幸せに、してあげてほしい。
二日前にユキちゃんに言われた言葉を、私は何度も何度も頭の中で繰り返していた。御堂筋くんを幸せにするなんて、いったい何をやったらいいんだろう。そもそも御堂筋くんって、何かやってあげたら幸せそうな顔をしてくれるのだろうか。幸せな御堂筋くんの顔を思い浮かべてみようとしたけれどいつも私に向けてくる面倒臭そうな顔しかぱっと出てこなくて、彼の表情の乏しさに嘆きたくなった。いや、乏しくはないのだけれどなんというか、「幸福」といったジャンルの表情を作る御堂筋くんが想像できないのだ。人を下に見たり、皮肉めいた笑顔を思い出すことはできるけど、今思い描きたいのはそれではない。
月曜の放課後は、ハッピーマンデー制の部活があるからかいつもより少しだけ静かだった。私はいつものように部活終了後の部室を掃除して、部員のタイムの記録等を日誌に纏める。既に他の部員はほとんど帰宅していたが、今日は珍しく御堂筋くんが帰宅の準備を終えているのにベンチに座ってこちらを眺めていた。

「御堂筋くん、帰らんの?後のことは私がやっとくから、気にせんでええよ」

気を利かせたつもりでそう言うと、御堂筋くんは「おん」と短く返事をする。でもベンチから立ち上がる気配はなくて、そのまま私を意味もなく見つめていた。
今日のメニューがハード過ぎてバテてしまったのだろうかと少し思ったが、御堂筋くんに限ってそんなことはないだろう。彼は一番効率の良い練習の仕方を知っているし、多少無理をしてもバテてしまうほどヤワでもないことは知っていた。では、どうしてしまったのだろう。私はとりあえず日誌に目線を戻して、かりかりとシャーペンを走らせた。そしてだいたいの記入を済ませてしまうと、座っていたパイプ椅子ごと御堂筋くんの方に向ける。御堂筋くんはそれにちょっぴり驚いたような顔をして見せたが、すぐにいつもの表情に戻った。

「どしたん御堂筋くん。疲れとん?」
「ちゃう。今日のメニューくらいで疲れたりせんわ」
「そだね、愚問だったわ」

頭の中でしたシュミレーションとほとんど同じ回答が返ってきて、つい苦笑してしまう。
御堂筋くんは少し伸びてきた髪の毛をがしがしと掻いて、ふっと私から目を逸らす。その仕草はとても御堂筋くんらしくなくて、いつもと違うなあ、と思った。

「ほんまにどしたん。なんか今日、いつもと」
「なぁ」

私の言葉を遮って、御堂筋くんは呼びかけてくる。どうしたのかと数回瞬きをすると、御堂筋くんはなんだか苛立っているような、むず痒く思っているような、そんな表情をしていた。いつもの面倒臭そうな顔と、違う。

「今日なんかボク歩いて帰る気分なんよ。どうせ通学路、途中まで一緒やろ」

そう言って、言葉を切る。
普通ならばその後に「だから一緒に帰ろう」なんて言葉が続いても良いはずだ。けれど御堂筋くんは、それをしない。さっきまでの仕草はいやに御堂筋くんらしくなかったのに、こういう部分は御堂筋くんらしいな、と私はつい微笑んでしまう。それを見て彼はいつもの見下してくるような表情を作る。そう、それが御堂筋くんらしい。

「一緒に帰ろうってこと?」
「別に、そう言うてる訳やない」

口を尖らせて、御堂筋くんは否定の言葉を口にする。こんな様子の御堂筋くんを見られるのはトクベツらしい私だけなのかなと思うと、なんだか嬉しくなる。
私はシャーペンを片付けて、ペンケースをリュックの中に押し込んだ。その他の片付けはもう済ませているから、あとは部室の戸締まりさえすれば帰れる。

「そっかぁ、そう言うてる訳やないかぁ」

そう言いつつ立ち上がり、窓際に寄って鍵が閉まっているか確認する。いつもは開いていることが多いそこが閉まっていたので、御堂筋くんが閉めてくれていたのかもしれないなと邪推をしてみた。本人に聞いたりはしないから、本当のところはわからない。
戸締まりの確認を終えてパイプ椅子の横に置いていたリュックを背負う。御堂筋くんに「部室閉めるよー」と声をかけると、彼はのろのろとベンチから腰を上げた。レースのときのようにもっと素早く動いてくれればな、と思う。けれど私は御堂筋くんのレースをほとんど見たことがない。
部室から出て、がちゃがちゃと音を立てつつ鍵を閉める。
すべての業務を終えて御堂筋くんを振り返ると、彼は既に愛車のデローサのハンドルを掴んでいた。歩いて帰る気分と言っていたのは本当らしく、サドルに乗る様子は微塵も見せない。
私はそのまま御堂筋くんの横に立つ。すると彼はゆるゆると進みだしたので、私もそれに続いた。「一緒に帰ろう」とは言わないし一緒に帰っていると認めたがらないだろうけど、御堂筋くんにとってこのくらいの距離が丁度いいと思ってくれたら良いな、と思う。
20センチの距離を空けながら、私と御堂筋くんは帰る。無言で帰るのもどうかと思ったので、私はぽつぽつと自分の近況報告だったり、友達と話したことだったりを御堂筋くんに話す。御堂筋くんの方から何か話してくれることはほとんどないけれど、私のなんでもない会話に稀に相槌を打ってくれた。

「そうだ、そういえばこないだノブ先輩とちょっと話したことがあるんよ」

ふと、先日の会話を思い出す。
確かそれはノブ先輩のクラスメイトの話で、運動部のマネージャーのストライキに関してだった。夏休みの間の部活休みが異様に少なく、彼氏と過ごせないから不満が溜まっていたとかなんとか。
それを御堂筋くんに話すと、御堂筋くんは少し眉根を寄せた。

「なんやそれ」
「そのままの話やで。彼氏との時間がもっとほしいーって感じの」
「意味わからんわぁ」

御堂筋くんは吐き捨てるようにそう言う。まぁ、御堂筋くんならそんな反応するよなぁ。そう考えつつ足を進める。もうそれなりに日は暮れていて、長細い影が二つ分揺れていた。

「みょうじさんもそういうんばっか考えてマネージャー業きちんとしてなかったら、容赦なくクビ切るで」

御堂筋くんからのお小言を聞いて、私はくすっと笑う。クビ切るなんて聞いたのは、たぶん入部したとき以来だ。初めて言われたときのことを懐かしく思いながら、私は大丈夫だよ、とはっきり言った。

「彼氏の前にまず好きな人も、そういうのを考える相手もおらんから大丈夫」
「それなら安心やけど、色が無さすぎて可哀想になってくるわぁ」
「なんだと」

私が言うと、御堂筋くんはプククと声をあげて笑う。安心させるために言ったのに、笑われるとは何事だ。私は頬を膨らませたけれど、御堂筋くんの笑いはしばらく止まってくれなかった。
でも御堂筋くんの笑い顔が不思議といつもより毒々しくなかったから、見ていると少しだけ嬉しくなった。何故だろう。

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