体育の授業でもないのにジャージで授業を受ける。申し訳程度に拭いた髪の毛からぽたりと雫が落ちるのを国語担当の教師が怪訝そうに見て、後ろの方の席の女子達がくすくすと笑う。
隣の席の荒北くんは、その一連を不快そうに眺めていた。
「お前さ、虐められてんのか?」
授業が一通り終わって放課後になり、他の生徒が帰宅したり部活に行ったりしたあと、何故か残っていた荒北くんは言葉を全くオブラートに包まずに私に聞いた。
橙色に染まったグラウンドの方から、野球部の声が聞こえてくる。それを聞き流しながら、たぶん、と私は答えた。
「多分って、自分の事ダロ」
「そうだけど、虐めなのかイジリの範囲内なのかわかんない」
カバンの中からタオルを取り出して、もう一度髪の毛を拭く。けれどタオルは既にかなり湿っていて、髪の水気をなかなか吸ってくれなかった。そんな私に、荒北くんは自分のカバンの中からタオルを出して差し出してくる。青いタオルを手にとって「ありがとー」と言いながら、彼が野球部に在籍していたときによく使っていたタオルだな、と思った。口には出さなかった。
「じゃあ何でそんなに濡れてんだヨ」
「トイレの個室に入った瞬間上からホースで水をだばーっとかけられた」
「完全に虐めダロそれ。つーかやる事がだせぇナ」
「中学生の発想は幼稚だよ」
そう話すと、荒北くんは「ほんとだナ」と言いながら、私を笑っていた女子達が座っていた席のあたりを睨んだ。
睨んだり口が悪くなったり、最近の荒北くんはちょっと「ワル」になってきている。私は野球に全く詳しくないからよく分からないけれど、右だか左だかの肩だか肘だかを壊したらしく野球部をやめたらしい。だから野球部が練習に励んでいる間にも荒北くんはこの場にいるんだ、と今になって思い至った。これ部活でよく使ってたタオルだねー、とかいう失言をしなくて良かった。
野球部に在籍していた時より少し伸びた荒北くんの髪を見ながら、自分の濡れそぼった髪をわしゃわしゃと拭いた。抜けた髪が付いているだろうからと注意深くタオルを見ていると、荒北くんは「どうせ帰ってすぐ洗濯すんだから気にすんな」と言う。お言葉に甘えてそのままタオルを返すと、意外にもきちんと畳んでカバンの中にしまい込んだ。再度ありがとうと言うと、オー、と適当な返事をされた。
「そういえばさぁ、何で私に声かけたの?元々そんなに仲良しでもないよね」
髪は拭いたけれど、まだ体は冷えているらしい。へっくしゅん、と大きなくしゃみをしてから荒北くんにそう聞くと、彼は微妙な表情をしてみせた。くしゃみに反応すれば良いのか私の言葉に反応すれば良いのか判断を迷ったらしい。そしてとりあえず彼は、私の言葉に対して返事をした。
「なんつーかよォ、みょうじ最近除け者にされてる気がしてヨ」
ぽりぽりと頭を掻きながら、荒北くんは「俺も最近そんな感じだし、」と小さく言う。
「虐めじゃねーけど、周りの奴らが離れてってる自覚あんだヨ。野球出来なくなってから荒れてんのは自分でもわかってるしナ」
息を吐いて、荒北くんは窓からグラウンドの方を見た。未練のありそうなその視線は、色々と鈍い私でも締め付けられるものがある。
「共感みたいな?」
首を傾げながら聞くと、荒北くんはうーんと同じように首を傾げた。そして「よくわかんねェけど、たぶん」と呟く。
「多分って、自分の事じゃん」
「ソレさっき俺が言った」
「うん、だから言った」
そう言って笑うと、荒北くんは何故か目を見開いて驚いた。元々黒目の小さい荒北くんが目を見開くもんだから、白目の面積が大きくなってちょっと怖い。どしたの、と聞くと、かなり失礼なことに彼は「みょうじって笑えるんだな」と言ってきた。
「笑ってる方が良いと思うゼ」
「荒北くんってそういうクサい台詞言うんだね」
「褒めてんだから普通に受け止めろヨ」
それに対しても乾いた笑いで対応しながら、机の横に釣っていたカバンを持ち上げて肩にかける。そして濡れた制服を入れた袋を手に取る。私が帰り支度をしているのを見て、荒北くんも自分のカバンを掴んだ。
「みょうじの家ってどの辺?」
「駅の辺り」
「あ、じゃあ割と家近いナ」
「そうなの?じゃあその辺まで一緒に行きますか」
「帰り道にウゼー女子達に会ってお前が虐められないように見張っててやるヨ」
「あはは。ナイトみたいだ」
ふざけてそう言うと、荒北くんは私の頭を軽く叩いた。見張っててやると自分で言ったくせに、何を恥ずかしがっているんだろう。そんな彼と並んで帰りながら、ふと、世の中悪いことばっかりじゃないな、と思った。
帰り道で聞いた話によると、荒北くんはこの中学から離れた場所にある、この中学出身の人がほとんど受験しない、そして野球部のない箱根学園とやらに行くつもりらしい。彼の話を聞きながら、私も箱根学園に行きたいなぁ、とぼんやり思った。