表彰台から帰ってきた彼らに賞賛の拍手を送る。皆疲弊しているけれどとても満ち足りた顔をしていて、そんな彼らにサポートに回っていた私たちも顔をくしゃくしゃにして笑いかけた。

そんな感動もそこそこにして器材やボトルの片付けをしていると、ちょんちょん、と肩を突つかれる。
くるりと振り向くと、そこにはペットボトルにストローを差してスポーツドリンクを飲んでいる巻島くんが立っていた。最初の頃はその飲み方に疑問を抱いていたものの、三年も見ていると慣れてくる。だから飲み方には突っ込むことなく、片付けの手を一旦止めて巻島くんの方に向き直った。

「巻島くん、お疲れ様。おめでとう」
「お前らもサポートありがとな」

クハッと独特な笑い方をする巻島くん。何となく、それを久しぶりに聞いた気がした。インターハイが終わって、やっと息がつける状況になったということなんだろう。
そのまま「優勝おめでとう」「ありがとう」の応酬で終わると思っていたら、巻島くんは不意に私から視線を外す。そして少し遠くを見ながら、何やらアイコンタクトをしたり相槌を打ったりしていた。なんだなんだと思っていると、またもや急に巻島くんは私と視線を合わせる。

「みょうじ、オーケーサイン出たっショ」
「……え、何の?」
「寒咲や手嶋達から。さ、箱学んとこ行ってこい」

そう言い終わるや否や、巻島くんは私の肩をぽん、と叩いた。なんで、と疑問を口に出そうとすると、そんな私の後ろから声が聞こえる。

「なまえ先輩、ファイトです!」

振り向くと、そこには目が爛々と輝いている幹ちゃん。幹ちゃんはどうやら全て察しているようだ。その横にいる手嶋くんや青八木くん、杉元くんは詳しいことは分かっていないようだったが、巻島くんのアイコンタクトでおぼろげに伝わったようで、「片付けは俺らでやっときますんで!」となんとも頼もしい一言を言ってくれた。
私は再度巻島くんの方を向いて、浅くため息をつく。

「後輩達に応援されると、引き下がれないというかなんというか……」
「引き下がらせないように寒咲には根回ししといたっショ」
「策士だね」

はは、と乾いた笑みを浮かべる。
巻島くんの策略に呆れているように見えるかもしれない、そんな笑みだ。けれど実際の私は巻島くんの策に呆れていた訳でも、感心していた訳でもない。笑い声は乾いているくせに、震えていた。

「緊張してんのか」

そんな私に気付いたのか、巻島くんは言った。私はその言葉に、少しだけ息を吸った。
緊張していない、わけがない。
箱学のところに行くということは、つまりは「東堂くんと片を付ける」ということなのだ。
このインターハイで、東堂くんが山岳リザルトを獲って。東堂くんとの関係を考えて。幹ちゃんに大切なことを教えてもらって。そしてやっと、踏ん切りがついた。それは事実だ。けれどいざそれを伝えに行くとなると、話は違ってくる。今まで散々、私は東堂くんの好意を無下にしてきたのだ。お互い好きなのに一方的に別れを告げて、しかもその理由は私の惨めな気持ちで、そして私の気持ちが固まるまで東堂くんを待たせてしまった。もう随分、東堂くんを待たせてしまった。そんな私が今更固まった気持ちを伝えてどうなるんだろう。遅過ぎやしないだろうか。知らぬ間に、もう駄目になってしまっていたりしないだろうか。そんな想いが、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。

