しとしとと雨が降る。
梅雨がやってきて、そしてそろそろ去っていく頃だ。じめじめとした空気を残したまま、しかし確実に気温は夏のものになっていく。こんな気候の日に自転車に乗るのは正直気乗りしないが、だからといってそれは自転車に乗らない理由にはならない。汗を流しながらインターハイ出場メンバーで並んで室内でローラーを回していると、時間を計っていたらしい後輩達が「終了です!!」と大声で叫んだ。
ローラーを回した後は、15分ほどの休憩時間がある。その間に替えのタオルを取ってこようとロッカー室に向かおうとすると、さっきまで一緒にローラーを回していた隼人もそれについてきた。

「隼人もロッカー室に行くのか?」
「ああ。替えのタオルと替えのパワーバーを取りに行こうと思ってな」
「本当に良く食べるな、お前は」

つい先ほどももぐもぐとパワーバーを食べていた隼人の姿を思い出し、俺は呆れる。そういえば四ヶ月ほど前のバレンタインデーでも、隼人は呆れるくらいチョコレートを食べていた。よく胃袋に全て入るものだと逆に感心したものだ。まるでハムスターのようにチョコレートを頬張る隼人を思い出し、苦笑してみせた。
そしてそれと同時に、バレンタインデーになまえちゃんと交わした電話、メールを思い出す。今ではもう踏ん切りがついていることなのだが、やはりあの時のことを思い出すだけで心臓がぎゅっと縮まるのを感じた。
少し歩くと、ロッカー室のドアが見えた。そのノブを掴んでくるりと回すと、見慣れた光景と少し汗臭い匂いが俺達を出迎える。休憩時間の間だけでも換気をしようと思い窓を開け、そして自分のロッカーを開けて替えのタオルを取り出した。洗剤の匂いがするそれは、なかなかに良い柔軟剤を使っているからか肌触りも柔らかだった。タオルを取り出したついでに、ロッカーの中に置いてある鏡で自分をチェックする。少し乱れていた髪型を整えていると、少し離れたロッカーでタオルとパワーバーを探していた隼人がふとこちらに向かって声をかけてきた。

「そういえば尽八」
「なんだ?」

カチューシャからはみ出た前髪をちょいちょいと弄りながら、隼人の方を向く。驚いたことに、隼人はもう既にパワーバーに齧りついていた。
部活で食べるやつではないのか、それは。
俺がそう思っている間にもパワーバーは隼人の口の中に消えていき、口の中にあったそれをごくりと飲み込んでから、やっと隼人は続きを話し始めた。

「おめさん最近調子良いな」
「……そうか?フクもそんな事は言わないが」
「最近っていうより、四月以降調子良いな」
「それは最近とは言わないと思うぞ」
「そうかな」

はは、と低い声で笑う隼人を見ながら、俺は春先の自分の様子を頭に思い描いた。
確かに、自分で言うのもなんだが春先から俺は調子が良くなった。というより、調子の悪かった状態から調子が以前のように戻ったという方が正しい。そしてその理由は自分自身がよく分かっている。なまえちゃんと会い、なまえちゃんの気持ちが定まるまで待つと伝えたからだ。ずるずると失恋を引きずっていた俺は、あの時やっと自分の想いに正直になれた。そしてその瞬間から俺の中で燻っていたどろどろとした感情は少しずつ消えていき、以前の調子を取り戻すことが出来たのだ。だから言うタイミングは結構遅いものの、隼人の言ったこと自体はかなり的を射ていた。
隼人は新しいタオルで顔の汗を拭きながら、更に声をかけてくる。

「何か良いことでもあったのか?彼女と復縁したとか」
「近いが復縁はしてないな。というか、隼人は俺がなまえちゃんと別れたと知っていたのか?」
「知らなかったけど、二月三月の尽八のダークサイドっぷりを見てたら予想は出来たぜ」
「俺はそんなに顔に出ているのか」

少々顔を引きつらせながら聞くと、隼人はこくこくと頷いた。
以前フクに調子が悪いなと言われた時も思ったのだが、俺は自分の感情が顔に出やすいのだろうか。少なくとも今まではそんな事言われたことも無かったのだが、ここ数ヶ月はとにかく顔に出ているらしい。もう少しメンタル面で強くならなければいけないな、と痛感した。
換気していた窓を閉めた後、俺はタオルを、隼人はタオルとパワーバー二本を持ってロッカー室から出る。壁にかけられた時計を見ると休憩時間は残り五分ほどだった。練習場までてくてくと歩きながら、よほど気になることなのかただ単に暇だからか、また俺に問いかける。

「復縁に近いって、どういうことだ?」

耳障りの良い低い声を聞きながら、俺はその問いの答えを考える。どう言えば良いのか、しっくりとした答えはなかなか出てこなかった。うーむと唸りながら、練習場までひたすら歩く。ちらりと隼人を見ると、あいつはまたパワーバーをもさもさと頬張っていた。自転車でカロリー消費するから良いものの、本当に食べ過ぎである。そんな隼人にまともに取り合っているのも何だか馬鹿らしくなり、俺はまた苦笑しながら呟いた。

「まぁ端的に言えば、覚悟が決まったら俺とまた付き合ってくれと告げたのだ」
「へぇ。やけに挑戦的だな」
「言い方はもっとマシだがな」
「だろうな」

パワーバーを食べながら、そして甘ったるい顔で女子にやるようにこちらに指を向ける隼人。バキュンと指でこちらを撃つ真似をしてみせた。そして「まぁおめさん顔良いし甲斐性もあるしな。すぐ彼女も戻ってくるだろ」と微笑む。それを聞きながら俺はカチューシャからはみ出た前髪を触り、苦笑ではない笑みを浮かべた。

「まぁ俺はトークが切れて山も登れる美形クライマーだからな。だが少なくとも、インターハイが終わるまでは彼女は戻ってきてくれんだろうな」

総北高校の自転車競技部マネージャーという肩書きを持つなまえちゃん。
インターハイという一大イベントが終わるまではもし覚悟が決まっても俺に気を遣い、それを告げることはないだろう。そして、それは俺自身もそうだ。どんなに待ち切れなくなったとしても、インターハイが終わるまでは決してなまえちゃんを急かしたりはしない。お互いの、恋愛とは違う、別の大事なもののために。

この恋路に決着がつくのは、夏が終わったその後だ。

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