はぁ、と目の前のみょうじが深くため息をつく。今は休み時間で、俺は次の教科の準備をしながらみょうじを何の気なしに見つめた。いつもみょうじがお喋りをしている女子グループは離れた席に集まっており、楽しげに話している。けれど対照的に目の前のこいつはダークサイドに堕ちるんじゃないかというくらい悲壮感を漂わせて、いつもは忙しなく動く口を中途半端に開けて、そこからは二酸化炭素を吐き出していた。何故それを俺の方に向いてやっているのかはよく分からないが、たぶん話を聞いてほしいんだろう。「どうかしたのか?」と机の上に出した教科書やノートをとんとんと揃えながら聞くと、みょうじはのそりと俯きがちだった顔を上げる。そしてだるそうな声で、「手嶋ぁーあのさー」と話しかけてきた。

「私ってさぁ、そんな空気読めない?」
「……なんかあったのか?」

眉根を垂らして聞いてくるみょうじの質問に答えはせず、質問で返す。うん、と首を縦にこくこくと振りながら返事するみょうじはいつもの奔放そうな空気は纏っておらず、よく綺麗だと形容される顔を曇らせた。

「昨日さぁ、今度の休みに皆でご飯行こーってなったの」
「いっつも喋ってるグループか?」
「うん。んで何食べたい?って聞かれて、食べたいやつ言ったら空気読めないなーって言われちゃったよ」
「そうなのか。ちなみに何食べたいって言ったんだ?」
「徳島ラーメン」
「……他の奴は何食べたいって言ってた?」
「フレンチとかパンケーキとか」
「……なるほどな」

なんで空気が読めないと言われるのか意味が分からない、とでも言いたいようにみょうじは顔をしかめる。
本人はあまり気付いていないのかもしれないが、みょうじはしばしば空気が読めないと言われることが多かった。俺も俺で、みょうじと話している時稀に「話通じてんのか?」と思うことがあった。いや、稀じゃない。時々。もしかしたらいつもかもしれない。けれど一応みょうじの面子のためにも、稀に、と表現しておくことにする。
みょうじは唇を突き出し、不満そうに声を漏らす。

「何が良い?って聞かれたから食べたいの言っただけだもん。フレンチに決定ならフレンチ食べるのにさ。聞いといて空気読めないとか失礼じゃない?」
「今日いつものグループで話してないのはそれを気にしてか?」
「うん。それにこれが初めてって訳じゃなくて、前にも何回か言われたことあるからむしゃくしゃしてさぁ」
「あぁ、そういうことか」

あーもう、とみょうじは俺の机をばん!と叩きながら唸る。
女子高生というやつは、皆と同じようなことを話して同じような服装をして同じような物を食べることを好む。そういう生き物の中でみょうじのように空気の読めない、集団から少しズレた人間は受け入れ難い。だからみょうじはいつものグループの中で邪険に扱われ、こうして俺の目の前でぷんぷんと腹を立てているのだろう。

「ちなみに他にはどんな事で空気が読めないって言われたんだ?」

なんとなく興味があったので聞くと、みょうじはうーんと首を捻り右上を見ながら記憶を辿っている。そして数秒後にああ、と思い出したように声を出した。思い出せたことでスッキリしたのか少し晴れやかな顔をしているが、内容は晴れやかではないと思う。

「前に校外学習で、コース別体験学習あったじゃん?」
「春にあったやつか」
「そう。んでグループの中心の子がケーキ作りのコースやりたかったみたいで、皆もそれ選ぼうとしててさ。でも私はカヌー体験の方やりたかったからそう書いて提出したら空気読めないなって」
「……おぉう」

自分の意思を持つことが出来ると言えば聞こえは良いが、協調性がないとも言えなくはない。言えなくはないというよりは、協調性がないと言える。断言できる。
どう返事していいか悩んでいると、みょうじは寂しそうに俺を見つめる。そしてはっ、と小さく息を吐いて、曖昧に笑う。

「やっぱ手嶋も私の事空気読めないって思う?」

少しだけ挑戦的な言葉に、俺は首を横に振ることは出来なかった。「まぁ」とだけ言って机の上に置かれたノートをぱらぱらと意味もなく捲る。「空気を読む」つもりならばここは「そんなこと思わない」と言ってしまえば良かったのだろうけど、さすがにそんな大掛かりな嘘をついたらすぐにばれてしまう。すると意外にもみょうじは驚いた顔をして、「コミュ力高い手嶋なら適当に嘘ついて追及を逃れると思ったのに」と褒めているのか貶しているのか分からない台詞を呟いた。

「俺もさすがにそこまで自分の考え曲げねーよ?」
「それってつまり私がほんとに空気読めない奴って言ってるってことだよね……うわー、むかつく」
「はいはい、顔歪めんな。美人が台無し」
「うるさいよパーマのくせに」

けらけらと笑いながらみょうじをいなすと、つんつんした言葉を返された。パーマのくせに、というのは割と言葉の暴力である。俺は美人という褒め言葉を添えてやったのに、みょうじは百パーセント悪意で言ってきた。パーマ自体は悪いものじゃないが、言い方に悪意を感じるのだ。そういうところが良くないんだぜ、と思ったし言おうとしたのだが、ふと目があったみょうじの表情はさっき見たときよりも悲壮感が漂っていたので俺は何も言えなくなった。今にもダークサイドに堕ちそうなみょうじは、ぽつんと言葉を落とす。

「親にも言われたんだよね。こんなに空気読めなきゃ結婚も出来ないし恋人も出来ないし友達も離れてくよって」

最初にしたよりももっと深いため息をついて、俺の机の上に置かれたノートや教科書を意味もなくいじった。いつもの明るい性格はどこへやら、友達にも親にも自身の性格が否定されたことが悲しいらしい。俺はそんなみょうじを見ながら、頭に思い浮かんだことを告げた。

「俺とみょうじは友達だし、これから恋人になろうと思えばなれるし、結婚しようと思えば出来るから気にしなくて良いんじゃね?」

笑いながらそう言うと、みょうじは少し嬉しそうに、けれど半ば呆れたような顔をしながら「そういうのさらっと言えるなんて、やっぱ手嶋はコミュ力高いね」と眉を下げて微笑んだ。

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