一つ目、天然ボケでまったりした性格を持っているところ。
二つ目、走ることについて挫折を経験しているところ。
三つ目、それを乗り越える力を持っているところ。
これが荒北先輩が言った、私とアシキバくんの同じニオイのする部分らしい。「三つ目は、まだ分からないですよ」と私が言っても、荒北先輩は「俺にはニオうんだよ」とだけ言った。


アシキバくんが無期限謹慎になってから、もう何回目か分からない月曜日が訪れる。あれからピアノの音は聞こえない。ピアノが聞こえないから、私も音楽室に向かわない。アシキバくんが黒田くんの元に来ることもかなり少なくなり、彼の姿を見ることはほとんど無くなった。たまに廊下ですれ違うときに見かけても、元気は無さそうだった。

「最近あの子見かけないね」

もぐもぐと惣菜パンを咀嚼しながら、友人は言う。誰のこと、と聞くのは野暮である。アシキバくんのこと、と当たり前のように聞くと、そんな名前だった気がすると彼女は返した。

「前はよく話してなかった?」
「うん。でも最近会ってないんだ」
「喧嘩した?」
「してないよ」

私は既に食べ終えたお弁当箱の蓋を閉じながら言う。お腹いっぱい、と胃のあたりを撫でると友人はそれを見て笑った。呑気そうでいいねとでも言いたいのだと思う。
それは今の私にとっての、唯一の長所だ。

「寂しがってんじゃない、その葦木場くんとかいう子」
「そうかな」
「あんたみたいな子は近くにいるだけで元気出るからね」

いつもはちょっぴり嫌味っぽく話しがちな友人は、普段とは違う声音で私に言う。そうかな、ともう一度同じ言葉を繰り返すと、彼女は頷く。私は空っぽになったお弁当箱をぎゅう、と手のひらで包み込んだ。
アシキバくんが、寂しがってくれていたらいいなとは思う。
アシキバくんにとってわたしは大きな存在ではないだろう。彼の音楽を音楽室でただ聞いて、廊下で会えば挨拶をして、たわいもない話をする。それだけの仲だ。
けれど私は今、寂しいと思っている。アシキバくんと楽しく話せない日々が、アシキバくんのふんわりとした笑顔を見られない日々が、アシキバくんのピアノを聴けない日々が、寂しいのだ。
友人は、私がいるだけで元気が出ると言ってくれた。荒北先輩は、私にはアシキバくんを支える力があると言ってくれた。私自身は、私にそんな力があるとは思えない。だから私の存在がアシキバくんの力になるとはやはり考えにくい。けれどアシキバくんに会えない日々は寂しくて、アシキバくんがどう思っているかは分からないけれど、私はアシキバくんに会いたい、と思う。

「私も会いたいな。アシキバくんいないと寂しいや」

そう言うと、友人は笑った。母親のような笑い方だった。
そして黒板の右端に書かれた日付を見て、今日は月曜日だね、と一言だけ言った。





音楽室に行こうと思えたのはいつ振りだろうか。とんとんと軽い足音を立てながら階段を上がっても、ピアノの音は聞こえてこない。けれども迷わず足を進めた。
音楽室の前に着き、すう、と息を吸い込む。私が今からしなくてはいけないことはドアを開けることだけなのに、何故か緊張をしているのが分かる。ここまでたどり着いても音は鳴らない。鳴らないけれど、この先には確実にアシキバくんがいる気がしている。
ドアを掴むとひんやりとしていた。いつか感じた心臓の奥の感覚に似ていた。そして覚悟を決めて、がらりと音を立てながらドアを開く。

「……あ、みょうじさん」

予想通り、アシキバくんはそこにいた。
アシキバくんの身長に合わせて調節された椅子に座り、ピアノに両手を乗せていた。鍵盤を叩く気配は見せない、純粋に手を乗せているだけ。アシキバくんから無期限謹慎の話を聞いた時と同じ。表情も、同じ。

「ひさしぶりだね」

私が言うと、アシキバくんも「ひさしぶりだね」とおうむ返しをした。笑顔をみせてはくれたけれど、やはりそこには負の感情が見え隠れしている。
私の顔を見ていたアシキバくんは、ゆっくりとピアノに視線を移した。そして呟く。

「なんか、ピアノ弾けなくなっちゃった」

口元は弧を描いているが、目は伏せられていた。
毎週月曜日、音楽室には欠かさず来ていたとアシキバくんは言った。毎週欠かさず来て、ピアノの前に座ったと。ピアノを弾けば気分も上を向くかもしれないと。

「でも、なんでか分からないけど、鍵盤を押せなくなってた。なんでだろ」

鍵盤から手を離し、アシキバくんは自身の手のひらを見つめる。握りこぶしを作ったり思い切り指を伸ばしたり、右手で左手の指をぐにぐにと動かしたりした。今は器用に動く手も、鍵盤と対峙した瞬間にぴたりと動くのをやめてしまう。なんで、とアシキバくんは再び独り言のように問う。

「ピアノにも無期限謹慎言い渡されちゃったのかなあ」

その声はあまりにもか弱い。私がいる手前なんとか明るく振舞いたいようで、でもそれに体は追いついていないようで。
そんなアシキバくんに対して、私は一体何ができるのだろう。
元気が出るだとか支えになれるはずだとか、周りの人は私をそう評してくれた。しかしこんなアシキバくんを前にして、私は無力を痛感する。痛感して、痛感して、それでも何もせずに突っ立っているだけなんて、できない。何も出来ないけれど、何かせずにはいられない。

「アシキバくん」

入口に突っ立っていた私は歩を進める。アシキバくんの座っている椅子のすぐ横に立って、彼を見つめる。
素敵な励ましの言葉なんて思いつかない。思いつかないが、口を開く。

「荒北先輩がさ、言ってたの」
「……荒北さん?」

口をついて出たのは、共通の先輩の名前。見知った名前だからかアシキバくんの反応は素早くて、手を見つめていた視線を再び私の顔へと向けた。どうして私が荒北先輩と知り合いなのかと不思議に思ったようだったので、中学が一緒なんだと簡単に説明した。

「私とアシキバくん、似てるんだって」
「似てるかな、……似てるかも」
「性格とか、挫折を味わったとことか」

性格とか、と言うとアシキバくんはふんふんと頷いてみせる。挫折という言葉を口にすると、アシキバくんはまた疑問を抱いているような表情をした。
そこでふと、私はアシキバくんの挫折を知っているけれど、アシキバくんは私の挫折のことなんて一切知らないことを思い出す。そして本能的に、私はこの挫折の経験をアシキバくんに話しておきたい、と思った。
つい最近まで、自分自身でも触れたくないと思っていたはずの部分。それを曝け出そうと思えたのは、アシキバくんと共に私も前に進みたい、そう思い始めたからのかもしれない。

「アシキバくん、あのね」
「なあに」
「まずは私の話、聞いてほしいんだ」

アシキバくんはそれに頷いて、私の目を見据えてくれた。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -