ユキちゃんに、御堂筋くんへのプリントを託した次の日の朝。
日直なのでいつもより少しだけ早く家を出た。いつもより10分睡眠時間が減っただけなのに、ふああ、と大きな欠伸が出る。早朝だからか人があまりいないので、手で口を隠すことなく思い切りやってしまった。女子としてよろしくない行為だ。
眠い目をこすりながら、歩き慣れた道をてくてくと歩く。数分歩いた頃、私は昨日あったことをぼんやりと思い返していた。

ユキちゃんは、何と言って御堂筋くんにプリントを渡しただろうか。
昨日は成り行きとはいえ、隠しておこうと思っていた下の名前を教えてしまった。別にユキちゃんに知られるのは全く構わないのだが、御堂筋くんの耳に入るのは頂けない。昔を思い出すきっかけにならなければどうということはないけれど、可能性がないとも言い切れない。
そこまで考えて、ううん、と眉根を寄せる。

なんで私はこんなに、御堂筋くんに対して神経を使わなくてはいけないのだろう。

自分で決めたことなのに、ついそう思ってしまう。
御堂筋くんは変わってしまったのだから、私が気を遣って「翔くん」であったはずの御堂筋くんのために何かをすることは意味がないんじゃないだろうか。私が今向き合っている御堂筋くんは、「翔くん」なのだろうか。「翔くん」とは、あの幼い頃の思い出の中だけのまやかしの存在であり、今の御堂筋くんとはイコールではないんじゃないだろうか。いや、それは言い過ぎだろうか。駄目だ、よく自分でも分からなくなってきた。
昔と変わらずいてくれたら、もしくは昔の記憶がすっぽり抜けてくれていたら。
そんなありもしないことを考える。
もしそうならここまで私が神経を使うことはなかっただろうに、と、辛気臭くため息を吐いた。

辛気臭い顔をしながら歩いていても、足は確実に前に進む。交差点を何回か曲がると、学校が見えてきた。もう少しで到着する。何人か他に登校する人々もいたので、いつまでも辛気臭い顔のままではいられない。立ち止まり、こめかみの辺りをぐっと指で押して、それから目をぎゅっと閉じて、かっと開く。なんとなく、気休め程度だが気持ちがすっきりした気がする。眠い時や疲れた時は、私はよくこうするのだった。

「よし」

小声で気合を入れ直す。
これでとりあえず、辛気臭い顔ではなくなっただろう。
そう思いながら、学校へ向かおうと一歩足を踏み出そうとした。

「なァに変な顔しとん」

踏み出そうと、した。
けれど実際は本当に踏み出そうとしただけで、突然かけられた声によって私の歩みは止められた。
ぎょっとして声がした方を見ると、いつの間にか背後から自転車で御堂筋くんが忍び寄ってきていた。恐らく本人は忍び寄るつもりなんてなかったんだろうけれど、私にとってはそう見えた。
あまりにびっくりしておはようの一言も言えないでいると、御堂筋くんは珍しく自転車の速度を緩めた。そしてカバンをごそごそと無造作に探り、何やら紙切れを取り出して私の目の前に突き出す。本当に目の前という言葉通り、私の目から五センチほどの場所まで突き出してきた。

「コレ」
「え、なになに」
「何、てこんなんも分からんの?紙やけど」
「そうやなくて」

その紙切れの正体が何なのか分からず、私はあわあわと御堂筋くんに質問する。御堂筋くんは見下すように返事をしたが、その返事は括りが大き過ぎて問題解決には役に立たなかった。
最初はあまりにも近すぎるためか目の焦点が合わず紙切れの文字が読めなかったが、よくよく見るとそれは私が昨日ユキちゃんに託したプリントだった。よかった、御堂筋くんの手元にちゃんと届いていたのか。ユキちゃんを疑っていたわけではないが、ちょっと安堵する。
少し仰け反りながらもプリントを手にすると、御堂筋くんはいつも通りのぎょろっとした目で私を見て、いやに歯並びの良い口元から声を発した。

「みょうじさん。そういうプリントはボクに回さんでええから。石垣クゥン達で見てくれとったらええわ」
「あ、うん。分かった」

プリントと御堂筋くんを交互に見て、その直後にうんうんと頷く。それを確認した御堂筋くんはいつも通り私に向ける面倒臭そうな顔をして、ペダルを踏んで学校へと向かって行った。

御堂筋くんが去っていった方を眺め、私は思う。
御堂筋くん、いつも通りだったな。
真ん中にだけ折れ目がついたプリントを見ながら、私は御堂筋くんの様子を思い出した。
ユキちゃんが私の下の名前を御堂筋くんに教えたかどうかは分からないけれど、どのみちそれによって御堂筋くんが何か思い出したようにも見えなかった。
どうやら私の心配は杞憂に終わったようだ。
さっきまで何故御堂筋くんに気を使わなければならないのか悶々としていたくせに、それを知って安堵する。それに対して変なの、と思いながら、日直の仕事もあるのに朝から顧問にプリントを持っていかなければいけないなんて面倒だなぁと、また眉根を寄せた。

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