こんこん、と部室のドアを遠慮がちに叩く音が聞こえて、私は作業していた手を止めてそちらを振り返る。部員ならノックなんてせずに開けるだろうから、それ以外の来客だろう。しかし今まで部室に部員以外が訪ねてきたことは無いので、誰が来たのか見当はつかない。
もしかして顧問の先生かなあと考えつつ、はあい、と返事しながらドアを開けると、予想していたよりだいぶん小さなお客様がそこにいた。

「あ、あの……気が付いたら迷ってしもて」

そう言いつつドアの前におどおどしながら立っているのは、小学生くらいの男の子。
なんだか見覚えのある顔だなあと思ったけれど、私には小学生のお友達なんていないから気の所為かもしれない。
不安そうな男の子に「大丈夫?」と笑いかけて、とりあえず部室の中に入れる。部室棟の横の自販機で自分用に買っておいたジュースを、百円くらいだしいいか、と男の子に差し出した。

「……ありがと」
「いえいえ、どういたしまして」

迷って、と言っていたから言葉通りこの子は迷子なのだろう。どういう経緯で迷い込んでしまったのかは分からないけど、小学生が全く知らない高校に迷い込んだら相当怖い思いをするはずだ。子どもの相手は慣れていないけど、不安にさせたり怖がらせたりしないよう気をつけなければ。
私はいろいろと試行錯誤しながら、あげたジュースを大人しく飲んでいる男の子に声をかける。

「えっと、お名前教えてくれるかな?私はみょうじなまえって言うの」

警戒されないように、まずは自分の名前を名乗る。
すると男の子はおずおずと、名前を声に出してくれた。そしてその名前を聞いて、私は驚愕することとなる。

「……みどうすじ、あきらくんって言うの?」
「そやよ」
「御堂筋……あぁ、うん、お名前教えてくれてありがとうね」

その男の子は、「御堂筋翔」くんというらしい。
私がその名前に驚いたのは、御堂筋という苗字が珍しいからとか、翔という名前の響きがとんでもなく良いとか、そういう理由ではなかった。

(御堂筋翔って……うちの後輩と、同じ名前……)

これが佐藤さんとか鈴木さんとか、姓名ランキングで上位に食い込んでくる名前なら気にも留めないことなのだろう。
しかし御堂筋という苗字が何世帯もあるとは思えなかったし、そう言われてみれば目の前の男の子は御堂筋くんにとても似ているような気がしてきた。
正直私は非科学的なことなんてこれっぽっちも信じていないけど、男の子の名乗った名前が嘘では無いなら、子どもの頃の御堂筋くんなのでは、と少しだけ思ってしまう。
そんな事を考えながら私が会話に困っていると、がちゃり、と部室のドアが開く音がした。

「あ、」

ふとドアの方に顔を向けると、つい先ほどまで頭の中でぐるぐると名前が回っていた、高校生の方の御堂筋くんが見えた。少し驚いて、つい変な声を漏らしてしまう。
御堂筋くんはいつものように部室内に入ろうとして、部室にいる男の子の存在に気付く。私に向かって「どしたん、その子」と声を出すと、男の子が顔を私から御堂筋くんに向けた。
二人の視線が、噛み合う。

「……………………ボクやん」

御堂筋くんが小さな声でそう呟いたのを、私は聞き逃さなかった。





本当に信じ難いことだけれど、今もまだ状況をはっきりと理解はできていないけれど、どうやら小さい御堂筋翔くんはやっぱりうちの後輩の御堂筋くんと同一人物らしい。
タイムスリップでもしてきたのだろうかと笑ってしまいたいけれど、きっとそれが真実なのだろう。世の中、不思議なこともあるものだ。
私と御堂筋くんと小さい御堂筋翔くん(エースの御堂筋くんと区別するために翔くんと呼ぶことにする)はこの状況をどうするべきか思案していたけれど、思案している途中で石垣くん達が訪れて練習着に着替えなくてはならなくなったので、翔くんと私は部室の外に出てぼんやりとしていた。

「あのお兄ちゃんも、ボクと同じ名前なんやね」

翔くんが、まだ飲みきっていないジュースを少しずつ飲みながらぽつりと言う。
彼自身は御堂筋くんと同一人物で、自分がタイムスリップをしていることを理解していないらしい。そりゃタイムスリップなんてそうそう有り得るものではないし、小学生の翔くんと高校生になった御堂筋くんでは体格も雰囲気もまるで違うから、理解する方が難しいだろう。

「うん、おんなじ名前やったね」

部室棟の壁にもたれながら、私も同じような台詞を言う。
年下の子と話しているのだから私が会話を振らなくてはいけないと分かっているけれど、それ以上の言葉が思いつかなくて、私はぼんやりと空を仰ぐ。
するとジュースを飲み切った翔くんが、私に質問をした。

「なまえお姉ちゃんは、さっきのお兄ちゃんとどういう関係なん?」

翔くんに聞かれたことは、まるで女子会の時に友達からされるような質問で、少し似合わなくて笑ってしまった。
笑う私を不思議そうに見つめる翔くんに、私は分かりやすく説明する。

