中庭は暖かくて、ちらほらとベンチに座って昼食を取っている人達が見受けられる。私は中庭に来る途中に買ったパンの袋を開けながらベンチに座り、荒北先輩は自販機でベプシを買ってから同じように座った。少し距離を空けて座ったようだけれど、荒北先輩は足を大きく開いて座るものだから案外丁度いい距離感になった。

「で、最近どーよ」

荒北先輩はベプシのキャップを開けて勢いよく飲む。それのついでのように質問され、私は頭の中にあった内容を彼に話した。

「こないだ荒北先輩言ってたじゃないですか、無かったことにしたい記憶がどうとか」
「言ったなァ」
「それを思い出したんですよ、少し」

そう言って、一呼吸置くように私はパンにかぶりつく。お気に入りの焼きそばパンは売り切れていたのでウインナーパンにしたが、これもなかなか美味しい。
そんなウインナーパンをもぐもぐと咀嚼している私を、荒北先輩は目を細めながら見る。元々細目だが。

「へェ。どういうのを思い出したんだ」
「……こういうのって、そんなざっくり聞いちゃうものですか?」
「ヤなら言わなくていーんだよ。聞きたいワケでもねェし」

結構人の領域に土足で踏み込んでくるなぁと思い聞くと、今度は淡々と突き返される。どっちなんだよと声を上げそうになってしまったけれど、ふとこれが荒北先輩のやり方なのかもしれないなと思った。必要以上にこちらに来て、でもすぐに出ていく。するとこちらは追いかけたくなって、口を開くようになる。
伊達に一年長く生きてないなと思いつつ、私は話し始めた。

「同じ部活の子に、階段から突き落とされて怪我をして、それで部活を辞めたって……そう、思い出したんです」

陸上大会のホームページに乗っていた、リレーメンバーの写真。その端っこに写っていた、固い笑顔の彼女。
彼女を見ていると心臓が冷えた。何故だろう、と思い見続けていると、急にあの浮遊感を思い出した。そこから閉じ込めていた記憶が思い出されるのに、さほど大した時間は掛からなかった。

「はっきりとした時期はあんまり分からないんですけど、三年の春に、きっと……」

中学二年までの大会の記録は見つかったが、三年に上がってからはめっきり見つからなくなった。だから恐らく、三年の春に私は突き落とされ、部活を退部せざるを得ない傷を負ったのだろう。
まだ記憶をしっかりと自分のものに出来ているわけではない。少し他人事のように思うところもある。だけれど声が震えて、身体は覚えているのだろうなと感じさせられる。

「きっと恨まれてたんでしょうね」

特別彼女と仲が良かった記憶も、悪かった記憶も出てこなかった。ただ時折私に見せていた据わった目だけはひどく恐ろしかった気がする。

「みょうじが優秀過ぎて恨まれた末の、ってヤツか」
「そう言われるとなんか……ナルシストみたいで嫌です」
「でも間違っちゃいねーんだろ」

荒北先輩は大口を開けてパンを食べながら、つんつんとした口調で言う。私の買いそびれてしまった焼きそばパンを何の遠慮もなく食べる姿が何となく羨ましかった。
私も同じようにウインナーパンに食らいついてみたけれど、一口分食べるのに精一杯だった。
荒北先輩がパンもベプシもお腹に入れて、私もパンを何とか食べ終えた後、見計らったかのように荒北先輩が声を上げた。ベンチに片足を乗せて、まるでヤンキーのような姿勢をしながら。

「つーか、今日の本題ってソレじゃねェんだろ」

やはり荒北先輩は鋭いなと思う。
前に黒田くんが「あの人の嗅覚は異常だ」と言っているのを聞いたことがあったけれど、人に関する嗅覚が半端では無い。きっと荒北先輩に隠し事は出来ないだろう、少なくとも黒田くんや私では。
私は眉を下げつつ、そうですと返事をする。そしてパンが入っていた袋を無意識に手の中でぐしゃぐしゃにしながら、目だけ荒北先輩の方に向けた。

「前に、記憶がどうとか言った時にアシキバくんの話もしたじゃないですか」
「ンー……あぁ、したな」
「あの時のこと、ナシにしたいなと思って」

そう言うと、荒北先輩は少しだけ目を見開いてこちらを見た。私の要領の得ない説明の所為か、何が言いたいかあまり分からなかったらしい。どういう意味だァ?と聞いてくるときの顔が結構おっかなかったので、できるだけ分かりやすく説明しようと努めることにした。

「なんていうか……アシキバくんのブレーキ役になってくれって言いましたよね、荒北先輩」
「そういや言ったな」
「でも、私には無理だなって」

自嘲にも似た私の発言に、荒北先輩は何も言わない。私が次に言う言葉をただ待っているようだ。
ぐしゃぐしゃに丸まったパンの袋を、それほど遠くないゴミ箱に向かって投げる。風に煽られて上手く入らなかったので、また後で入れ直さなくてはとだけ思った。

「アシキバくんが部活、無期限謹慎になったって聞きました。アシキバくんの口から。でも聞いたとき、私何も言えなくて……アシキバくんも、無理して笑顔作ってて」

そう言った後も、荒北先輩はまだ私の言葉を待った。
私も私で、構わず話し続けた。

「アシキバくんのためになること、何も出来なかったんです。それに私とアシキバくん、ただお喋りしたりピアノ聴いたりする関係なだけで……支えるとか、そういう特別な存在にはなれないと思うし」
「……」
「あと、正直……部活の思い出をなかった事にして逃げた私は、今のアシキバくんに悪影響しか与えない気がするんです」

そこまで言うと、荒北先輩は機嫌が悪そうにハァァ、と大きくため息を吐く。そして続けて「で?」と言ってきたので、私はちょっと焦ってしまう。

「…………で、って言われても」

困惑気味に返すと、荒北先輩はなんだか怖い顔をしながらベプシのペットボトルをゴミ箱へと投げる。それは風の抵抗を受けずに綺麗な放物線を描いて、ゴミ箱へと吸い込まれていった。

「言い訳ばっか達者になってもイイコトねェよ」

荒北先輩が言う。頭をガリガリと掻きながら、私への言葉を探しているようだった。

「要はアレだろ、葦木場の事も含めて、お前が色々思い出して後ろ向きになってるだけだ」
「そんな簡単に……」
「でも間違っちゃいねェ。そうだろ?」

顔を覗き込むように言われると、はい、としか返事が出来なくなる。しかし間違っていないのは確かだと思えたから、私は目を見て返事をした。

「思い出させといてアレだけどよ、昔振り返ってあーだこーだ言うより、今の葦木場を支える方がよっぽど楽だぜ」
「……そうですかね」
「そういうもんだ」
「でも、なんで私がアシキバくんを支えるんです?」
「イヤか?」
「全然イヤじゃないです、けど」

アシキバくんのブレーキ役になるのも、支えるのも嫌ではない。私はアシキバくんを友達だと思っているし、一緒にいて心地良いから。
でも私は支えるだけの技量がないし、アシキバくんのことを理解してあげられる自信もない。立場が違うし、何より私はとうの昔に逃げ出した人間だからだ。
なんで私なんですかね、と嫌な響きにならないように気を付けつつ荒北先輩に聞いた。
すると荒北先輩は今日初めてうっすらと笑みを浮かべたのだ。

「だってみょうじも葦木場も、おんなじニオイがするんだぜ?」

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