アシキバくんは、今日もピアノを弾いている。
私は、今日もそれを聴いている。
これは週一、もしくは隔週ペースの楽しみだった。
音楽室の中で、隅っこにあったパイプ椅子を引きずってきて、ピアノからほどほどに離れたところに置いて。そこで、私はぼんやりとした頭でアシキバくんの弾く曲を聴いている。

「なんか最近、ゆったりした曲ばかり弾いてる気がするなあ」

ふと、アシキバくんが言う。
それまで曲を弾いていた手を一旦止めて、ぽふ、と膝の上に置いた。

「そうかな」
「なんとなくだけどね。みょうじさんといるときは、なんかゆったりした曲選んじゃう」
「そうなんだ、何でだろうね」

私が何でだろうね、と言うと、アシキバくんはううんと首を捻ってみせる。
私は、アシキバくんが私といるときはゆったりした曲を選ぶ傾向にあるということに驚きだった。
アシキバくんはどこかほわほわしていて、そして天然で。だからゆったりした曲を好んでいるのはアシキバくん自身だと思っていたからだ。
でもよくよく考えると彼はガッツリ運動部で、おっとりとしているだけじゃいられない。そうなると、ゆったりクラシックだけじゃなくてロックやデスメタルが好きでも何ら不思議ではないのだ。

「アシキバくんはゆったり系好きじゃない?」

聞くと、アシキバくんはふるふると首を横に振った。別に嫌いなわけではないらしい。まぁ、嫌いなら弾いてないかと頭の中で納得して、そっかあと返事する。

「色んなジャンル好きだよ。一番好きなのは第九」
「ああ、年末によく聴く曲」

割とよく耳にする曲を思い浮かべて、ふんふんと頷いた。

「たぶんだけど、みょうじさんがのんびりしてるからゆったりしてる曲を弾きたくなるのかも」

私が先ほどのアシキバくんの言葉に頷いていると、それを見ていたアシキバくんが徐にそう言う。
私はそんなにのんびり屋に見えるのだろうか。そう質問してみると、アシキバくんは笑いながら「うん」と断言した。

「前にね、ユキちゃんにみょうじさんってどんな人って聞いたことあるの」
「ユキちゃん……あ、黒田くんの事だね」
「そうそう」

アシキバくんは、アシキバくんとよく一緒にいる男の子の名前を出す。
私はクラスメイトの黒田くんの顔を思い浮かべて、そういえば黒田くんとアシキバくんってタイプ全然違うのに仲良いよなあ、と全く見当違いな事を考えていた。

「そしたらユキちゃんね、『みょうじはいつもぼーっとしてる』って言ってた」
「わぁ、なんか失礼だ」
「確かにちょっと失礼かも」
「でも間違いじゃないから何も言えないや」

そう言ってふふふと笑うと、アシキバくんもあははと笑った。
現在の私は、誰がどう見てものんびり屋らしい。友達にも言われたことはたくさんあるし、そんなに話したことのない黒田くんにもそう思われている。勿論、アシキバくんにも。

「とりあえず今日は、いつもと雰囲気変えてテンポの速い曲にしてみようか」

アシキバくんは膝の上に置きっぱなしにしていた手を、鍵盤の上に再度置いた。
何の曲を弾くのか尋ねると、「ウィリアム・テル序曲だよ。聴いたことあると思う」との返答が来る。
曲名から咄嗟に主旋律が出てこなくて考えあぐねてみたけれど、どうせアシキバくんが弾いたら分かるだろう。

アシキバくんは、最初の音から全開で弾いた。
確かに聴いたことのある旋律。
聴いているだけで気が急いていくような、走らなければいけない気分になるような。ふと、運動会や体育祭で流れていたことが思い出された。
なんだか嫌なことを思い出したときのように、背中の辺りに汗が流れた。まだ汗をかくような時期ではないのに。
今までぼんやりとしていた私の頭は急に冷静になって、まだ最初の部分しか聴いていないのに、もういっぱいいっぱいだと警鐘を鳴らし始めていた。

「あ、アシキバくん」

演奏中にも関わらず、私はアシキバくんに声をかけた。
けれどいつもの曲と比べて、勢いもあるし鍵盤を叩く強さも違う。だからか、アシキバくんに私の声は届いていないようだった。
この曲はもういいよ、と言いたかった。けれど私のそれほど大きくない声はどうにもアシキバくんに伝わらなくて、私はこの駆け抜けるような曲を、最後まで聞くしか道は無かった。

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