いつもより少しだけ遅く部室に到着すると、もう既に部員は皆揃っているようだった。普段は部員より早めに来て出迎える立場だから、なんだか慣れなくてむず痒い。おはようございます、と言うとその場にいる皆から口々に返事がきて、それを聞きながら部室の隅っこに自分のリュックを置いた。

「珍しいなぁ、みょうじさんが一番来るの遅いんって」

ロッカーをぱたんと閉めながら、ノブ先輩がそう声をかけてくる。ちょっと呼び出しをくらっちゃいまして、と笑うと、「みょうじさんでも呼び出しされることなんてあるんやなぁ」と目を丸くされる。
きっとノブ先輩が想像している呼び出しと私の言う呼び出しには相違があるのだろうけど、いちいち訂正するのも面倒だったのでそのままにしておいた。
ノブ先輩やヤマ先輩は自身の準備を終えると、アップを始めると言っていつもより早く部室から出た。アップを終えて一旦部員が部室に戻ってくるまでに、マネージャーがしなければならないことは多々ある。人数分のドリンク作りにその日の部活で使う備品の準備、その他いろいろ。
とりあえずドリンクの準備から始めるか、と製氷機の前に立って作業をしようとしたときにふと未だに部室に残っている人物の視線に気が付く。くる、とそちらを向いてみると、想像していた通り御堂筋くんがビンディングシューズをいじりながらこちらを横目で見ていた。

「なに、御堂筋くん」

首だけを御堂筋くんの方に向けたままそう聞くと、シューズを履き終えた彼は自分のスポーツバッグをごそごそと掻き回してボトルを二本取り出した。
あぁ、ボトルを渡そうとしていたのか。
普段なら私が先に来ているから、皆部室に来たときにボトルを私に預けているのだ。だが今日は私が最後だったので、先輩たちのボトルは製氷機の上にちょこんと置かれている。御堂筋くんは置き忘れていたようで、今それを差し出してくる。
二歩ほど御堂筋くんの方へ進んで受け取ろうとすると、何故だかひょい、と交わされてしまった。

「もう、どしたん」

ボトルを受け取ろうとして、交わされてを数回繰り返す。御堂筋くんは腕が長いから、ベンチに座ったままでもその長い腕を駆使して私の追求からするすると逃れていく。一方私は御堂筋くんよりかなりリーチが無いので、彼の目の前でうろうろと動きながら翻弄されるほかなかった。
御堂筋くんってこんなおふざけをするようなタイプだっただろうか、いやそんなはずは無い。じゃあ何でこんな事をするのだろうかと考えて、そして私は変に動き回ってまで無理に受け取るのをやめた。
私がただ御堂筋くんの前で棒立ちするだけになると、御堂筋くんも同じように交わすことを止めた。
彼はボトル二本の飲み口を左手に持って、右手はあてもなくぶらぶらとさせながらやっと口を開く。

「呼び出してなんなん」

教師からの呼び出しとちゃうやろ、と御堂筋くんは続けた。淡々とした声だ。
何を言われるのだろうか、となんとなく身構えていたこちらとしては、拍子抜けをしてしまうような質問だった。一瞬何のことを言っているのかと考えて、私がノブ先輩にした言い訳を思い出す。
マネージャーが選手より遅く来たことが気にくわないのだろうか。いや、それなら遅れたことに対して文句を言うだろうに。じゃあこれを聞いてどうするのだろうかと疑問に思いつつも、正直に答えることにする。変に嘘を吐いたところで御堂筋くんには後々で必ずばれてしまうような気がするから。

「あー……クラスの男子に呼ばれて」
「何の用件で」
「えっと……告白的な」

的な、と付けてはみたが、あれはまごう事なき告白だった。告白されたと真っ直ぐ告げるのは気恥ずかしくて、ぼんやりとした言い方になる。真顔で言い切ることはできなくて、はは、と乾いた苦笑を浮かべてしまう。御堂筋くんはそれにつられて笑ったりなんかせず、ふゥん、と聞いてきたくせにつんけんした態度で返す。
その返事のついでのような感じで、ぽい、とボトルをこちらに向かって放り投げる。私は反射神経がそれほど優れているわけでは無いのでかなり慌ただしく動きながら、なんとかそれらを落とさずキャッチした。

