつもの、ソプラノとアルトの中間。でもいつもより、どこか優しい声音だった。

「さっきさ、福富くんに会わなきゃいけないって思ったって言ったじゃん」
「あぁ」

その話は終わったのかと思っていた。そう言うと怒られそうだったので、軽く相槌を打つ。その質問に関しては最初「どうしてだ」と聞こうとしたのだが、なんとなく聞くのは野暮な気がして言わなかったのだ。
みょうじは器用に体を動かし、今まで西日の方を向いていた体をくるりとこちらに向けた。落ちるのではとまたヒヤッとしたが、その心配は無用だった。
そして人差し指をぴっと伸ばし、こちらに向ける。

「どうしてか、わかる?」

いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、みょうじは問う。
会わなきゃいけないと思った理由を聞かれても、俺とみょうじはあまり関わりがなかったため心当たりが思い浮かばない。恋愛的な関係でもないから、ロマンチックな意味が含まれている訳でもないだろう。何かはっきりとした理由はあると思うのだが、俺の想像力が乏しいのか、どうしても答えは見つからなかった。
頭を悩ませている俺を見てみょうじがどんな反応をするのか気になって目をやると、特に何の反応もしていなかった。恐らく分からないだろうと思っていたらしい。それはそれで失礼だなと思いつつ答えを促すと、みょうじは俺に向けた人差し指をようやく下ろす。そして、透った声で、言う。

「誕生日おめでとう」

その透った声は、耳に突き刺さる。
予測していない言葉が出てきたので、驚いて目を見張った。確かに今日は俺の誕生日なのだが、みょうじが俺の誕生日を知っていることがそもそもの驚きだった。

「それを言わなきゃいけなかったからさ」

誕生日プレゼントは用意出来なかったから、さっきの写真がプレゼントね。みょうじはそう言い、くるりと俺に背を向けた。木の上でよくそんなに自由に動き回れるな、と少し感心する。

「知っていたのか、誕生日を」
「少し前に友達に聞いた。色々思うところがあって」
「……何故だ」

あまり、俺達は関わりがない。俺はそう思っているが、きっとみょうじもそう思っているだろう。そんな相手の誕生日を祝うだろうかと思ったが、みょうじは普通のように見えてよく分からない性格をしているから、常識で考えては答えは出ないのだろう。きっと。
そう考えていると、みょうじはぼそりと話し始めた。まだ少しだけ残っている日の光は、目に染みる。

「福富くんには助けられたからね、色々と」
「……助けた記憶は、あまりないのだが」
「冬にゲロってるとこ介抱してくれたりとか?」

みょうじは陽気に笑ったが、その笑みはすぐに穏やかなものに変わった。

「まぁそれだけじゃなくてさ。……その時色々話聞いてくれたりとか、悪行の数々を知っててくれたりとか。大した事じゃないんだけど、皆に隠してやってたことを福富くんは知っててくれたから。それだけで結構救われたんだよ、私単純だし」

今、みょうじは俺に背を向けている。だから表情は見えない。そして、どんな表情をしているのか見当もつかない。
俺がそう思っている間にも、みょうじは淡々と、けれどどこか優しさを含んだ声音で続けた。

「福富くんに救われたからさ、お礼をずっと言いたかったんだ。でも、色々ありすぎて何に対してお礼を言えばいいかわかんなくなって、だからもう、出会ってくれてありがとう、って言おうと思って」

そこで、言葉を切る。
太陽はもう、上の縁の辺りしか地平線上には無かった。もう辺りは薄暗くなっていて、見渡す限り俺とみょうじ以外に人は見つからない。やけに静かで、風の音も聞こえない。だからだろうか、みょうじが息を吸う音が、聞こえた。

「出会ってくれて、ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。それから、誕生日、おめでとう」

みょうじの表情は分からない。
けれど、きっと笑っているのだろうと思う。
ここまで言われると、俺も流石に少し気恥ずかしくなる。それを悟られないように、いつものような堂々とした声でありがとうと言うと、みょうじは、何で福富くんがありがとうって言うの、と今度は声をあげて笑った。その声はとても晴れやかで、こっちまで頬が少し緩むのを感じた。

「さて、言うだけ言ったし、そろそろおいとましよっかな」
「帰るのか」
「うん、今日も夜バイトあるから準備もしなきゃだし」
「そうか」

するすると器用に、ポラロイドカメラが木に当たらないように降りていくみょうじを見る。
みょうじは、今日俺に沢山の言葉を与えてくれた。特に祝福の言葉は、こちらが照れ臭くなるほどだった。

(しかし……)

はた、と考える。
しかし、俺はどうだろう。
離婚の話や、カメラマンの話の時。みょうじに何か言おうとしても口籠ったり、良い言葉をかけてやれなかった。
みょうじは俺に救われたと言った。だが俺はいつだって受け身で、ただの一度もみょうじに何かをしてやったことは無かった。

(……俺は知ったり、話を聞いたりするだけでいいのだろうか?)

地面に足がついたみょうじを見下ろす。みょうじは無邪気に笑ってこちらに手を振る。手を振るのは慣れていないから、俺は軽く手を上げる。
ばいばい、と言うみょうじは、今にも歩き出そうとしている。
このまま別れていいのだろうか。
ふと、そう思った。
学校は卒業した。みょうじは恐らく箱根に残るが、俺は東京に出ていく。すると、もう会う機会などない。きっとみょうじは、もう会う機会が無いと分かっていて、今日わざわざ俺に会いに来たんだろう。春休みが終わり学校に行けば会えるような、もうそんな間柄ではないのだ。
そう思うと、胸の奥の方で何かがせり上がってくるのを感じた。自分でもよく分からない衝動が、喉から外へ出ていく。

「みょうじ!!」

気が付けば、大声で名前を呼んでいた。ぴた、とみょうじの足が止まる。いつもは見れない驚いた顔が、そこにはあった。
けれどそれを気にせず、俺は衝動に任せて、口をついて出る言葉の行方を見守った。


「みょうじ、俺は……俺は将来、プロのロードレーサーになる。 恐らく良い被写体になるだろう。だから俺がプロになった暁には、カメラマンとして俺を撮りに来い」

とにかくみょうじに言葉を伝えよう、それだけを考えた。それだけを考えていたから、少し内容が支離滅裂になったかもしれない。だが俺はこの言葉の中に、無意識のうちに沢山の想いを詰め込んでいた。

プロのロードレーサーになるつもりだということ。みょうじにカメラマンになってほしいということ。またどこかで会おう、ということ。

みょうじがそれら全ての意味を綺麗に受け取ったかどうかは分からない。
けれど、木の下にいるみょうじを見やると、彼女は真っ直ぐにこちらを見て頷いた。

「それまでにお金貯めて、カメラの腕も磨いて、って多忙だね。頑張るよ」

だから福富くんも、頑張って。
ごく普通と形容される声。でも耳に残る声。
そんな声でみょうじは言うものだから、俺もみょうじがやったのと同じように頷いた。

春になると、嫌でも状況は変わっていく。それら全てを受け入れて、俺達は生きていかなければならない。
強く、生きよう。俺も、みょうじも。
そう思って、もう日が沈んだ空を見上げた。


end

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