福富くんは、自転車競技部の主将で成績優秀で、常に無表情だ。普段何考えてんのか全然分からない。男子高校生のきゃっきゃした感じもウェーイみたいなノリもない。だからという訳ではないが、なんとなく話しにくいイメージは、二年も前の、一年生の頃からあった。特にあのヤンキーの荒北を更生させたらしいというエピソードは、じゃあ福富くんは一体どれほどの大物なんだ……と私を驚愕させるには充分だった。

そんな福富くんが、今、隣の席に座っている。
理由は簡単だ。
三年生になって初めて福富くんと同じクラスになり、今月の席替えで初めて福富くんと隣になった、ただそれだけだ。
しかし私は割と隣にいる福富くんの重圧をひしひしと感じていた。たぶん本人が意図してその重圧感を出している訳じゃないんだろうけど、荒北更生エピソードや全く崩れない表情などが、私にプレッシャーを与えているんだと思う。
たぶん福富くんは良い人だ。部活仲間からの信頼も熱いし、一、二年の時から福富くんと同じクラスらしい人達は、気さくに福富くんに話しかけている。
だけど私は男子とあまり話さないこともあり、どうにも福富くんに慣れることが出来ず、席替えして二週間も経ったのに未だに福富くんと会話を交わしていない。
何も話さないまま次の席替えを向かえていいのか、という思いと、このまま波風立てずにお別れするのも手じゃないか、という思いの葛藤が、ここ最近私の頭の中をぐるぐるしていた。そこまで悩む必要のないことなんだろうけど。



授業中、私は何が書いてあるのか分からない黒板を眺めて、何が書いてあるのか分からないままノートに写す作業をしていた。
苦手な化学。黒板には最早日本語は書かれておらず、変な六角形と数式のようなものが占拠していた。将来化学の道に進むつもりは私には無いから、この授業の重要性がどうにも分からない。こんなのやったからって将来役に立たないじゃん、とありがちな言い訳を心の中で呟いて、がりがりとノートに図を書く。

「じゃあ、この問二を……みょうじ、解けたら前に書きに来てくれ」

先生の声に、びく、と体を震わせる。一応、はい、と返事したものの、当てられた問題を教科書で確認してみると、とてもじゃないが私の力で解ける問題じゃなかった。顔をしかめて口に手を当て、ううう、と声に出さずに唸る。何だよこの六角形、私の化学の知識は酸化還元で止まっているのに。
教科書をぱらぱらめくり、解説や答えなど載っていないか探す。が、予想はしていたが、解説も答えも、あろうことか類題も載っていなかった。これは完全に詰んだ。もうだめだ。

「……みょうじ。これを使うと良い」

あああ、と頭を抱えていると、隣から声がした。聞き慣れた低い声、だけど私に向かって出されたのは初めてである低い声。
ばっと顔を上げてそちらを見ると、福富くんがこちらに向かってノートを差し出していた。そのノートには、当てられた問題の計算過程と答えが細かく書かれている。

「い、良いの?」
「ああ」

聞くと、福富くんは無表情で頷く。ありがとう、と言ってノートを手に取り、私は席を立った。

黒板にかりかりと答えを書くと、案の定完璧な答えだったらしく、先生は黒板に大きく丸をつけた。これ、私の答えじゃないんだけどなぁ、と苦笑いし、席に着く。福富くんにもう一度ありがとうと言って、ノートを返した。

「化学すっごい苦手だから、助かったよ」
「そうか。それは良かった」

やっぱり福富くんは無表情だ。だけど、何だか今まで抱いていたイメージが消え、福富くんと話しやすくなったように感じる。ノートひとつで現金な奴だなぁ、と自分で自分を笑った。
何かノートのお礼になるようなものは無いかな、と思い、鞄を探る。すると、昨日買ったフルーツの飴が一袋あるのに気付いた。

「ふ、福富くん。ノートのお礼したいんだけど」

話しやすくなったとはいえ、まだ完全にという訳じゃないらしく、どもりながら声をかける。福富くんは瞬きをした。

「お礼されるほどの事はしていない」
「そ、そう言わずに……飴あげるよ、飴」

お礼はいらないと律儀に言われたが、なんだか私は引くに引けなくなって、個包装の飴をふたつ福富くんに手渡した。手渡したというか、手のひらに無理やり押し付けた。
その直後に福富くんの手のひらを見ると、どの飴を選んだかきちんと見ていなかったからか、赤い個包装がふたつ、見えた。どうやら両方とも同じ味を手渡してしまったらしい。福富くんは手のひらをじっと見つめている。

「あ、ごめん!両方とも同じ……替えようか」

わたわた、と私があわてると、いや、と彼は首を横に振った。

「このふたつで良い」
「……そう?」
「あぁ」

ありがとう、と福富くんが言う。お礼のお礼を言われて、私は少し笑ってしまった。よく手のひらを見てみると、赤い個包装は林檎味を表すものだった。

「……福富くん、林檎好きなの?」

純粋な疑問を抱き、聞いてみた。
すると福富くんは初めて、口角を少し上げて、「あぁ、好きだ」と言った。

初めて無表情以外の表情を見た。なんだ、話しにくいとかそんな事、全然無いじゃないか。すごく良い人じゃないか。良いものがみれたと思うと同時に、残り二週間、もう少し福富くんと話してみたいな、と思った。

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