総北高校の正門へと続くゆるやかな、けれどかなり長く続いている上り坂を、私は遅刻寸前でもないのにひぃひぃ言いながら走る。
運動が特別得意でもない私は、走りたい気分だから走るとか、トレーニングを兼ねているとか、そういった理由で足をこんな形で酷使している訳じゃない。だったら足を止めたら良いじゃないかと自分でも思うけれど、そういうわけにはいかなかった。

「あ……お、やぎっ、くんっ……!!」

必死に足を動かして、少し前を私より速く走る自転車に声を投げかける。けれども自転車に乗った彼、もとい青八木一くんは私の声が聞こえていないようで、全然止まってくれる雰囲気も見せずにすいすいっと先に進んでしまう。
青八木くんの姿を見失うまいと、私はもう乳酸が溜まりはじめているのではないかと疑ってしまうほどの足を前後に動かした。

私が何故こんなにも必死になって青八木くんを追いかけているかには、それなりの理由がある。私だって、こんな汗だくになりながらおおっぴらにストーカーまがいの行為に励んでいることに理由がないなんて思いたくない。
事の始まりは、私と青八木くんの通学路の途中にある横断歩道での出来事だった。
自転車で信号待ちしている青八木くんに、てくてくとスマホを見ながら歩いていた私が追い付く。前にいる見覚えのある色素の薄い髪を見て、あー、青八木くんだー、と判断したところまでは、いつもと同じ、普通の通学だった。
信号色が赤から青に変わって、横断歩道の前にいた通学、通勤途中の人達がわらわらと動き出す。私も青八木くんも同じように動き出したとき、ぽろり、と青八木くんのカバンのポケットから何かが転げ落ちた。転げ落ちたものはそれなりに小さかったので、青八木くんの後ろにぼうっと立っていた私だけがそれに気付いたらしい。歩みを止めて落ちてきたものを拾い上げて「なんだろ」と声を上げながら見ると、どうやらそれは鍵、しかも自転車や引き出しの鍵じゃなくて、家の鍵のようだった。
これはすぐに返さなくては、とふと顔を上げると、青八木くんは当たり前だけれどもう遥か遠くへと行ってしまっていて、姿はもう私のこぶしくらいの大きさになってしまっている。
私は歩きで青八木くんは自転車なので、普通に登校していたら追い付かない。でも流石に、今落としていったのは家の鍵で、これは無くしたときに困ってしまう物ランキングでも第三位には食い込んでくると思う。

(……これは、追いかけてでもすぐに返すべきだよね)

こうして、大して運動が得意でもない、運動部にすら属していない私は、こんな朝っぱらから体力をがりがり削りつつなかなか気付いてくれない青八木くんを追いかけているのだ。

「あお、……あー……坂きつっ……まじむり……」

正門前まで続く長い坂は、前方を走る青八木くんでも立ち漕ぎをするほどのものだった。傾斜は裏門坂よりはだいぶましだけれど、いかんせん距離が長い。
ほぼ体力がない私でも半分ほどきたところまで走れたのは快挙である。
それまで根性だけで動かしてきた足ももうがくがくしてきて、なんだかもうすぐで眩暈も起こるんじゃないかという気もしてきたので、ゆっくりとペースを落として、あぁぁぁ……と中年のような声を出してからいつもの登校時と同じような速度で歩く。ここまでよく頑張った、私、と心の中で自分を褒める。
青八木くんとは一年生のときにクラスが同じで少し話したことがあったくらいの関わりだったので、今となってはクラスもどこかわからない。だから学校に着くまでに渡してしまいたかったんだけれど、もう人づてに聞いて探すしかないか。

そう思って息を大きく吐いたとき、不意に後ろからぽん、と肩を叩かれる。吃驚したけれど驚く体力もなく、ゆっくりと振り返ると、そこには中学時代からの友人の姿があった。

「…………あー、手嶋、くん」
「うわ、何朝からグロいことになってんだよ」
「あお、やぎくん、がさ……」

中学の頃からの友人である手嶋くんと、青八木くんが親友であるのはなんとなく知っていた。だから遠くなっていく青八木くんの方を指差しながら、ひょろひょろとした声を出す。自分で思っていたより細っこい声が出て、少し笑いそうになってしまう。でも手嶋くんは笑わずに、何を思ったのか急に大きな声で前方にいる青八木くんの名前を呼んだ。

「おーい、青八木!」
「!」

さっきまで私が呼びかけていた声より断然大きいそれにより、青八木くんの自転車は止まる。驚いたような顔をこちらに向けて、そして自転車の向きを変えてこちらへとやってくる。下り坂になるので、さっきよりかは幾分か楽そうだ。
私と手嶋くんの目の前まで来た青八木くんは、当然ながら状況が飲み込めていないようで、頭にクエスチョンマークを浮かべている。「なんか、みょうじが用事あるらしいんだけど」と手嶋くんが言ったので、青八木くんの視線は私の方へと注がれた。大して仲良くない相手が何の用事だろうと思っているのだろうか、思い当たる節が見当たらない様子で、青八木くんは小さく首を傾げる。

「……何だ?」

青八木くんが聞いてくる。言葉だけ聞くとつっけんどんな感じもするけれど、細くて柔らかい声だったので、敵意は全く感じられなかった。
未だに少し掠れた声の私は、ずっと右手に握っていたそれを青八木くんに差し出しながら言葉を発する。

「ええと、これ」
「……あっ」
「青八木くんが、落としてったやつ……返そうと思って」

青八木くんははっとした顔をしながら、カバンに付いている小さなポケットを探る。そして、私の手からそっと鍵を受け取った。

「ちゃんとお礼言っとけよ、青八木」

青八木くんが受け取ったのを見届けてから、手嶋くんはそう言って手をひらひらと振りつつ学校へと歩いていく。青八木くんはそんな彼の背中に向かってこくこくと何度か頷いてみせた。背中に向かってやっても気付かないんじゃないかなあと思ったけれど、仲の良い二人のことだから、テレパシー的なもので伝わっているのかもしれない。
頷いた後、青八木くんはくるんとこちらを振り返る。
そして、何を思ったのか、私の頭の上にぽふんと掌を乗せてきた。そして何度か、左右に撫でた。
突然のことに驚いて呆気にとられている私に、青八木くんは説明するかのように「これ、鍵のお礼。ありがとう」とぽつりと言う。

「お、お礼って」

頭を撫でることも、お礼の一環なのだろうか。
こんな朝っぱらから、しかも周りにそれなりに人がいるのに自分の頭を撫でられていると思うと、なんだかぶわっと顔が熱くなっていく気がする。走っていたとき以上に、熱くなっているかもしれない。
そして顔色の変化を青八木くんに気付かれたのか、彼の顔もまたぶわっと赤くなっていた。それでもなんだか踏ん切りが付かなくなったのか、私の頭から手を離すタイミングが掴めなくなっているようだった。

「あ、青八木くん」
「……」

どうやら青八木くんは、自分で始めたことなのに、返す言葉も見つからないくらいテンパってしまっているらしい。でも私も今は相当顔が熱くてまともに考えられそうにないから、もうちょっとだけの間周りにこの醜態を晒してしまおう、と思った。

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