「部活の先輩と後輩だよ。私が三年生でマネージャーで、御堂筋くんが一年生でエースなの」
「部活って、クラブ活動みたいなんのこと?」
「そうそう。よく知ってるね」

なんだか受け答えが可愛くて、ぽんぽんと目線の下にある翔くんの頭を撫でる。すると翔くんは恥ずかしそうに、でも嬉しそうに口をイーッと開いて笑った。綺麗に整った歯はこの頃からだったのか、と微笑ましくなる。

「ねぇなまえお姉ちゃん、手ぇ繋いでいい?」

段々と私に慣れてきてくれたのか、翔くんはそう申し出てきた。断る理由なんてないので、もちろんいいよ、と快諾する。
握った手のひらは私より一回り小さくて、でもしっかりしていた。

「手、結構しっかりしてるね。やっぱロードバイク乗ってるとこうなるのかなぁ」
「手はボクもよく分からん……あれ、ボクロード乗ってるって言うたっけ」
「んー、超能力だから分かるの」

私が冗談っぽくそう言うと、翔くんはすごい、と言いたげに見つめてくる。ほんとに凄いのは私じゃなくて、タイムスリップしている君の方なんだけどなぁ、と思ったがそれは言わないでおいた。
部室から、着替え終わった部員達が出てくる。御堂筋くんは一番最後に出てきて、ドアのすぐ横にいた私達を一瞥する。

「みょうじさん、何ちっさい子と手繋いでいちゃついとん」

少し不服そうな御堂筋くんだけれど、そのちっさい子が自分自身だと分かっているからか、あまり強くは言ってこない。
翔くんも翔くんで、御堂筋くんが自分のようだと感覚的に分かっているのか、御堂筋くんを怖がるそぶりは見せなかった。それどころか、御堂筋くんを挑発するように私の腰にぎゅっとしがみついてくる。

「ちょっとお前何しとるんや。離れろ」
「いやや。だってさっきなまえお姉ちゃんとお兄ちゃんはただのセンパイコーハイ言うてたもん、ええやん」
「ええけどあかん」

御堂筋くんと翔くんがわあわあ言いながら争っているけれど、傍から見ると楽しげに兄弟喧嘩をしているように見える。様子を見ていた石垣くん達が「大人げないぞ」と御堂筋くんを止めにきて、御堂筋くんは仕方なく手を引きつつも頬をハムスターのようにぷくっと膨らませたまま練習に向かっていった。
とりあえず私争奪戦に勝利した翔くんは可愛らしい笑顔を浮かべていて、色々と勝利を求めていたのもこの頃からか……と私はしみじみと感じた。





散々争って、部活をして、帰り道。
迷子になった翔くんを送り届けるため、私と御堂筋くんと翔くんは御堂筋くんの家の近くまで歩いていた。

「ここまで来たら分かるか?」

御堂筋くんがぶっきらぼうに翔くんに聞く。
翔くんはこくりと頷いて、「この交差点は見覚えあるんや」と言った。

「あの果物屋さん、あるやろ。あの隣の路地を抜けたらちっさい公園に着くんや」
「公園分かるで、そこからはもう道分かる」
「さよか、なら良かったわ」

なんだかんだ、最後は御堂筋くんは優しかった。一緒に帰って、丁寧に道を教えてあげている。私はそれを横目で見ながら、珍しいものを見れたな、と思う。
果物屋さんの隣の路地まで三人で足を運び、「じゃあ、ここでばいばいや」と御堂筋くんは言う。私も翔くんに笑いかけながら、「ばいばい」と別れの挨拶を声に出した。

「ばいばい。また会えるん?」

翔くんの声が、少し震えていた。
また会えるかと聞かれると、私は返事に困ってしまう。だって翔くんはタイムスリップを偶然してしまって、生きている時代と少しずれたところに偶然訪れてしまったからだ。また明日も来れるかは分からないし、というかきっと来れないだろう。
そう考えていたら、私の代わりに御堂筋くんが、翔くんの目線と同じになるくらいまで腰を屈めて声を出した。

「ずっと、ずっと先で、また会えるで」
「ずっと先って、どんくらい?十年くらい?」
「そんなかからへんよ」

だから、楽しみにしときや。
御堂筋くんはそう言った。翔くんは、頷いた。

「そんじゃあ、ばいばいな」

翔くんはもう一度別れの言葉を告げて、私と御堂筋くんに手を振る。私も手を振りかえす。御堂筋くんは手を振るのに慣れていないのか、手を軽く上げるだけだった。でも、それで充分なように思えた。

翔くんは、路地を翔けていく。
段々とその姿は薄くなっていって、次第に透明になった。
きっと、元の時間軸に帰れたのだと思う。

「帰れたよね、きっと」

私が言うと、御堂筋くんは「帰れたで」と断言した。
そうか、あれは御堂筋くんの過去の姿なのだから、御堂筋くんが既に経験したことだったのだ。そう考えると、断言したことも腑に落ちた。

「時間旅行の行き先は、今日やったんやなあ」

御堂筋くんの台詞にしてはあまりに詩的だったので、なんだか私も感化されてしまって、ファンタジーの世界にいるような、それにしては現実味が濃いような、変な気分になった。

「御堂筋くんにとって、ずっと先の今日は遠かった?近かった?」

そんな気分のまま、御堂筋くんに尋ねる。
彼はいつも通りの表情のまま、「ほどほどやな」とだけ答えた。

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