寮の自室で課題を片付けていると、課題に必要なプリントを一枚教室に置き忘れてきたことに気付いた。時刻は9時前。教師は結構遅くまで残って教材の準備やら何やらをしているだろうから、学校自体はまだ開いている。けれど俺はついさっきまで部活の自主練をしていたからか、学校まで行こうという気にはなれなかった。課題はさっさと終わらせたいが、どうにも動こうと思えない。どうしたもんかな、と思いつつ伸びをする。ふわぁ、と欠伸をすると、そういえば同じクラスのみょうじが、今日は委員会の仕事が積もり積もってなかなか帰れそうにない、と嘆いていた事を思い出す。もしかしたらまだ教室にいるかもしれない。携帯に手を伸ばして、電話帳からみょうじなまえというあまり使わない項目を探し出す。名前と番号とアドレスだけ書かれたそのページの番号の部分を押すと、ぷるる、と機械的な音が暫く流れる。4コールほど鳴ったときにそれは途切れ、ソプラノとアルトの中間のような聞き慣れた声が聞こえてきた。

『……新開?どしたのこんな遅くに』
「あぁ、ちょっと頼み事があってな」

俺がそう言うと、えぇ、とみょうじは面倒臭そうに唸る。電話口から風の音が全く聞こえない辺り、多分屋内にいるのだろう。

「おめさん、まだ教室にいる?」
『んー、いるよ。丁度今帰ろうと思ってたけど。委員会の仕事、もうほんと長引いちゃってさー……』
「おつかれさん」
『新開も部活おつかれさん』

んで、頼み事って?と聞くみょうじに、俺の机の上にあるであろうプリントを男子寮まで持ってきてくれないかという旨を伝える。みょうじは再度不満そうな声を漏らしたが、承諾してくれたのか、『あぁ、机の上あるよ。これで良いんだよね?』とプリントに書かれた字を読み上げた。

「あぁ。それだよ」
『分かった。んじゃ10分後くらいに着くから、玄関口にでも出といて』
「了解、ありがとな」
『どういたしましてー』

案外あっさり承諾してくれたな、と感心する。まぁみょうじは女子寮で生活しているし、男子寮とそれほど距離があるわけでもないから、ついでにという感じで男子寮まで行こうという気になってくれたのかもしれない。俺、運良かったなぁ、と一人で呟いた。



10分後、玄関口で待っていると、よろよろと歩いてくる物体を見つけた。みょうじだ。委員会の仕事量が半端なかったのか、なんだか顔もげっそりしていた。げっそりしながらも、玄関口に立つ俺の姿を見ると小走りで駆け寄ってきた。

「新開。プリント、持ってきた」
「おう、ありがとな。……大丈夫か、おめさん」
「あまり大丈夫ではない気がする……」
俺にプリントを手渡すと、眉間の辺りを指で抑えるみょうじ。こんな様子の奴をちょっとパシリみたいに使ったからか、罪悪感が生まれる。ごめんな、今度からはもう少しだけ気を遣う事を覚えるよ。
眉間を指でぐりぐりしていたみょうじは、ふと目線を男子寮の玄関口の横の辺りに移動させた。それが不自然な動きだったので、俺も釣られて目線を動かす。
みょうじの目線の先には、モコモコ、という擬音語が似合いそうな感じで動くウサ吉がいた。ウサ吉とは、俺が寮で飼っているウサギの事である。みょうじは、突然のウサギの出現に驚いたのか、目をぱちくりさせた。

「……ウサギ、いる」
「あぁ。飼ってるんだ」
「そういやそうだったね」
「知ってたのか」
「触っていい?」
「良いよ」

承諾すると、みょうじはウサ吉のところまで歩いていき、しゃがみ込んでウサ吉を抱きかかえた。アニマルセラピーみたいな効果があるのか、さっきまでのげっそりした顔が幾分和らいでいるように見える。おーよしよし、とモコモコのウサ吉を撫でる。

「名前は?」
「ウサ吉って言うんだ」
「新開が付けたの?……ウサ吉女の子だけど」
「ちょっと名付け方失敗したかな」

はは、と笑ってみせる。みょうじもそうだねー、と笑った。ウサ吉をもふもふして幸せそうだ。だが手元の時計を確認して、名残惜しそうに「そろそろ帰らなきゃ」と言った。それでもウサ吉を抱きかかえたままなのが、ちょっと笑える。

