「純太」

小さいけれど芯の通った声が、手嶋の名前を呼ぶ。その声に、ついさっきまで私と話していた手嶋が振り返った。廊下側の窓から覗く茶髪を見つけると、青八木、と口に出し、私に断りを入れて席を立って青八木の方へ歩いていった。

手嶋と青八木と知り合ったのは、二年になった時くらいだったと思う。知り合った理由とか仲良くなった経緯とかは忘れてしまったが、気が付いたら結構話すようになっていた。結構話すとは言っても、話すのは主に手嶋とで、いつの間にか手嶋と私は俗に言う「お付き合い」をする仲になっていた。青八木とはそこまで会話を交わす事はない。青八木が無口なだけで、仲良くないという訳ではないと思うけれど。
そんな二年の時から知っている二人組に、最近ある変化が起こっている事に私は気付いていた。

「てしま」

私は小さく声に出す。

「あおやぎ」

また、小さく声に出す。
これは、私が二人を呼ぶ時に使う単語だ。少し前までは手嶋と青八木もこうやってお互いを呼んでいたはずだ。けれど、最近は違う。三年になってから、下の名前で呼び合うようになったらしい。現にさっき青八木は、手嶋の事を「純太」と呼んでいたし、手嶋も私との話の中で青八木の事をよく「一」と呼ぶ。私も心の中で、じゅんた、と呼んでみる。呼びやすい名前、だと思う。でも実際に呼ぶ機会はまだ無い。

「ごめん、ちょっと部活の打ち合わせだった」

手嶋が青八木の元から帰ってきて、ごめん、とはにかむ。私はそれを見て、構わないよと事もなげに言った。

「部長になってから忙しそうだね」
「まぁな。……なんつーか、悪いな」
「え、なんで?」
「部活の事ばっかで、休みの日とか構ってやれないからさ」

そう言った手嶋は、申し訳なさそうな顔をしていた。そんな手嶋を見て、私はちょっと驚く。手嶋は自転車一筋で、私の事を構ってくれないのは当たり前な事だろうと思っていた。だって部長だし。色々責任とか負う立場だし。だから休みの日のデートが出来なくても、メールや電話が頻繁に出来なくても、気にした事は無かった。そう告げると、今度は純太がちょっと驚いたようだった。

「みょうじって、欲無いんだな」
「欲が無いって訳じゃないけど……なんていうか、友達だった期間が長いからかな。こうやって話すだけでも充分っていうか」
「なるほどな」

ふんふん、と手嶋は腕組みをしながら頷いた。私はこうやって手嶋とお喋りしたり、手嶋に彼女と認めてもらえるだけで満たされている。満たされている、のだけれど。

「……でも」

心の中で出したはずの声は、実際に口から出ていたらしい。吐き出された逆接の言葉は小声だったものの、向かい合わせで話していた手嶋にはクリアに聞こえていたようで、どうした?とこちらに身を乗り出してくる。

「あ、いや、なんでもない」
「なんでもない事ないだろ。でも、なんだよ」
「えー……だからなんでもないって」

何となく言うのが恥ずかしくて、言うのを渋る。すると手嶋の手がこちらににゅっと伸びてきて、私の頬を掴んだ。そしてふにふにと押したり引っ張ったりしたかと思えば、ぐぐぐ、と両端に強く引っ張る。

「い、いひゃいいひゃい」
「えー、何言ってるかよくわかんねえなあ。みょうじが何言いかけてたか教えてくれたら離してあげるんだけどなあ」
「は、はなひまふ」
「よーし、良い子」

話します、と口をもごもごさせて言うと、手嶋はぱっと手を離す。手嶋は優しいし良い奴だけど、たまにこういう意地悪な事をする。青八木が前に「純太は策士」と言っていた事を思い出す。その時の会話は確か、手嶋は作戦を立てるのが上手だとかそういう感じで、青八木は褒め言葉としてそう言っていたのだが。

「で、何なの?」

少し赤くなった私の頬を軽くさすりながら、手嶋は聞く。私は、あー、とかうー、とか唸りながら、まだ言い渋っていた。言うのはやっぱり恥ずかしい。

「……わ、笑いません?」
「内容によるけど?」
「うー……」

笑わないって言ってくれたら恥ずかしいながらもすぐに言うつもりだったのに、手嶋は私を翻弄するような言い方をする。それに影響されてまたうーうー唸ると、また頬をつままれそうになったので、わかったから!と叫んでその手を逃れた。

「え、えっとですねー……。あ、青八木とかは手嶋のこと、よく呼ぶじゃないですか」
「そうだな。それで?」
「んで、えっと、最近呼び方とか変わったじゃないですか」
「あー、そうだな。それで?」
「……頭の良い手嶋さんなら、この時点で察してると思うんですけど」

思う、というよりは、絶対手嶋は察している。なのに手嶋は何も言わず、にやにやしながらこちらを見ている。どうやら私に最後まで言わせる気らしい。ついさっきまでしおらしく「構ってやれなくて悪いな」とか言ってたくせに、態度の変わり様はなんなんだ。

「で?みょうじ、最後まで言わないとわかんないぞ」

もやもや考えていると、手嶋が相変わらずにやにやした状態で私を煽る。私はその手嶋の圧力にとうとう耐えきれなくなって、ぼそっと小さな声で言った。

「あ、青八木と手嶋がやってるみたいに、下の名前で呼び合いたい……ん、ですけど……」

小さな声が、どんどん消え入りそうになるのが分かる。欲が無いと自分で言ったのに、こんな小さな事を強く欲してると知られるのが恥ずかしかったのだ。ぼわっと顔が熱くなるのを感じて、手で顔を覆う。すると額辺りに、こつんと何か当たるのを感じた。

「なまえ」

至近距離から、手嶋の声が聞こえる。あまりの近さに、自分の額に当たったものが、手嶋の額である事に気付いた。慌てて仰け反ろうとすると、がしっと頭を少し大きな手で抑えられた。そしてもう一回、なまえ、と名前を呼ばれる。さっきよりも顔が熱くなるのを感じた。手嶋と付き合ってて、こんなにどきどきしたのは久しぶりだ。逆に言うと、私は名前を呼ばれただけでこんなにどきどきしてしまうウブな奴だったのだ、と気付いてしまった。
私が何も言えないでいると、手嶋は私の頭から手を離した。ちら、と顔を見ると、笑いをこらえている。

「なまえって思ったよりウブなんだな」

ふふ、と手嶋から声が漏れる。
私は恥ずかしくもありちょっと悔しくもあり、手嶋をキッと睨みつける。そして、顔を真っ赤にしながら、覚悟を決めてこう叫んだ。

「……じ、純太の、ばかっ!」

その時の純太のぽかんとした顔と、その直後の逸らした赤い顔。絶対に忘れてあげるもんか。

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