「なまえチャン、大丈夫ゥ?」

お酒の匂いを漂わせながら、私の隣を歩く荒北はそう聞いてきた。
私達は先ほどまで、大学の部活の飲み会に参加していた。昨今では新入生に一気飲みを強要する部活やサークルがニュース沙汰になっていて厳重に注意されていることもあり、無理やりお酒を飲まされたりとかそういうことはなく、一年生などの未成年はノンアルコールや烏龍茶を飲んでいた。けれど私はノンアルコールを飲んでいたにも関わらず、匂いで酔ったのかなんなのか、少し頭がふらふらしていた。そのため、荒北が私を家まで送っていってくれることになったのだ。
送り狼になるなよと部員に茶化されてキレていた荒北だったけれど、今は落ち着いているらしい。

「うん、とりあえずは」

少しだけ痛む頭を左手で抑えながら答えると、荒北は興味無さそうに「あっそ」と呟く。
私と荒北との間にあまり言葉はなく、街行く人の喧騒と荒北の押している自転車のタイヤが回る音だけが鮮明に聞こえた。
私は荒北の顔を横目に見る。
正直荒北は、こんな風に酔った(飲んではいないけれど)人の介抱をしてくれるような人間に見えない。
目は切れ長で瞳も小さく、言葉は粗野で声も尖っている。どうやら高校時代も一時期ではあるがコッペパンのような髪型をしたヤンキーだったこともあるらしい。外見や経歴だけで判断するのは愚行だけど、どうも荒北は「優しい人間」というイメージの人間ではなかった。
そんな荒北が、今、気分の優れない私を家まで送ってくれている。なんか変な感じ、と思いながら、私は眠たげに落ちてくる瞼をこすりながら歩いていた。

「なまえチャン家どっち?」

交差点に差し掛かると、荒北が口を開く。帰り道での彼との会話は、家の方向はどちらかとか気分はどうかとか、そういったことだけだ。
おそらく他に、かけるべき気の利いた言葉が見つからないのだろう。
でも、その方が荒北らしいと思う。ぺらぺらと優しげな言葉を吐く荒北は荒北ではない。言ってしまえばそれは、荒北の皮を被った見ず知らずの紳士である。

「ひだり」

ぴ、と左を指差しながら私は言う。
私も私で、気分が悪いのであまり話そうとは思わない。二人の間に会話が少ない原因は、まぁ、お互いにあった。荒北はへいへい、と返事しながら押している自転車を左に進める。へいは一回、と言おうとしたけれどそれも気分が悪いことを理由にしてやめておいた。
交差点を左に曲がると、人通りが少し少なくなる。喧騒が遠退いて、タイヤの回る音がよりはっきりと聞こえるようになった。荒北は細い目で辺りをちらりと一瞥する。

「なまえチャン」
「何」
「ここ夜いつもこんなんなのォ?」

先ほどまで周りを見ていた荒北の細い目は、今度は私を捉えていた。かといって、睨んでいるという訳でもなさそうだ。二、三度瞬きをして、言われたことを考える。けれどあまり回らない頭では、荒北の質問の意図を解明することは出来なかった。

「こんなん、て何が?」

よたよたと歩きながら、私は聞く。そんな私を見る荒北は、危なっかしい物を見るような目をしていた。まぁ、実際それなりに今の自分が危なっかしいことは分かっている。荒北は盛大にため息をつき、「だからァ」と口を開いた。

「ここ、いつもこんな人通り少ねェの?」

この辺、と辺りをぐるりと指差しながら言う荒北。
やっと質問の意味が分かり、私は小さく頷いてそうだよと答える。

「この時間はだいたいこんなだよ。でも金曜夜はもうちょい少ない」
「ハァ?何それ危ねェじゃん」
「そうでもないと思うけど」

私が肯定すると、荒北は細い目を少し見開いた。
荒北は危ないと言うけれど、私が住んでいるのはさすがに大学生協で紹介されたマンションだから、防犯面は大丈夫だと思う。それに人通りも少なくなるというだけで、全く無くなる訳ではない。楽観的に答えると、まるで危機感が足りないとでも言うように荒北は私に詰め寄った。物理的に詰め寄った訳ではなく、言い方が詰め寄っているような感じなだけなのだけれど。

「でも大通りより人少ねェだろ。なまえチャン夜道で襲われても太刀打ち出来るほど強くねェし」
「襲われないって」
「そんな事言う奴が襲われんだヨ。夜この辺歩いてる男は全員狼だと思っとけ」
「大袈裟だなぁ」

私が荒北の勢いに圧倒されつつも半笑いで応じると、荒北はフンと鼻を鳴らして私の頭をぐしゃ、と撫でた。まるで子どもに注意喚起する親みたいだ。そういえば、前に荒北には妹がいるとかなんとか聞いたことがある気がする。このオカンみたいな雰囲気はそこからきているのだろう、きっと。

(あぁ、でもオカンというよりか……)

