病院の中庭にあるベンチに座る。御堂筋くんはその脇に立ったまま、ぽつんと一言呟いた。

「……なんでなん」

何でここにいるのか、という問いなのか、何で昔の話をするのか、という問いなのか。恐らくどちらかだとは思うけど、そのどちらかまでは判別がつかなかった。けど、そのどちらも私の中に明確な答えはない。だから私は曖昧に「さぁ」と笑った。
数年ぶりに座ったベンチは、少し色褪せて所々錆びていた。時の流れを否が応でも感じる。病院自体はそれほど年数が経った気もしないのに、ベンチだけ古ぼけているようで、なんだか妙な気持ちだ。

「御堂筋くんは……」

もう少しで夏休みも終わるのに、ミンミンと蝉が鳴く。それを聞きつつ一旦言葉を切り、息を吸い、続きを口にする。

「いつから気付いてたん、私のこと」

ざぁ、と風が吹いて、頬を撫でる。
それでも日差しの暑さはどうにもならなくて、額の辺りから流れる汗を拭った。御堂筋くんは夏なのに七分袖の黒いシャツを着ていて、暑くないのだろうか、とぼんやり思う。
私がさっき御堂筋くんに聞いたことは、私がここ最近、ずっと気になっていたことだった。私は今まで気付かれないように、悟られないようにと努力してきたつもりだった。けれど知られてしまったのなら、一体いつ知られたのか。足枷にはならなかったか。インターハイの結果を左右してしまったか。それがただただ、気になっていた。
御堂筋くんは、私と目を合わせない。ベンチにロードを立てかけて、ベンチの脇に立って、空を見ていた。

「最初から」

そしてぼそりと、声だけ落とす。
短いその声は、私に鋭く突き刺さった。

「え?」
「最初からって言うてるやろ」

ぼそぼそと、御堂筋くんは言葉を続ける。結構深刻な話をしているにも関わらず、御堂筋くんの話し方はいつもと同じ、少し呆れたような感じだった。それが、なんとなく私を安堵させる。

「入学式んときから、似とるなぁとは思ってた。でもみょうじさん、なかなか下の名前言わんかったやろ。だから確信はしとらんかった」
「……そんな最初から、やったん?」
「おん」

私が途中でボロを出したのではなく、本当に最初から気付かれていたことを知る。今までの配慮や努力はなんだったんだ、と声を大にして言いたくなったけれど、あくまでここは病院の敷地内なので、ぐっと我慢した。

「雨の日、傘借りたことあったやろ」

御堂筋くんは私と目を合わさぬまま、次の言葉を吐く。いきなり話が変わったと思い少し不審に思ったけれど、私はこくんと頷いた。

「あぁ、あったね」
「あんときみょうじさんが入っていった家らへん、みょうじって表札一個も無かった。それもそんとき気付いとった」
「……鋭い観察眼やなぁ」

話が逸れたかと思いきや、そんなところで繋がっている。確かあの時、それがバレないように御堂筋くんから距離を取って家の中に入ったつもりだったのに。見てたんやねと笑うと、御堂筋くんは「動きがあからさまやったからな」とため息をつきながら言った。

「んで、みょうじさんがユキちゃんと会った日あるやろ。あんときユキちゃんからみょうじさんの下の名前聞かされた」
「あー……やっぱりユキちゃん言っとったんや。口止めしたんやけど」

御堂筋くんが完全に確信したのはその日だったらしい。
足枷がーとか、思い出さない方がーとか私がもやもやと悩んでいたころには、御堂筋くんはもう全てに気付いていたということだ。私はしなくてもいい心配をずっとしていたようで、なんだか笑えてしまった。

「なーんか、ずっと無駄な心配しとったわ」

へへ、と照れ笑いをすると、御堂筋くんはそれを見てまた呆れた顔になった。
そして、掠れた声で私に聞く。

「あの時の怪我、大丈夫なん」

また、風が少し吹いた。風に紛れて飛んでいきそうな声だった。
御堂筋くんに心配されるのは初めてのことのような気がする。珍しいなと思いつつ、私は数年前に負った、でももうほとんど消えた頭の切り傷をそっと撫でた。

「もう大丈夫。痕も残っとらんよ。事故のあとも何回か治療に来たから……」

そして、あ、と声を上げる。

「そういえばあれ以来、病院行っても御堂筋くんおらんかったね。いつまで来てたん?」
「次の年の夏の終わりまで」
「そっか、じゃあいつも入れ違いやったんかな」

夏の終わりまで。
そう言った時の御堂筋くんの顔は、寂しそうな「翔くん」の顔だった。
恐らく、私があの日味わった寂しさと同じような類のものだと思う。そしてそれは、執拗に他人に触れられることを良しとしない。だから私は気付かないふりをして、なんでもないような声を出した。

本当は、少しだけ泣きそうだった。

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