ペダルを回す。
ひたすらに回す。
五時間目の数学は今日当てられるはずだったけれど、そんなものは完全に無視して飛び出してしまった。これは不良ってやつなのだろうかと、酸素が行き渡っていなさそうな脳みそで考える。いや、でも不良ならこんなときバイクで夜の街を走り抜けるんだろう、きっと。
最近過ごしやすい気候になってきたはずなのに、ぴちょん、と頬から汗が垂れてゆく。それに構わず、拭うこともせずに足だけを動かす。

お前、ほんと無鉄砲なんだな。

俺が自転車に跨ったのを見ながら、純太はそう言っていた。そんなことを、なんの脈絡もなく思い出す。そうだよ、今まで知らなかったけど、俺はめちゃくちゃ無鉄砲だ。それの何が悪い。そういえば確かあのときの純太は、なぜだか微笑んでいた。

「あっつ…………」

体温が、一度二度上昇しているんじゃないかというくらい熱い。けれど、足は緩めない。緩めたくない。だってこのままじゃ、間に合うかどうかわからない。



「…………転校?」
「あれ、青八木くん知らないの?みょうじちゃんと仲良いからてっきり聞いてんだと思ってた」

そう言って、みょうじの友人は首を傾げた。昼休みの事だった。

「今日の昼の電車でこの町を出るんだよ」

よくみょうじと一緒に弁当をつついているのに、今日はなぜいないのか。どうせ風邪なんだろうがほんとのところはどうなんだろうと思い、ほぼゼロの社交性を振り絞って聞いてみたら、返事がこれだった。
なんだか冬でもないのに体が冷えてゆく気がして、思わず両腕を摩る。「しらない、」と答えると彼女の友人は少し気の毒そうに声を出す。

「まぁ、あの子肝心な事言わないタイプだもんね……私にもぽろっと口を滑らせちゃった感じだったし」

不器用な子だから、と付け足して目を細める。俺はなぜだかいてもたってもいられなくて、ほとんど話した事がない人物に対して食い気味に質問をした。

「間に合う、だろうか。見送りに」
「わからないなぁ……。見送り断られちゃったし、だから何時発かも知らない」
「…………」

どうしようか、と思った。
もう四時間目は終わって昼休みになってしまったし、まだみょうじがこの町にいる確信はない。それに……友人が見送りを断られているレベルなのだから、もし間に合ってもただの迷惑になるんだろう。
でもそんな事を考えているうちに、ふとある事に気付いてしまう。

なぜ俺は、みょうじに会いに行こうとしているんだろう。

それに気付いたとき、冷えた体に反比例して目頭の辺りが熱くなるのを感じた。じわりと、何かがせり上がってくる。
ただの友達だと認識していたのに、こんなときになって気付くとは。俺は結構鈍いのだろうかと心の中で苦笑いをして、「……行く」と呟いた。彼女の友人は、ただ優しく笑った。
部室の前に置いてあるコラテックの元へ走り、それに飛び乗る。すると部室の中には純太がいたようで、どうした、と驚いた声を上げながら窓から俺に向かって話しかける。

「みょうじに、会いに行く」

端的にそう告げた後、俺は勢いよくペダルを回した。たぶん、純太にはこれだけ言っても何も伝わっていないと思う。何せみょうじの存在についてもあまり知らないだろうから。でも、遠のいていく部室からは声が聞こえる。それは決して大きくはなかったけれど、それでも俺の耳に、確かに届いた。

「お前、ほんと無鉄砲なんだな」



とあるロード乗りの言葉を思い出す。
どれだけ練習しても、苦しくなくなったりはしない。ただ速くなるだけだ。
確かにそうだと、今、実感している。部活で何キロも走っているが、たくさんのトレーニングを重ねているが、今回している足は千切れそうだ。それでも俺は、スピードを緩めない。緩めてしまえば、きっとそこで終わってしまう。そう自分を戒めて、ひたすらにペダルを回す。ひたすらに、ひたすらに。