小さくカラカラと鳴る自転車のタイヤに目を落とし、私は匂いで微妙にほろ酔いになった頭でぼんやりと考える。いつもの荒北は「オカンのような雰囲気」と一言で終わらせられるのだが、今日の荒北はなんとなく、なんとなくいつものそれとは違う気がする。本当になんとなくだけれど、いつもより優しい気がする。
言い方は粗野だけれど、内容は私を思ってくれていることが分かる。
それに、気分の優れない私を家まで送ってくれている。

(……もしかしたら荒北も酔ってテンション上がってるのかな)

うまく回らない頭で、そんなことを考える。
もしそうなら、お酒の力って凄いな。そう思いながら小さく笑うと、荒北は暗い夜道なのにそれを目ざとく見つけた。

「なァに笑ってんだよ」

呆れたような荒北の声が聞こえる。
けれどそれも今日に限っては、いつもより優しく聞こえた。また小さく、ふふ、と笑う。

「荒北がいつもより優しいから。酔ってんの?」

少し酔いも冷めてきて、ちょっぴりおどけながら言うことが出来た。そんな私を見て、荒北は「ハァ?」と言いながら口を歪める。よく見ると荒北の足取りはしっかりしているし顔も紅潮したりしていない。もちろん意識だってはっきりとしている。それに第一、アルコールを飲んでいない。そう思えば、酔っているのではないということが容易に分かった。変なこと聞いちゃったかなと思うが、質問を取り消すのも面倒臭い。まぁいいか、と私は暗い家路をよろよろと歩いた。荒北も、私の横を私と同じ速度で歩いた。ゆっくりとした速度で歩いているにも関わらずそれに合わせてくれるところもいつもより優しいと思うのだけれど、酔っている訳でないなら何が彼をそうさせるのだろう。私の気分が悪いから優しいのかとも思うが、以前私が風邪を引いてげほげほと咳をしていた時はこんなに優しくなかったと思う。「なまえチャン風邪ェ?ちょっと近寄んないでヨ」とまで言われた記憶がないこともない。
少し前のそんな記憶を思い出していると、見覚えのあるマンションはもう目の前にあった。私のマンションはそれほど飲み会の場所から遠くなかったので、ゆっくり歩いていても時間がかかることはない。

「ここだよ、うち」
「アー」

言うと、荒北は生返事をして5階建てのマンションを見上げた。

「オートロック?」
「そだよ」
「良さげな物件じゃなァい」
「でしょ。あ、送ってくれてありがとね」

肩からずり落ちかけているカバンを掛け直しながらお礼を言うと、「別にィ」と愛想悪く言われた。ちょっとムカつかないこともないけれど、今日の荒北は家まで送ってくれたり普段よりなんとなく優しかったりしたので許そうと思う。
それじゃあまた明日、と手を振りかけると、荒北は突然「なまえチャンさァ」と声をあげた。何だろうと思って荒北の方をまじまじと見ると、荒北は自分の自転車に跨りながらいつもの人相の悪い笑いを浮かべた。

「マジで夜はこの道気を付けろヨ」

何を言うかと思えば、そんなことか。
そう思って少し拍子抜けしてしまう。
確かさっきもそんな事を言っていたような気がする。それに人通りもゼロではないのだから、そんなに気を付けなければいけないこともないだろう。
けれどそう返事をすると「お前は甘いんだヨ」と一蹴されてしまいそうだったから、「分かってるよ」と返事をした。すると「いや、分かってねェだろ」とどちらにしろ一蹴されてしまった。分かってるよー、と再度言ったけれど、そんな私を見て荒北はわざとらしくため息をついた。わざとらしくというか、明らかにわざと、という感じだったが。そして「だからァ」と少々投げやりな感じで口を開いた。

「だからァ、マジで気を付けろ。俺だって送り狼になんねェように我慢しなきゃいけねェくらいなんだヨ」
「荒北送り狼なの?」
「だからなんねェように我慢したっつってんだろ」

そう言いつつ、荒北は私の頭にチョップしてきた。今日の荒北は優しいと思っていたけれど、このチョップは割と痛い。少し痛む頭を両手でさすっていると、荒北は跨っている自転車のペダルを緩く踏んだ。

「じゃー送ったしもう帰るわ。なまえチャンも早くマンション入れ」
「送り狼になんなくていいの?」
「だからなんねェように我慢したって何回言やァわかんの?」

普段から細い目をさらに細くして、少々ドスをきかせた声で荒北は言ったけれど、なんだかおかしくて笑ってしまった。それをまた怒られて、私はやっとマンションに入る。エントランスのガラス越しに外を覗き込むと、荒北が自転車で去っていくのが見えた。

送り狼にならないように、あんな紳士的(というには程遠いけど)な言動を取っていたのかな。
今となっては荒北が優しかった理由はよく分からないけれど、私の頭の中にある安っぽい仮説を思い浮かべると、自然と頬が緩むのを感じた。

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