みょうじなまえと初めて出会ったのは、高校一年の春だった。
入学したてで全員が全員右も左も分からない者同士、初々しいと言えば聞こえは良いが引っ込み思案な人間が多いクラスの中でそいつは異様というか、なんだかよく分からない存在だったのだ。

「青八木くん、愛してるよ!だからほら、もっと笑って!」

最初のころにした会話から、みょうじは既にこんな感じ。見た目からはそれほど変わったような印象を受けなかったせいか、突飛な発言に目がいってしまう。
いきなり愛してるなんて言ってくるなんて何処の馬の骨なのかと思ったら、次の瞬間には笑えと言われていたり。訝し気な目でそこまで仲良くもないはずのみょうじを見つめると、彼女は彼女で「ん?」という表情をしてくる。まるで自分は何も間違ったことなど言っておらず、こちらが変な目で見ている方が不自然だとでも言いたげに。そんな顔をされては、こちらとしては何と返せばいいのか分からなくなってしまう。

「ほらほら、口角をこう、上げるんだよ。青八木くんはその方が素敵だよ!」

なかなか目立ったリアクションをしない俺にしびれを切らしたのか、みょうじは自分の唇の両端に指を押し当ててそれをぐいっと上に持ち上げる。真似をしろということなんだろうか、けれど俺はそういったことをするタイプではないので気が引ける。ええと、と言いながら多少困った顔をしてみせると流石に気付いてくれるだろうか。いや、この手の人間には無理だろうか。
二、三度瞬きをする間にそう考えて、でも上手く結論は出てこない。対人関係の経験値が貯まっていないせいか、こういう時に咄嗟にどうすれば良いのか全く分からないのだ。高校デビューなんてする気も無かったから「友達の作り方」「会話の続け方」なんて本も読んでいない。どこかの段階で場数を踏んでおくべきだった。
今やっとそれを後悔しながら、目の前のみょうじを見る。眉を下げて首をふるふると振ってみせると、意外にも彼女は「そっかあ」とあっさり引き下がった。意思の疎通は滞りなく出来るらしい。

「でもさ、青八木くんはほんと笑顔が良いと思うよ。私が保証する」

それだけ言って、最後にお手本のようににこりと笑顔をみせる。そしてそのまま自分の席に戻っていく。何のために俺と会話しに来たのか、あと笑顔のおすすめをしてきたのは何だったのか。疑問は残ったけれど、そのときはそこまで追求しようと思わなかった。



その後もみょうじなまえはことあるごとに「好き」だとか「愛してる」だとか、あとはとにかく笑ってみろと俺に絡んできた。二年に上がってからも何の因果か同じクラスになり、席替えで近くになる回数も話す回数も徐々に増えてきたため、愛の告白も笑顔の強要にも段々と慣れていった。
しかし未だに彼女の実態というか生態というか、そういったものはよく分かっていない。なんで俺の事が好きなのか、俺の笑顔が素敵だと思うのか、それすらも知らない。というか、俺だけじゃなくて色々な人にそんなことを言うのに抵抗が無いタイプなのかどうかといった部分から分からない。彼女の飄々とした性格から想像すると、それもあり得るような気がしなくもない。

「……みょうじは」
「んー?どうしたの愛しの青八木くん」

ごく自然に聞いてみようとしても、みょうじの返事を聞けばなんだかむず痒くなってしまう。そういうのやめろよ、と言えれば良いのだが好意を無碍にするのは良くないだろうし、向こうが冗談で言っていて俺だけ本気にしていたらただただ恥ずかしい。こういうのは俺も気にしていないように振る舞えばいいのだろうかどうなのだろうか。コミュニケーション能力が高い人がいたならばすぐさま正解を聞きたい。でも今、周りに丁度いいコミュニケーション能力を持っている人はいない。となると自分で自分の行動を決めるしかない。

「そういうの、誰にでも言うのか?」

出来るだけ嫌な感じにならないように聞くと、みょうじは一瞬何の事を言っているのか判断できかねたらしくきょとんとしてこちらを見た。そうした二秒後、合点がいったように「あぁ、」と口角を上げる笑顔ではなく優し気な微笑みを浮かべながら声を出した。一瞬、そんな表情も出来るのかと驚かされた。

「心配ご無用。私が愛しているのは青八木くんだけだよ!」
「だからなんでそんな、好きとか……」

俺がみょうじに向かって好きと言うわけじゃないのに、「好き」という単語を口にするだけでなんだか照れ臭くなる。それで言葉の続きが上手く言えなくなっていると、みょうじは首を傾げながら「なんで青八木くんを好きかってこと?」となんてことのないように返してくる。
なんでみょうじはそんなに普通に質問できるのだろうか。というか、なんでいつもいつも息をするように好きだと言えるのか。恥ずかしいことを言っているのはお前の方なんだぞと言いたい気持ちは山々だったが、首を縦に振るだけに留めておいた。

「青八木くんのね、笑顔に恋をしたんだよ!」

みょうじは普通のことのように、照れもせずに言う。正反対に、俺は恥ずかしさとなんとか折り合いをつけながらごにょごにょと言葉を口から出していく。

「……初めて好きって言ってきたとき、みょうじに笑顔見せてなかった気が……」

それに対してもみょうじは特に大きな反応はせず、「そうだね」と頷く。けれど間をあけずに次の言葉を、初めて会話したときとほとんど同じ声音で続けた。

「でもね。初めて見たときから、青八木くんが笑顔になったら私は確実に青八木くんに恋をするって思ったんだよ!」

そう思った時点で、恋をしてたようなものだけどね。
照れもせず、今度はお決まりの笑顔を浮かべながら彼女は言う。恋する乙女という単語は何となく似合わないみょうじだけれど、無邪気に言い放つ彼女には謎の爽快感があって、それにつられてついつい笑ってしまった。

「あ、青八木くん笑った!」

それを見逃さないみょうじはさっきよりも無邪気に、まるで子どものように俺の方を指差す。そして「やっぱり私の直感って間違いじゃなかったよ!」と興奮気味に、おまけに俺の方に身を乗り出しながら叫んだ。

「間違いじゃないって、何が」

子どものようにはしゃぐみょうじに、子どもをあやすように声をかける。一度笑ってしまえば意外と笑顔の波は引かなくなって、ふふ、と声を漏らしながら聞く。するとみょうじは今までで一番の笑顔を浮かべて、俺の目を正面から見据えた。

「だって私、今のでもっと青八木くんを好きになったんだよ!」

無垢な笑顔でそう言われてしまえば、俺の中で決まりきっていなかった彼女に対する気持ちはゆっくりと決定的なものになっていく。彼女も同じような高揚感とかどきどきとか、そういったものを味わったのだろうか。そんなことを考えると、更に顔が綻んで意図せずみょうじと同じ表情になってしまうのだ。

信じ難いけれど、俺の笑顔でもみょうじを恋させるほどの威力があるらしい。だから、みょうじの笑顔で俺の気持ちが動くのは至極当然のことなのである。

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