部室の窓から外を覗くと、雨がしとしとと降っていた。今朝の天気予報で雨が降るということは知っていたからあまり驚きはせず、それでも少し落胆する。

「今日はミーティングだけで終わらせるか」

そう純太が言うと、後輩達は残念そうな声を上げる。やだー、走りましょうよと鏑木が最年少らしく駄々をこねたが、主将はそれを良しとはしなかった。

「昨日結構ハードなメニューこなしたろ。筋肉追い込みすぎて壊したら元も子もないだろ」
「でもー」
「でもじゃない」

鏑木を諌めると、純太はこちらを向く。いいよな?と聞いていたので、それにコクリと頷いた。部活が出来ないのは残念だが、純太の判断が間違っているとは思わない。純太はいつだって適切な判断を下す。
一応雨脚が弱まったりしていないだろうかと再度外を覗いてみたけれど、やはり雨量は変わっていないようで、今日の部活が無くなるのは決定事項だった。



部活が雨やなんやかんやで中止になると、俺がいつも向かう場所がある。自転車部の部室から一番遠い校舎の三階奥、絵の具や紙の匂いがふんわりとする美術室。美術部は部員数がそれほど多くないらしく、入部をしていなくても絵を描きたいと思う人は自由に出入りして良いとされていた。
放課後に美術室を訪れるのは二、三週間ぶりだった。絵の具のはねたドアを開けると、見知った顔が幾つか見える。

「青八木くん、久しぶり」
「あー、青八木!」

顔見知りの美術部員が数人声をかけてくる。それにいつも通り会釈で返して、一番近くにあった机の上にカバンをぽすんと置いた。
教室の中を見回すと、いつもは規則正しく並べられている机が今日ばかりは両端に寄せられており、真ん中に椅子がぽつんと一つ置かれている。そしてその周りをイーゼルが取り囲んでいた。
そういえば、今日は何を描こうか、と考える。
美術部員に混じって静物画のデッサンをすることもあるし、一人でひたすら水彩画を描くこともある。さすがに油絵に手を出したことはないけれど、今日はなんとなく良い絵が描けるような予感がするから新しい描き方にチャレンジするのもアリかもしれない。
そんなことを悶々と考えていると、不意に「失礼しまーす」とドアの方から声が聞こえた。声の主を振り返って見てみると、そこには知らない、すらっとした女の子。美術部員の一人かと思ったが、この女の子は見たことがない。新入部員という線もあるが、こんな季節に新入部員が入ってくるものだろうか。
俺が彼女のことを訝しんでいると、彼女も同じように俺の存在を訝しんでいるようだった。それもそうか、いつもはいないはずの人間がいることによって頭に疑問符を浮かべているのはお互い様らしい。

「あ、みょうじさん!ありがとね、来てくれて」

お互いを視線のみで探り合っていた俺達の空気を断ち切るように、教室の奥から美術部員の声が聞こえる。ぱたぱたと走り寄ってきてお礼を言っているところを見る限り、この「みょうじさん」は美術部員ではないようだ。じゃあ彼女は一体何なんだろうと考えて、そして円状に並べられたイーゼルをふと思い出した。

「……モデル?」

みょうじさんに首を傾げながら聞く。彼女と美術部員はぱちぱちと瞬きをした後、美術部員が「あぁ!」と俺の意思を理解したように手を打った。

「そうそう、青八木くんがいるときに来たのは初めてだね。みょうじさん、2年の茶華部の。人物デッサンをするときのモデルさんなの」

華奢で綺麗だから、凄く絵になるモデルさんだよ。美術部員がそう言うと、みょうじさんは慌てて否定し、それから女の子らしく照れていた。その照れ顔が何となく、可愛い。

「で、こっちは3年の青八木くん。自転車競技部なんだけど、時々絵を描きにきてくれるの」

自分の紹介までされ、少し気恥ずかしくなりながらもぺこりと頭を下げる。一応先輩らしく挨拶とか、しといた方が良いのだろうか。けれど初対面の相手に話しかけるのはとても緊張するし、それが女の子なら、殊更可愛らしい女の子なら余計に何を話していいかわからない。
どう言ったものか、ともやもや考えていると、俺が迷っているのに気付いたのか美術部員が助け船を出してくれた。

「えっと、今日青八木くんは何描くの?」
「あ、まだ……決めてない」
「じゃあ今日は部員と一緒にデッサンする?青八木くん絵上手いし、参考になるし」
「青八木さん、上手なんですか?」

みょうじさんが話に食いついた。意外だと言わんばかりの口調でちょっと失礼だと思ったけれど、確かに絵が上手な運動部男子はあまりいなさそうだ。
さすがに自分で自信を持って上手だとは言えないから「そこそこ」と答えると、謙虚ですねとみょうじさんは笑った。

「私、青八木さんの絵を見てみたいです」
「俺の?」
「興味があります、どんなの描くのか」

はにかみながら「興味があります」と言われてしまえば、もう引き下がれなくなってしまう。どうやら今日はみょうじさんのデッサンに参加するしかなさそうで、俺は少し、どきどきした。

「……期待外れの絵でも、文句言うなよ」
「青八木さんが期待外れの絵を描かなきゃ良い話ですよ」

ぼそり、と俺が牽制のためにつぶやいた一言も、みょうじさんに飄々と掬われてしまう。
彼女は期待してますから、と俺の肩をぽんと叩いて、イーゼルの中心にある椅子の上にぽふんと座った。
他の美術部員達はもう既にイーゼルの前に座ってデッサンの準備を始めており、その雰囲気に押されて俺も空いたイーゼルの前に陣取った。画用紙と、鉛筆と。それらを準備しつつ彼女の方をちらりと盗み見ると、彼女は綺麗な姿勢で座っていた。背筋はしゃんと伸びていて、横顔も綺麗で、手足も細かった。

「それじゃまずは十分間でデッサンね。じゃあ始めて」

部長と思わしき部員の声が聞こえる。それと同時に走る鉛筆の音に気圧されながら、俺はみょうじさんの横顔を描き始めた。
みょうじさんの期待外れにならないように、みょうじさんのそのままを描写出来るように。
そうやって走らせた俺の鉛筆の音は、どこか恋に落ちた音に似ていた。

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