炬燵に入りたいのを我慢しながら、私は机の上の参考書とにらめっこする。
高校の勉強というのは難しい。中学時代は結構ポテンシャルで何とかなっていたけれど、高校生になって私のポテンシャルは何処かへ行ってしまった。だからといって、授業についていけなくなるのは避けたい。だから冬休みの、よりによってクリスマスに、私は数学と格闘しているのだ。

「んー……ちょっと、休憩」

まだ半ページも進んでいない参考書を見ないふりして、携帯に手を伸ばす。
ちょっとだけ、ちょっとだけ休憩だ。あまり長い間数学やってたら逆に頭がおかしくなってしまう。
そう自分を正当化しながら、携帯ゲームのアプリを開こうとする。すると携帯はぴろりろ、と音を立て、画面にはあまり見慣れない名前が表示された。

【青八木一】

「……お?」

この名前は、ちょっと衝撃的だった。つい女の子らしくない声が出る。そのくらい衝撃的なのだ。

同じクラスの青八木くんは、なんというか、無口だ。顔の表情も分かりにくい(目が片方隠れかけてるというのも理由の一つだ)し、意思の疎通が出来ているのか少し不安になる。良い人なんだろうとは思うけれど、まぁ、掴みにくい人ではあった。

そんな彼からの突然の着信。
電話かけてくるのは良いけど青八木くんと私会話のキャッチボール出来るのか?ていうかいつの間に番号交換してたっけ?という疑問が頭をよぎったが、とりあえずは電話に出る事にした。
通話ボタンを押し、耳に押し当てる。

「もしもし?」
『あ、みょうじ』
「電話とか珍しいね、どしたの」

そう用件を聞くと、青八木くんは会話のキャッチボールをする気があるのか無いのか、実に端的に答える。

『手嶋の家来て』
「……ん?」
『てしまのいえ』
「あ、別に聞き取れなかったとかじゃないんだけど……。なんで手嶋くんの家」

別に、青八木くんの口から手嶋という単語が出てきたのに驚いた訳じゃない。青八木くんと手嶋くんは同じ部活で、二人は仲良しなのだということは知っている。
でも青八木くん脈絡なさすぎ。脈絡なさすぎて話が全然分からないよ。いや手嶋くんの家に行けば良いのは分かったけど。

『場所分かる?』
「わかるよ、手嶋くんと中学一緒だし。でもなんで?」

再度私が問うと、青八木くんはやっと、手嶋くん関連じゃない単語を発した。

『豚汁』
「え?」
『作り過ぎたから食べにきてって手嶋が』
「……おおう」

私は今日二度目のちょっとした衝撃を受けた。



私の家から歩いて15分くらいのところに、手嶋くんの家はある。その15分の距離を、私はコートを着てマフラーを巻いて手袋をして、もこもこになりながら歩いた。目的地に着いてインターホンを鳴らすと、待ち構えていたのか即座に玄関が開いた。予想はしていたけど、玄関を開けたのは手嶋くんだった。こんなに機敏に玄関を開ける青八木くんは、ちょっと想像出来ない。

「寒い中悪いなー。入れよ」
「お邪魔しまーす」

手嶋くんに招き入れられ、玄関に足を踏み入れる。男子の家に入ったのはこれが初めてだ。でも訪問理由が豚汁ってどうなんだろうか……。悶々としながらリビングに入ると、既に青八木くんが炬燵に入ってぬくぬくとしているのを発見した。よく見ると豚汁も食べてる。青八木くん、期待を裏切らないというかなんというか。
炬燵に入っているように手嶋くんに言われ、防寒具を取って炬燵にお邪魔する。隣に座るのはちょっと気まずい気がして、青八木くんの向かい側に体を滑り込ませた。炬燵あったかい。

「あのさ」

はふはふと豚汁を食べている青八木くんに、問いかける。青八木くんは目だけこちらに向け、ずず、と豚汁を飲み干した。

「なんで私を、この……豚汁に呼んだの?」

あまり考えずに喋ったせいか、少し要領を得ない日本語になってしまった。豚汁に呼ぶってなんだよ。でもそれ以外に表現が見つからないよ。
一対一で青八木くんと話すことがあまり無い所為か、私は何だかしどろもどろになっている気がする。上手く会話出来るかも不安だからかもしれない。
そんな私の心境を分かっているのかいないのか(多分分かっていない)、青八木くんはうろうろと視線を揺らして、考えているようだった。そして、あぁ、と声を上げると、漸くこちらを向いて喋った。