「……!」

見えた、と本能的に思った。
目指している場所がそこにはあった。この町の唯一の駅。きっとみょうじは、ここから旅立つ。
俺は急いで駐輪場にロードを置く。スタンドがないから、フェンスに立て掛けなくてはいけない。そして鍵をかけようとしたが、気が急いているためかこんな時に限って上手くかからない。ぽろりと手から零れ落ちた鍵を拾っていると、電車の到着した音が聞こえた。
急げ俺、と自分に叱咤する。もしみょうじがこの電車に乗って行ってしまうのだとしたら。そう考えるとぞっとして、尚更鍵をかけようとする手が震えた。がちゃがちゃと、いつもならすんなりかけられるはずの鍵なのに鍵穴に入らない。
やっとの思いで鍵をかけた瞬間、もうすぐ発車するという合図のベルが鳴る。俺はもう、走るしかなかった。改札へと走って、財布に入っていたICカードを叩きつける。改札を抜けてホームを見ると、今まさに電車が遠のいていくところだった。

「あ……」

漏れ出たのは、驚くほど小さな声だった。
途端に息がしづらくなる。
いや、あの電車に乗っているとは限らない……。そう思って視線を泳がせても、みょうじの姿は見えなかった。
ここまで走ってきたことに、意味なんてなかったのだろうか。苦しい思いをしてまで来たのに、見ることすら叶わなかったのか。そんな思いが脳裏を掠めていき、目の焦点すらも自分で分からなくなってくる。
駄目だったんだ、と喉に引っかかるような声で呟いた時、ぽつんと背後で声がした。

「あれ、青八木くんじゃない?」

それはとても聞き覚えのある軽快な声だったので、弾かれたように振り返ってしまう。
俺の視線の先には、教室で見慣れた風貌の彼女が、みょうじが、立っていた。

「みょうじ……!」

一瞬何が起こったのか信じられなくて、俺は彼女の名前を呼んだ。すると彼女は、なあに、と微笑んでみせた。
そこで俺は初めて、間に合ったのか、と気付いた。安心して、少しだけ涙もこぼれた。

「もしかして、転校するって知ってる?」

俺の涙を見て、みょうじは俺のこれまでの経緯を察したようだった。
ちょいちょい、と俺を呼んで、ホームのベンチに座る。電車が行ったばかりだからか、ホームには二人しかいなかった。ベンチの横に置かれているキャリーケースは、可愛らしさに似合わず大きくて、本当にみょうじは転校してしまうのかと認めざるを得なかった。
みょうじは先ほど買ったばかりらしいペットボトルの蓋を開けて一口飲む。そしてそれから俺が汗だくなことに気付いて、飲む?と問いかけてきた。普段なら断る俺も、水分をめちゃくちゃに欲しているのと相手がみょうじだからとで、首を縦に振る。受け取ったそれはストレートティーできっと美味しいのだろうけど、間接キスを意識してしまって味がよく分からなかった。
ふう、と俺が息をついたのを確認してから、みょうじはベンチに背中を預けて声を出した。

「なんか、ちょっとばつが悪いなぁ。黙ってどっか行こうとしたのばれちゃって」

あーあ、とみょうじは悲しそうに笑ってみせる。

「来ない方が、良かったか」
「ううん。来てくれて嬉しい」

聞くと、みょうじは大きく首を横に振った。ここまで来て「来ない方が良かった」なんて言われたら別の意味で泣いてしまいそうになるので、それならよかった、と息をつく。
だけど、とみょうじが続けたので、俺はそれにそっと耳を傾けた。

「だけど、見送りしてもらうと、すごく寂しくなっちゃうの。……幸せなことなのにね」
「……分からなくも、ない」

こういう時、社交性がないのが嫌という程思い知らされる。
もっと良い返しがあるだろうに、自分ではそれを絞り出すことができない。だから凡庸なことしか言えず、自分自身にため息をついてしまう。
でもそんな返しにみょうじは全く気分を害さなかったようで、ありがとう、と呟いていた。きっとそんな関係が築けていたから、知らない間に俺はみょうじを駅まで追ってしまうようになっていたんだなぁ、と少しだけ腑に落ちた。

「……お願いがあるの」

ぼそり、と彼女は言う。
俺は無言のまま目を合わせて、言葉を待った。

「次の電車で行かなきゃいけないんだ。だからそれまで……一緒にいてほしい」

なんだ、そんなことかと思った。俺はそのつもりでここに来て、ここにいる。
けれどみょうじは真剣に言っているようで、だから俺もそれを笑ったりはしなかった。

「わかった。……一緒にいる」
「……ありがと、青八木くん」

そう呟いてからは、二人で黙って電車を待った。
ずっと待ちぼうけを食らったままなら良いのにと、どこにも行かないでと思ったけれど、口には出さなかった。
きっと、声が少し震えてしまうだろうから。

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