「御堂筋くん、そんなに膨れっ面せんの」
「してへんよ」
「じゃんけんで負けたんやから仕方ないやろ?」

ぽんぽんと慰めるように肩を叩くと、御堂筋くんはむすっとした顔を私に向けてきた。
今日は部活の夏合宿の一日目だ。夏合宿といってもインターハイは終わった頃だから、どちらかというとお泊まり会でありお疲れ様会みたいなものである。
御堂筋くんが参加しているのは驚き以外の何でもなかったが、たぶん少しだけある練習のために来たのだと思う。けれど部員全員参加のじゃんけんで私とともに負けてしまったため、彼がペダルを回そうと思っていた時間が面倒な買い出しの時間になってしまった。

「荷物とか多めに持ってあげるからさあ」
「そういう問題ちゃうて」
「まぁ、そうやろうけど」

慰めようとそんなことを言ってみるけれど、どうやら効果はないようだ。当たり前か、と息を吐いてみせると、御堂筋くんにちょっとだけ睨まれた。

「負けたんやから潔く行かんと。ね」
「はぁ、もうほんと時間無駄やわあ」

そんな憎まれ口を叩きながらも、御堂筋くんはやっとてくてくと歩き始めた。
おうおう、やっとか。そう思いながら御堂筋くんの後を追いかける。部費の残りが詰め込まれているお財布は私の手元にあるのだから、御堂筋くんが先に行ったって仕方ないのだけど。

「御堂筋くん、歩くん早いわ」
「さっさと終わらせんとあかんからな」
「そんな無駄やと思ってんの」

笑いながら言うと、御堂筋くんはつーんとした顔で早歩きのまま進む。
確かに、御堂筋くんは自転車に乗るために合宿に来たのだから買い出しの時間が勿体無いと思うのは仕方ないかもしれない。
そう思うと、なんだか申し訳なくなってくる。

「ごめんなあ、石垣先輩とか辻先輩とかに来てもらった方が良かったかな」

眉を垂らしながら言う。
じりじりと暑い日差しに照らされていたので、汗がぽつんと地面に落ちた。私の声で振り返っていた御堂筋くんはそれを見ていて、涙かと勘違いしたのか一瞬だけ焦った顔をした。汗と気付いてからは、顔から焦りは消えて、代わりにもう一度膨れっ面をしてみせた。
他の先輩達の名前をぽろっと出したのが、なんだか気に入らないみたいだった。

「石垣クン達に任せたら何買ってくるや分からんやろ。ボクで良かったんや」

ぼそりとそれだけ言って、まるで照れ隠しみたいに前を向いてまたてくてくと早歩きをし始めた。足が長いから、早歩きなんてしたらすぐに私との距離が開いていく。

(……やきもちでも妬いてるのかな)

とりあえず、そう思う事にする。
なんだかんだ買い出しはちゃんとしてくれそうだから、細かいことは構わないかな。
ひょろりとした御堂筋くんの後ろ姿を見ながら、顔の汗を袖で拭った。





「御堂筋くん、そんなに膨れっ面せんの」
「してへんよ」
「プールも体づくりの一つやと思ったらええよ」

メガホンを通してプールサイドから声をかけると、プールでまるで海藻のように漂っているだけの御堂筋くんは「……ピギィ」と鳴いた。
学校に申請してわざわざ貸し出してもらったプールは、私立の学校だけあってそこそこ広い。他の部員はわいわいと泳ぎ回っているけれど、御堂筋くんは完全に静物になってしまっている。見かねて声をかけると、とりあえず御堂筋くんは私の方へじっとりとした視線を向けた。

「みょうじさんは入ってすらないやん」
「私はマネージャーやから」
「はあああ、マネージャーの肩書き便利やなあ」

私が言うと、御堂筋くんはあからさまに嫌そうな顔をしながらそんなことを呟く。
プールは学校から貸し出してもらっているのだから、通常なら顧問の先生など保護者的な位置付けの人がいなくてはいけない。けれど今日は顧問の先生が出張で来られないため、マネージャーの私がプールに入らず自転車競技部の保護者になることで学校から許可をもらっているのだ。
そこんところを御堂筋くんに説明したかったが、なんだか話の途中で海藻のように何処かへ流れていってしまいそうだったので説明するのはやめた。
あと、正直に言うとあまり水泳が得意ではないというのもある。

「まあなんにせよ、私は入らんよ」

メガホンを通して、足だけプールの中に入れてちゃぷちゃぷやりながら言う。
ぶうぶう不満を言いそうな顔をしている御堂筋くんだったが、御堂筋くんが何か言葉を発する前に、彼よりも少し高い声が聞こえてきた。

「えええ、みょうじさん入らんの?プール貸切状態なのに勿体無いやん!」

歯の矯正器具が遠くからでも分かるくらいに口を開けて、そう叫んだのはノブ先輩だった。
あらま、聞こえてしまっていたか。
そう思いつつ、首を縦に振る。

「今日の私は引率の先生みたいなもんだと思っててください」
「えー、こんな暑い日にプール入らんとか苦行やん……」

哀れむような声を出しながら、ちゃぷちゃぷと水面を揺らしてこっちまでやってくるノブ先輩。
そりゃ苦行みたいなものだけど、こればかりは仕方のないことだ。そうは言ってもノブ先輩も御堂筋くんも私の言い分に納得していないようで、お互いむむむと声が出ていてもおかしくないような表情をしていた。