「ちょっと、危な……!」
「いつも通り一本スポドリで一本は水な。じゃあボクもアップしてくるわ」

抗議の声を上げようとしたが、それを遮るように御堂筋くんはボトルの指示をする。抗議をなんとか飲み込んでそれに頷くと、御堂筋くんはそれをちらりとだけ見て部室から出ていった。



部員が練習を終える頃、私も一通りの業務に区切りがついた。朝のうちに部室棟の共有スペースに干していた洗濯物を取り込んで、その足で部室に戻る。ノックをすると「どーぞ」と軽いノブ先輩の声が聞こえてきた。どうやら部員全員、着替えは済んでいるらしい。
部室に入る時のお決まりの「失礼します」を言って、でも無遠慮にドアを肘で開けながら入室する。洗濯カゴを両手で抱えているのだから、その辺は皆許容してくれている。
今日の残りの仕事は日誌に記録を付けるだけだ。洗濯カゴを定位置に置いて、ファイルや日誌が雑多に詰め込まれている棚に手を突っ込む。そこから見慣れた表紙を見つけ出した時、既にスポーツバッグを肩にかけていた御堂筋くんが口を開いた。

「日誌、上の学年の奴に任しといたらええ」
「え、なんで?」

その言葉に少し驚いて、弾かれたように御堂筋くんのいるであろうベンチの方向を振り向く。けれど既に御堂筋くんはドアの目の前にいて、しかも半歩外に出ていた。

「他の事にかまけてた方がみょうじさんらしいんちゃう?」

御堂筋くんの声は驚くほど無感情で、高校で初めて声を聞いたときのことを思い出してしまう。日誌を掴んだまま、棚から出さないまま、私は御堂筋くんの言葉を聞いていた。
最後に御堂筋くんが言った言葉に対して私は「なんで」とか「どうしてそんな事言うん」だとか反論することは出来なくて、というよりは反論する間を与えないまま御堂筋くんは部室から去っていく。
私は目をぱちくりと開けてそれを見ていたけれど、まだ部室に残っていたヤマ先輩とノブ先輩も同じように目を見開いてその後ろ姿をただ見ていた。
部室に残っていた面子が声を発する事が出来たのは、御堂筋くんがもう大分遠くに行ってしまったと確信できるほど時間が経ってからだった。

「…………喧嘩でもしたんか?御堂筋と」
「いや……してないはず、です」

おずおずと聞いてきたヤマ先輩に、記憶を探りながら答える。
少なくともここ最近、以前のような険悪な雰囲気にはなっていないはず。むしろ家に行ったり一緒に帰ったりと、どちらかといえば仲が良くなってきた方だと思っていたのだけれど。

「結構最近は上手くやってた気がするんですけど……」
「御堂筋くん、そんな感情の起伏が激しい訳でもないのにどうしたんやろな」

ノブ先輩が言う。
確かに御堂筋くんは、感情の起伏はそれほど表に出さない。レース中に不気味なことを言ったり自分本位なことをしたりはするけれど、あれは感情に左右されている訳では決してないのだ。
そうなると、御堂筋くんがあんな事を急に言ってきた原因は分からず終いになってしまう。

「知らんうちに、御堂筋の気に触るようなこと誰か言ったんちゃうか」

そう言って、ヤマ先輩とノブ先輩は首をひねる。うーんと唸りながら今日の会話を思い出したところ、彼らは御堂筋くんと業務連絡以上の会話はしていないらしい。
そうなると、御堂筋くんの機嫌を損ねたのは私だと言うことになる。でもきっとそれで正しいのだろう、御堂筋くんがあんな尖った言葉を投げかけたのは私に向けてなのだから。

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