少し潤った唇を舐めると、メントール配合のリップクリーム特有の涼しさがあった。カサつきがちな下唇も、女子力の高そうな物を塗るだけでわりかし改善される。それに初めて気付いたときから頻繁に塗るようになったのだが、どうも自分で買いに行くのは恥ずかしかったりして。だってリップクリームって、だいたい買うのは女子なんだろ?

「また私のリップ、勝手に使ったでしょ」

眉を吊り上げながら言うアイツは、右手に緑色のラベルのリップクリームを持って、左手は腰に当てて俺の方を見上げていた。
その緑色のリップクリームは、俺がさっき唇に押し当てたばかりのもの。俺はいつものように、悪びれもせず首を縦に振る。

「机の上にあったから、つい、な」

悪いのは俺ではなく、乾燥しているこの空気が悪いのだ。そんな言葉をアイツに投げかけると、アイツはいつものようにはぁぁ、と大きくため息をつく。そんなに俺に使われるのが嫌なんだろうか。それはそれで、少し傷付くんだが。

「今泉が使った後ってだいたいスティック出っ放しで蓋にぐちゃって付くんだけど」
「悪かったって。つうかあんな一本90円くらいのじゃなくてもっと良いリップクリーム買えよ」
「うっわ、使っといてその言い草!成金にはわかんないよ安物の良さは」
「別にそういうんじゃねえけど」

蓋の閉め方やリップクリームの戻し方については俺にも悪いところがあったので、一応形ばかりの謝罪をする。だがその後に即座に出てきた言葉にアイツは反応して、やんややんやと声を上げた。
アイツの使うあの緑色のラベルのリップクリームは、ドラッグストアでよく安売りされているのを見かける。売られる店によるかもしれないが、恐らく業界最安値。そんなものより、ハチミツ成分配合だとか赤ちゃんのようなぷるぷる唇に!だとかそういった女子受けの良さそうな商品の方が良いのではないか。実際そっちの方が「良い匂いのするリップクリームだな、貸してくれ」と声を掛けやすいのに。

「いつも使うクセに、これ苦手なの?メントール無理とか?」
「いや、そうじゃない。他のも試してみたいと思うだけだ」
「じゃあ自分で買えばいいじゃん」
「男には買いづらいんだよ」

そんな会話をしつつ、アイツはリップクリームの蓋を取り唇に当てて、隈なくクリームを塗っていく。
乾燥に俺より敏感なアイツは、気付いたらリップクリームを塗っている。休み時間であろうと授業中であろうと昼ご飯を食べているときも移動中でも、乾いているなと感じたらすぐに。だからアイツの唇はいつも潤っていて、ハチミツ成分配合じゃない、「赤ちゃんのようなぷるぷる唇に!」と銘打っていない、ただの安物のその辺で90円で買えるようなリップクリームで塗りたくられているのが嘘みたいだ。
それに触れたいと思うけど、触れることなんて叶わない。俺たちはそんな事を気軽に出来るような間柄ではない。

「てか今泉が私の使う度に間接キスしてるってことになるんだよ。そのへん気にしないタイプ?潔癖かと思ってたんだけど」
「……べつに。潔癖症ってわけじゃない」
「ふーん。意外」

ひたすらぬりぬり、塗り終わったアイツはブレザーのポケットにリップクリームを仕舞い込む。
間接キス、気にしてないわけじゃない。潔癖症かと聞かれればそれほどではないかもしれないが、正直人のリップクリームを使うのに抵抗はある。
けどお前のリップクリームを頻繁に使うってことは、つまり、そういうことなんだよ。
心の中のそんな想いを口にすることはない。アイツは壁に寄りかかって息を吐いたので、俺も同じようにして息を吸って、吐いた。メントールの爽やかさが空気とともに入って、そして出ていった。

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