「そういやみょうじ、俺がウサ吉飼ってんの知ってる感じだったな。誰か言ってた?」

ふと、頭に浮かんだ事を口に出す。男子寮の皆はウサ吉の存在を知っているが、大抵の女子知らないはずだ。なのに先ほど、ウサ吉を飼っている事を既に知っていたような感じで俺と会話していた。
みょうじはうん、と返事をする。

「二年の時、福富くんに、新開がウサギを飼うんだが育て方を教えてくれないかって言われてさ。私割とウサギには詳しいから」

ねー、とウサ吉に向かって言うみょうじ。ウサ吉はもちろん返事をせず、黙ってもふもふされていた。

「だからウサ吉が女の子なのもすぐに分かったのか」
「そゆこと」

そう言うと、みょうじはウサ吉を抱えたまま俺の方に近づく。そしてウサ吉を俺の顔の真ん前まで持ってくると、突然裏声を出した。

「はやとくんのせいで、わたしひとりになっちゃった。せきにんとってよね」

一瞬、ぽかんとする。そしてその一瞬後、みょうじはウサ吉の気持ちを代弁したつもりだった事に気付いた。もうそれについてのトラウマは克服していたつもりだったが、ウサ吉の代弁の台詞は、割と心臓に突き刺さった。
みょうじはウサ吉を胸の位置まで下ろして抱き直し、俺の様子を見ているようだ。
やっと絞り出した声は、自分が思っていたより小さなものだった。

「おめさん、ちょっとばかし趣味悪いな」

乾いた笑みを浮かべると、みょうじはごめんね、と俺と同じように笑った。

「でもさ。そういうのって、誰にも責められないより誰かに責められた方が、気が楽になる時あるよね」

だから、とみょうじは言う。

「ウサ吉との事、知ってるのか?」

これもまた、自分で思ったより小さな声が出た。ウサ吉の母親を殺してしまった事は、部員しか知らない。他人にこの事を言いふらすような部員もいないはずだ。ウサギの育て方を寿一が聞いたと言っていたが、その時に寿一が口を滑らせたとも思えない。悶々と考えていると、みょうじは、うん、と言った。

「二年の時さ、暫く新開部活行ってなかった時あったじゃん。放課後に教室で寝てたりしてさ」
「あぁ、あったなそんなこと」
「その時私も放課後残っててさ、新開は爆睡してて。んで、夢でも見てたんだろうね。新開がさ、ごめん、ごめんウサ吉、お前の母さんこんなにしちまって、ってすっごいうなされてた」

あんまりにもうなされてるから、私慌てて起こしたんだよ、とみょうじは言う。そういえば、そんな事があったような気がする。酷くうなされ、みょうじに起こされたような事が。夢の内容は起きたらすぐに忘れてしまっていたが、あのトラウマの夢を見ていたのだろう。

「だからまぁ、ウサ吉のお母さんがどうなったのかはよく分からないし、過失とかそんなんだろうけど、ウサ吉に責められるような事を新開自身がしたんだなって思って」

でもウサ吉は喋らないし、きっと他の人も新開を責めなかったんだろうなって思って。
みょうじはそう続けた。

「誰にも責められないって、案外つらいでしょ」
「ああ……そうだな」

みょうじの裏声は、心臓に刺さったままだ。けれど、それについて初めて責められた事で、心臓の奥の奥にどろどろになって燻っていた何かが、刺されたところから染み出して、心臓が軽くなったような気がする。トラウマは克服していたはずだ。けれど、やはりそれは完全に消えたりせず、心臓の何処かに住み着いていたらしい。みょうじに心臓を綺麗にしてもらって、初めて、初めてその事に気付いた。
そうしたら、凄くみょうじに感謝を伝えたくなった。伝えたくなったが、伝える言葉が見つからなかった。ありがとうと言うだけでは、何か違う。
ウサ吉を愛しそうに抱きかかえるみょうじを見て、あぁ、と思った。みょうじの腕を引くとウサ吉が危ないから、背中に手を回して、軽く抱き締めた。

「……どしたの」
「責めてくれてありがとう、って気持ちの印」
「そっか」

みょうじは優しく笑い、みょうじと俺の間にいるウサ吉を優しく撫でた。
何故だか俺はたまらなくなって、みょうじの肩に顔をうずめた。

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