二人してベンチに座ったあと、沈黙が続く。その空気が嫌になったのか、男の子はベンチから立ち上がり、走ってどこかに行ってしまった。私の涙は、まだ枯れない。両親が命の危機なのだから、涙が枯れないのは当たり前なのだけれど。
辺りを見回すと中庭には結構霜が下りていて、こんなに寒いならもう一枚何か羽織ってくれば良かったかな、と後悔した。けれど今の私には、病院の建物の中に戻るという選択肢は無かった。
ふぅ、とため息をついて足元を見つめる。事故にあった時に付いたのであろう家族のうちの誰かの血が、靴をほんの少しだけ染めていた。もう、どこを見ても気が滅入るばかりだ。

「……これ、どうぞ」

声がして、顔を上げると、さっきどこかに走っていった男の子が立っていた。手のひらには紙パックのオレンジジュースが二つあり、私に向かってそのうちの一つを差し出している。

「え、ええの?」
「ええよ」

鼻水をずびずび言わせながら聞くと、男の子はこくん、頷いた。割れ物を扱うかのように、オレンジジュースを受け取る。私が受け取ったのを確認すると、男の子はさっきと同じように20センチの間隔を空けてベンチに座った。
二人してオレンジジュースをちゅうちゅう吸いながら、暫く無言の時を過ごした。中身が無くなり、紙パックがズコー、という音を立て始めた頃、男の子がようやく口を開いた。

「……事故に、遭ったん?」
「え、なんで」
「顔のガーゼ、と、頭の包帯……」

男の子が控えめに私の顔を指差す。自分の顔と頭を触ってみると、ざらざらとしたガーゼの感触があった。そうだ、私も怪我をしていたんだった。うん、そう、と小さな声で、男の子に答える。

「なんか、路面凍結とかで、車突っ込んできて……」
「うん」
「お父さんとお母さん、手術中で、でも助からんかもしれんかって。怪我、酷くて、お医者さんもめっちゃ難しい顔しとって……」
「うん……」

説明していたら色々思い出してしまって、また涙が出てきた。泣きながら、そんで、そんでな、と男の子に話す私は、今思えば滑稽だっただろう。男の子はそんな私を変な目で見たりせず、ずっと、うんうんと聞いてくれた。ぎゅうぎゅうと手に持っていた紙パックに力が入り、気付いたら紙パックはべこべこに凹んでいた。それを見て、我に返る。

「ご、ごめんな、会ったばっかやのにこんな話して……」

ごしごしと涙を拭きながら言うと、男の子は少し考えるような素振りをして、じゃあ、と声を上げた。

「じゃあ、今度はボクの話、聞いて。それでおあいこや」



男の子の話は、私の話よりも何倍も興味深くて、聞き入ってしまった。
お母さんがこの病院に入院している事。親戚の家は優しいけどちょっぴり居づらい事。毎日ロードバイクという変わった形の自転車でお見舞いに来ている事。それの大会にも出たりしている事。
私と同じように親を心配し、私と違うロードバイクという体験をしている男の子。私の暗い話を聞いてくれた男の子。私はそんな男の子に、興味を持った。

「あの、差し支えなければ、なんやけど」
「ふぁ?」
「名前、教えてくれんかな」

男の子にこんなに積極的に話しかけるのは初めてで、勝手が分からない。不躾に名前を聞くのは大丈夫なのかどうなのか微妙だったが、名前の知らない男の子、で済ませたくないと思った。気分を害したらどうしようかと思ったが、男の子はぱちぱちと瞬きをすると、小さな声で答えた。

「翔、って言うんや」
「あきら、くん」
「うん」

こくりと頷く。そして男の子ーー翔くんが、今度は私に質問してきた。

「キミも、良かったら……名前教えてくれん?」

結構おどおどとした感じだった。きっと、さっきの私もこんな感じだったんだろう。そう思うとちょっと笑ってしまった。

「なまえ。なまえって名前」
「なまえちゃん」
「そう」

同じようなやり取りを繰り返して、私達は静かに笑った。
不意に翔くんが腕にはめていた時計を見て、もう帰らなあかん、と呟いた。名前を聞いたばかりなのに、と残念に思ったが、引き止める訳にはいかなかった。ロードバイクに跨る彼を見て、気を付けて帰りや、と言うと、うん、と頷く。そしてペダルに足をかけようとしたその時、何かを思い出したように、翔くんはこちらに向かって声をかけた。

「……なまえちゃん」
「ん、どしたん?」
「なまえちゃんの好きな色、何色なん?」

突然何を言い出すかと思えば、好きな色を聞いてきた。ちょっと拍子抜けして、だが、ううんと考えて、私はふと、車の中で抱いていたぬいぐるみの色を頭に思い浮かべた。

「好きな色……黄色」

そう答えると、翔くんは目を見開いて、そして笑った。幸せそうな笑顔だった。

「なまえちゃんのお父さんとお母さん、きっと、大丈夫やから。きっと」

翔くんはそう言った。
どこからその自信が出てくるんだろう。そう思ったが、私が黄色と答えた瞬間に翔くんがとても幸せそうな顔になったのが、私は何故か嬉しくて、うん、うん、大丈夫やんね、と翔くんに向かって言った。

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