「緊張?」

私は巻島くんの言葉をオウム返しのように繰り返す。吸ったはずの息は浅過ぎて、喉を上手く通らない。

「緊張してる。とても」

息が吸えないので、必然的に短い言葉になる。そしてその短い言葉を必死に紡いで、私は巻島くんに伝えた。東堂くんは、まだ待ってくれているのだろうかと。それが不安でたまらないと。
要領を得ない言い方だったので、巻島くんに私の意図が明確に伝わったかどうかは不明だ。言い終わった私を見て、巻島くんは言葉を探している。巻島くんは人を励ましたり、気の利いた言葉をかけるのが苦手だ。それをよく知っているから、巻島くんが私にどんな言葉をかけるのか見ものだ、と、緊張しているくせにどこか達観した考えをしていた。恐らく、ちょっとでも緊張をほぐすために現実逃避がしたかったのだろうと思う。
巻島くんは数回口を開いたり閉じたりを繰り返した。そして、五回目に口を開いたとき、やっと声を出した。

「俺はお前がどうしようと自由だと思ってるけどよ」

一回、巻島くんは言葉を切った。そして斜め上を見上げる。人が斜め上を見上げる時、それは何かを思い出している時なのだとどこかで聞いた覚えがある。巻島くんも、何かを思い出しているのだろうか。

「けどよ」

巻島くんはもう一度言う。
斜め上から視線を戻して、目は完全に私の方を向いていた。

「東堂は待ってるぜ」

お前のこと。
そう言った巻島くんの声は確固としたものだった。
そして、私の後ろに回り込んで、文字通り私の背中を押す。軽く押されただけなのに、そのまま私の体は大きく前へと踏み出した。「行ってこい」と巻島くんの声が聞こえる。幹ちゃんや手嶋くん達の声も聞こえる。何故かインハイメンバーまでも「ケリつけてこい!」「頑張ってください!」「箱学のテントはあっちだぞ!」とかなんとか言ってくるので、いつの間に部内に広まってたんだろう、と苦笑した。苦笑しながら、走り出した。
「待つくらいなら、良いだろう?」と、数ヶ月も前に聞いた東堂くんの震えた声が、今になってリフレインしていた。



今総北の私が箱学のテントに行くのはかなり大きな爆弾を抱えている行為なんじゃないかと気付いたのは、箱学のテントの目の前まで来てしまった時だった。それに気付いた時は夏の暑さの所為じゃない汗が背中を滝のように流れたけれど、丁度テントから出てきた人に声をかけたら優しく対応してくれたので少し安心した。ちょっと唇の厚い、茶髪の人だった。

「あぁ、尽八ならあっちの自販機に飲み物買いに行ったぜ」
「そっか、ありがとう!」

お礼を言うと、彼は微笑んで「頑張れよ」と言ってきた。それに曖昧な笑顔で対応して、指差された方に駆ける。
そういえば、さっき対応してくれた人の声に聞き覚えがあった。ぼんやりとした記憶だから確証はないけど、確かバレンタインデーに東堂くんに電話した時に電話口から聞こえてきた声にとても似ていた気がする。さっきの「頑張れよ」という言葉は、私と東堂くんの関係を知っていたから出た言葉だったのだろう。
私と東堂くんは、気付かないうちにたくさんの人に心配されて、たくさんの人に応援されていたのかもしれない。そう考えると、なんだか心臓の奥がむず痒くなった。こんなに心配されておいて、私は今の今まで動かなかったんだ。
そんな気持ちが芽生えると、居ても立っても居られなくなった。
早く、東堂くんに会いたい。
早く、一歩を踏み出したい。

「っ……」

ここを曲がって、少し行くと自販機があるはず。
そう思いつつ、目の前の角を曲がると、見覚えのある後ろ姿が見える。箱学のサイクルジャージ。肩の辺りまで伸びた髪。細いのに、しっかりと筋肉のついた体。
反射的に彼の名前を呼ぶ。大声で呼びたかったけれど、走り続けた所為で切れ切れになった。それでも、彼はぴくりと肩を震わせる。
彼が振り返るより早く、私は彼に辿り着く。足の勢いを殺せないまま、けれど勢い良く飛びついて彼を転ばせないように、抱きついた。

「……なまえちゃん」
「東堂、くん」

抱きついた私は、東堂くんの肩の辺りに顔をうずめる。だから東堂くんの顔は見えないけれど、彼がこちらを振り向いて、少し笑ったのがわかった。

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