私は冷や汗だらだらで、目の前にいる人物を見上げる。
ひょろりと長い体、何を考えているのか全く分からないような瞳。そしてもっと特徴的な、綺麗な歯の並んだ口を開いて、目の前の人物は「そうやなあ」と思案するような声を出した。

「パシリにでもなってくれるんやったら他の奴に黙っててやってもええけど?」

にやり、という擬態語が似合う笑みを浮かべて、目の前のーー御堂筋は言う。
その笑顔があんまりにも怖くて、私はその恐怖に気圧されたのか無意識のうちに首をぶんぶんと縦に振っていた。

御堂筋翔。
京都伏見高校でのクラスメイト。それ以上でもそれ以下でもないと言い切りたいけど、それ以上でもありそれ以下でもあった。
御堂筋と私は小学校のときのクラスメイトで、仲は全く良くなかった。というのも、私がクラスの男子と混ざって御堂筋をからかう事が度々あったからだ。体の小さな御堂筋はからかいやいじめの的になりやすく、幼い頃の私やクラスの男子はそれが当たり前だと思い込んでいた。

(まさか、あんなことになるなんて)

御堂筋とは中学が違ったので、どうせこれから会うことはないだろうと思っていた。というか、存在を忘れかけていた。
しかし京都伏見高校に入学してふとクラスを見回すと、激しく見覚えのある名前と顔があるではないか。しかもその辺の男子よりかなり大きな背丈になっていて、威圧感ランキングでもしたならば学年一位になりそうだった。
できるだけ関わらないように過ごそうとしていた矢先に御堂筋に呼び出され、私が死に物狂いで御堂筋のパシリになるのならば過去のことは言及しないという話を持ち出された。
そんな話なんて無視してしまえば良かったのだろうけど、あの威圧感の前では発言なんてとても出来なかった。
「虐めている方はすぐ忘れるが虐められた方はずっと覚えている」と何処かで聞いた言葉を思い出して、まさにそうだと後悔した。反省ももちろんしているが、今は後悔の方が果てしなく大きい。

「なんで虐めてたんやろ……」

机にごつんと頭をぶつけたまま、ぼそりと呟く。
たぶん、理由なんてなかったのだ。皆がしてるからなんとなく流れに乗っただけだったような気がする。
そう考えると、如何に過去の自分が考え無しで最低だったかを思い知らされて、どうしようもない気分になった。
償いだなんて大それたことをしようとは思わないけれど、御堂筋のパシリをちゃんと全うすることが今の自分に出来ることなのだろう。とりあえずパシリをして、御堂筋に反省と後悔がちょっとでも伝わればいいな、とぼんやり思った。



「遅い」
「……ごめん、なさい」

肩で息をしながら、コンビニで買ってきたスポーツドリンクを御堂筋に差し出す。御堂筋はそれを受け取ると、ごくごくと良い勢いで飲む。
時刻は朝の七時半。学校の始業時間より一時間早い。パシリとしてこの時間にスポドリを買ってこいと言われたのは一週間前のことで、それから平日は毎日このパシリ業に勤しんでいる。
今日はうっかり寝坊をしてしまい数分遅れたので、御堂筋に「遅い」とどやされた。数分くらい良いじゃないと思うけど、それを御堂筋に言うとどうなるかは分かっているため言わないでおく。
息が段々と通常どおりになってきたころ、御堂筋はごそごそとポケットをまさぐって硬貨を取り出した。

「スポドリ代」
「あ、ども」

普通パシリに払わせるもんだと思うけど。
でもそれを言うのはなんとなく憚られたので、差し出されたものをありがたく受け取った。
御堂筋がペットボトルの中のスポドリを飲み干すまで、私はそれを何の気なしに見ている。終始無言も気まずいので、一言声をかけてみた。

「御堂筋、毎日乗ってんの?それ」

ロードバイクと呼ばれるらしいものを遠慮がちに指差して、聞く。御堂筋はちょうどスポドリを飲み終えた頃で、「おん」と返事した。

「朝夜部活で乗っとる」
「そっか」

そう返事すると、御堂筋は私に飲み終わったペットボトルを押し付けてロードバイクに跨る。そしてそのまま何も言わずに遠ざかっていき、私とペットボトルが残される。

(……確か、あのロードバイクは)