そのまましばらくしていると、ノブ先輩が急に「あ!」という声を出す。
そして御堂筋くんの方へ近付いて、水面でゆらゆら揺れている御堂筋くんの耳元で何やらごにょごにょを話をする。
御堂筋くんは珍しくノブ先輩の言葉に対してこくんと一回頷いて、「それでいくか」とだけ呟いた。

「何話してるんですか二人とも」

私がそう声をかけると、ノブ先輩と御堂筋くんはにやりとレース中によくやるような意地の悪い笑みを浮かべる。

「やっぱりな、みょうじさんだけあっついプールサイドにおるっていうのは申し訳ないわ」

御堂筋くんはそう言って、にやにやしながらゆらゆらと私の方に近づいてくる。

「そうそう。やから今からすることはみょうじさんのためを思って、やで」

次にノブ先輩が言う。ノブ先輩もそれなりに近くまで寄ってきていて、なんだなんだとついつい思う。
そしてノブ先輩は小さく息を吸って、そして「せーの」とこれまた小さな声で言った。

そして「せーの」の直後、二人に両腕を引っ張られた私はどぼんと大きな音を立ててプールに落ちた。


「…………何やってんやあいつら」

遠くで井原先輩がそう呟いていたけれど、げほげほ噎せながら水面から勢いよく上がった私には、その声は聞こえなかった。





「みょうじさん、そんな膨れっ面するもんやないで」
「してへんよ」
「プールに落とされたこと考えると膨れるんも最もやけどな」
「御堂筋くんやって落としたやん」

合宿当日、夜。
あみだくじで二人組もしくは三人組を作って、肝試しをしている最中だ。
私と御堂筋くんが二人組になって、しかも出発は最後という、なんだか出るもの出るんじゃないかと思ってしまうような状況だ。
そんな中、私は昼間御堂筋くんとノブ先輩にプールに落とされたことを根に持っている。
確かに冷たくて気持ちよかったけど、そういう問題ではないのである。

「鼻で水吸ってめっちゃ痛かったんだけど」
「せやな」
「せやなじゃないよ!」

御堂筋くんに不満を言ったところで、聞き流されるのは分かっている。ちょっとむくれた感じで言ってみたけれど、実際のところ怒っているわけでもない。
ただ、あんな男子高校生みたいなことを御堂筋くんもするんだなあと少し思った。

「そろそろ出発するで」

腕時計をちらりと見て、御堂筋くんは言う。一番最初に出発したヤマ先輩と石垣先輩は、そろそろ折り返し地点を通ったくらいの時間だ。

「ん、おっけ」

懐中電灯などは持たず、時々道にある電灯を頼りに黙々と歩いていく。
隣にいるはずの御堂筋くんは黒い長袖を着ているので、闇に紛れて正直よく見えない。
特に脅かし役がいるわけではないが、道の雰囲気も雰囲気だし隣にいるのが人間味のない御堂筋くんなのでちょっとだけぞくぞくしながら足を動かしていった。

不意に、何かが私の腕を掴む。

「ふおっ」

ぽろりと口から変な声が出たが、よくよく自分の腕を見ると私を掴んでいたのは御堂筋くんだった。
変な声をあげた私を、変な顔をしながら見ている。
私はびっくりして動きが速くなっている心臓を落ち着かせようと努力しながら、御堂筋くんに声をかけた。

「掴むならせめてなんか言ってからにして、ください」

あまりにビクビクしている様子の私を見て、御堂筋くんは「アホちゃう」とでも言いたげな表情をした。

「なんで」
「なんでって、怖いやん」
「幽霊とか信じてんの?キモ」

御堂筋くんにそう言われると、なんだか怖がっていたことが少し馬鹿馬鹿しくなる。
というか御堂筋くんに弱みを見せたことが失敗だよなあと思いつつ、「信じてはないけど」とだけ言って歩を進めた。

「……ていうかなんで腕、掴んどるん?」

てくてくと暗い道を歩きつつ、御堂筋くんの方を向いてそう尋ねる。
次の電灯は遠い位置にあるので、御堂筋くんの顔はぼんやりとしか見えなかった。
御堂筋くんは目を大きく開けて、んん、と少しだけ声を漏らした。

「みょうじさんの服暗くて夜やと見えへんからや」
「服暗いって」
「服の色な」

御堂筋くんに言われたくないわ、と少し思う。いや、結構思う。
ただ、そんな理由で私の腕を探していたのかと思うと、御堂筋くんも多少は怖いと思っているのかなあとなんとなく親近感が湧いた。


「なあ、御堂筋くん」

そんな親近感を抱えたまま、私は御堂筋くんにあることを聞いた。

「今日、楽しかった?」

楽しかった、と答えてもらえないのは分かっている。
けれど、もし答えに詰まってくれたら。「楽しくない」と即答されなかったのなら。
それだけで、この合宿をやった甲斐があったのだろう、と私は思うのだ。

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