「みょうじと初めて喋ったとき」
「うん」
「豚汁が凄く好きです、って言ってたから」
「……うん?」

今日三度目の衝撃。
私青八木くんに豚汁好きですとか言ってたっけ。言ったとしても夏頃だよ。記憶の彼方だよ。

「そ、そうだっけ……?」
「7月くらいに、隣の席になった時」
「あ、あぁ、ちょっと記憶蘇ってきたかも」

ぼんやりと思い描く夏の日。そういえばそんな事言ったような気がする。というか、言われて思い出した。豚汁好きです、と言った。他の会話の脈絡はすっかり忘れてしまったけど、それだけ思い出す。

「私でも忘れてたことなのに、青八木くん、よく覚えてたね」

感心して言うと、青八木くんはこくりと頷いて、少し恥ずかしそうに顔を伏せた。
何でそこで恥じらうんだ。やっぱり青八木くん、少しわからない。

「……みょうじとの会話は、全部覚えてる」

伏せた顔から、声が聞こえる。
え、と呟くと同時に、ごとりと目の前に何かが置かれた。

「親いねーのに作りすぎちゃってさ、だから遠慮せず食べてくれよな」

手嶋くんの良い笑顔。目の前に置かれた豚汁。
うん、と答えて、私は豚汁を勢いよく食べ始めた。きっと、顔がほんの少し火照っているのは豚汁のせいなんだ。そうに違いない。心の中で言い訳しながら、あぁ、でもあまりがっつき過ぎたら青八木くんに引かれちゃうかな、と考えた。



「今日はご馳走様でした」
「いや、俺も助かったしさ。豚汁かなり消費してくれて助かったよ」

いたずらっぽく笑う手嶋くんに、私は頭が上がらない。がっつき過ぎたら引かれるどうのこうの考えていた割に、結局三杯も食べてしまったのだ。自分の胃袋を呪う。お母さんに晩ご飯は少なめにしてもらうように頼もう。
自己反省を脳内で繰り返している間に、青八木くんも手嶋くんにお礼を言う。そして手嶋くんも青八木に消費してもらったお礼を言う。そういえば、青八木くんは線が細い割によく食べていた。男の子なんだな、と実感してしまい、また少し恥ずかしくなる。今日は何かと青八木くんが気になる一日だ。ペースを乱されちゃいかん、と自分に喝を入れると、手嶋くんが口を開いた。

「もう暗いし、青八木はみょうじを送ってってやれよ」

私が口の中で、え、と呟くのと「わかった」と青八木くんが呟くのは同時だった。喝を入れた瞬間にこれってどういうことなんだ。

「え、いや、申し訳ないよ!暗いって言ってもまだ夕方だし!」
「冬は日が落ちるの早いんだから、大人しく甘えとけよ。んじゃ青八木、頼んだ」
「うん」

必死の抵抗も虚しく、手嶋くんはひょこっと玄関の向こうに消えていった。残されたのは私と青八木くんの二人である。き、きまずい。気まずすぎる。

「みょうじ」
「あ、はい」
「帰ろ」
「う、うん」

短い会話なのにどもってしまう。私は一体どれだけ気まずさを感じてるんだ、と少し自嘲気味に笑った。
だいたい青八木くんが、私との会話を全て覚えてるだなんて言うから意識しちゃったんだ、私の所為じゃないやい。
青八木くんの半歩後ろを歩きながら、今度は自嘲ではない笑みを浮かべた。



「あ、ここがうちだよ」

のんびり歩くこと15分、家に到着した。青八木くんはこくこくと頷きながら、私の家を仰ぎ見る。すると、少し上を向いていた彼の目が、しぱしぱと瞬きをした。

「……雪、降ってきた」

その声につられ、顔を上げる。見ると、とても小さな綿雪が、空からぱらぱらと降ってきていた。

「ホワイトクリスマス」
「ほんとだね。……クリスマスなのに、豚汁食べてばっかだったけど」

くすくす、と笑うと、青八木くんもこちらを見て少し笑った。その笑顔に、またほんの少し、青八木くんを意識してしまう。

「また、」
「うん?」
「また、豚汁作るから、食べに来て」
「ふふっ……うん、わかった」

青八木くんの顔は赤くて、そんな顔で豚汁の話をするものだから、つい笑ってしまった。
また食べに行くよ、と言うと、青八木くんは満足そうにこくんと頷いた。

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