ふと、幼い頃の記憶が蘇る。
小学生のころ、将来の夢を描く課題があった。そこで御堂筋は、あのロードバイクを描いていたような記憶がある。「スポーツ選手になりたい」と言葉を添えて。
あの頃からずっと、乗り続けているのか。そう思うと、心の奥がぎゅっと縮こまった気がした。
あんなやつがスポーツを続けられるわけがないと、幼い頃心の何処かで思っていた。けれど今でも、御堂筋はロードバイクを続けている。その現実に気付くと、自分がなんて小さな人間だったのかを思い知らされた。



パシリというものは、一体どれほどパシられれば良いのだろうか。
わざわざ夏休み中に関東まで来て、まるで自転車競技部の部員のようにせっせと働きながらふと思う。
つい先日御堂筋から言い渡されたパシリ命令は、インターハイでの補給を手伝うことだった。自転車競技部は部員がそれほどおらず人手が少ないため駆り出されたようで、皆あくせくと働いていた。大会本部からのラジオを聞きながら待っていると、見覚えのある色が道の端から見えた。

「御堂筋!こっち!」

薄紫のサイクルジャージに向かって、大きな声を出す。他の部員も同じように声を出しながら、渡す人物の近くへ駆け寄る。彼らの進路を邪魔しないように、けれど彼らから必要以上に離れないように。
御堂筋へと差し出した補給食は、あっという間に御堂筋がさらってゆく。その瞬間、私の中に、よくわからない感情が芽生えた。

汗をぽたぽたと流しながら、補給食を渡し終えた私達は片付けをして次のポイントまで車で移動する。車に乗り込んだ他の部員は真剣な顔をしていて、どれだけインターハイに真面目に挑んでいるのかが読み取れた。
御堂筋は私に何か語ったりしないから詳しいことは分からないけど、もしかしたら優勝を狙える枠にいるのかもしれない。
先ほどまでいた補給ポイントで見た御堂筋も、真剣かは分からなかったが勝ちをひたすらに求めている顔をしていた。
その姿を一瞬目で捉えて、初めて御堂筋に対して持った感情があった。確かにあの瞬間、御堂筋を、かっこいいと思った。



「みょうじ」

あのあと御堂筋は、リタイアしたと聞いた。
その時初めて、インターハイとはそれほどまでに過酷なものなのだと思い知った。

「はいはい」

御堂筋の声が聞こえたので、振り返って淡々と返事をする。
インターハイが終わってもパシリはもちろん終わっていなくて、今日も私はスポドリを御堂筋に手渡した。
御堂筋は以前と変わらない仕草で、スポドリを受け取り蓋をくるくる回して開けて、浴びるように飲んでいた。

「御堂筋」
「なんや」

御堂筋の名前を呼ぶと、彼は目線だけこちらに寄越した。

「パシリはいつまで続くん?」
「いつまでも」

私が質問すると、御堂筋は間髪入れずに答える。
いつまでもかぁ、とおうむ返しすると、そやでぇ、と間延びした声が聞こえる。

「いつまでもって、いつまで?」

意味のない質問を、してみる。
御堂筋は変な質問をした私の方を見て、目を少し細めた。笑ったわけではなく、ただ目を細めただけだった。

「死ぬまでやなあ」
「死ぬまでかあ」
「みょうじ」
「なに」
「みょうじボクのこと好きなんちゃう」
「………………」

なんだか、急に変なことを聞かれた気がする。
御堂筋の方を見ると、別にふざけているわけではないらしい表情をしていた。
確かに私はインターハイのとき、御堂筋に恋をした、のかもしれない。そしてその気持ちは、日が経つごとにもやもやっと増えていったことは事実である。
でも、私は過去のこととはいえ御堂筋を虐めていたのだから、それを言う資格なんてどこにもないと思っていた。だからひたすらにパシられれば、それで良いと思っていたのだ。

「好きかもだけど、だめでしょ」
「だめではないやろ」
「だめではないの?」
「ボクは小学校の頃から好きやったから」
「…………知らなかった」

まさかの爆弾発言が聞こえた気がする。
目を大きく見開いて御堂筋を見たが、彼はいつもの彼だった。

「嘘ではなさそう」
「嘘ちゃうからな」
「嘘じゃないのね」
「結婚しよか」
「話早いね」
「そしたら一生パシれるからな」
「ひどいなあ」

普通、付き合おうとか言ってお付き合いが始まるもんじゃないんだろうか。
そうは思ったけれど、御堂筋に普通の感覚を求めるのがそもそもの間違いな気がしてきたので、一応首を縦に振っておいた。

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