EP117‐2
「………………え……?」




何が―――どうなったの―――。


頭が混乱して、その場で立ち尽くしていた。
思考が追いつかない中で、震えている手を倒れた彼に伸ばしていく。

「マッシュ・・・」

触れる体は温かい。
なのに瞳は閉じていて。

「ね、え・・・マッシュ」

声を掛けるのに答えてくれない。
肩を揺らしても気付いてくれなくて。

「マッシュ…?マッシュってば……ねぇ、マッシュ…マッシュ!!!」

嘘。
うそ。
うそだ。

こんなのうそだ、嘘に決まってる。
在り得ない。
こんな事、起こるワケがない。

彼の首筋に触れながら脈を必死になって探すのにどうしても見つからなくて、自分の中に戦慄が奔っていく。

「やだ、やだ…ッやだ!ヤダよ!!マッシュ起きて、ねえってば!ねえ、起きてッ!!」

叫ぶように声を掛けながら、どうすれば良いのか必死に考える。脈を感じられなかったのは自分が下手なだけかもしれない。勘違いかもしれない。そんな焦るばかりの自分を、あの恐ろしい姿をしたモンスターが、今にも襲いかかろうとしていた。

「ッ―――ユカ!!!」

自分を庇うようにルノアが現れ、後からエドガーとロック、セリスが駆けつけてくれる。だけど、皆に何かを言えるほど余裕も無い自分は、マッシュのことばかりを考えていた。

鎌で切られたのなら傷があるはずだ。
それを治せばきっと大丈夫。

でも、傷なんて何処にも無くて、血だってどこからも流れていない。分からないけど、それでも自分が出来ることは限られてる。

アイテムを持っていない今、持ちえる力は魔法だけ。彼の体に手を添えながら願いを込めて魔法を詠唱し続けた。

「ケアル……ケアルッ!ケアル、ケアル…ケアル!」

だけど、どんなに続けてもマッシュは目を開けてくれない。きっと回復が弱いからだと、自分が出来る最善をつくそうとした。

「ケアルラ!ケアルラ…ッケアルラ……ッな、…んで…?どうし…て?」

変わらない。
何も変わってくれない。
目を開けてくれない。
動いてくれない。

何も―――何もしてくれない…。

これじゃ…まるで。まるでマッシュが……。

頬を伝う涙が疎ましかった。
続く筈の未来を諦めたかのようで。
だけど、そんなの。

「やだ…やだよ!絶対に嫌ッ!嫌だよ!!」

諦めない、絶対に。
だから何度だって詠唱する。
力尽きるまで、自分の命が尽きてもいいからそれでも続けるから。

だからお願い。
目を開けてよ。
名前を呼んでよ。
笑ってよ。
ねぇ…――お願いだから・・・。

「ケアルラ…ケアルラ!!ッやだ…よ…。こんなの…ない…ッ認めない!」

混乱しかけた頭を使いながら必死に回復を続けていた自分の手を、戦闘を終えたルノアがいきなり詠唱を阻むように掴んできた。理由がわからなくて、だけど今の現状から察する恐怖に体が硬直したのが分かった。

「止めて、ユカ。これでは意味がない」
「な、に…が?何で?どうして意味が無いの…??どうして…どうして!!!」
「ユカ、落ち着いて」

静かな口調で当たり前のようにそんな事を言うから、圧し掛かってくる恐怖と現実の全てを否定したくて声を荒げてしまった。

「何で!?なんでそんなに落ち着いてられるのッ!?!?!死ぬかもしれないのに!!」

彼を助けたいだけなの、と大声で叫び、相手の言葉を無視して腕を振り払っていた。

堪え切れなかったんだ、その行動に。
相手の見切ったような非情な通告に耐えられなかった。だからこそ諦めたくなくて、もう一度詠唱しようとする私の手を、またルノアが止めようとしていた。

「お願い離して!私は――…ッ……!」

相手を無視して腕を振り解こうとする自分に対し、ルノアは私の頬を強く両手で挟みこみ強引に顔を向き合わせ、鋭く真剣な眼差しを向けた。

「いい加減にすべきはユカの方。私の話をちゃんと聞いて……どうかお願い」

じっと見つめてくる瞳に飲み込まれ、不安を抑えるように黙り込むと、ルノアは私の手を取り、しっかりと掴んだ。

「ケアルラを使えるならマッシュを救える」
「でも全然駄目だった…!どうしたらいいの…ッ」
「魔石セラフィムからケアルラを習得してるならレイズも使える」
「レ、イズ……??」
「彼を今の状態から救うにはその魔法しかないから。だからユカが唱えてあげて」
「助けたい…!だけど、一度もその魔法は」

手助けしてあげるからと話すルノアは私の両手をマッシュに触れさせ、彼女は私の背中に触れる。
ゆっくりと落ち着かせるように促し、意識を心の内側に向けさせた。聞こえてくる声に併せて詠唱を続ければ、上空から舞い落ちてきた小さな光の粒がマッシュの体の中に溶け込んでいった。

静寂の中でずっとその時を待ち続けるのに、短い時間が永遠に思える程に長い。もう一度唱えようと目を閉じた自分の手の平に、彼の鼓動が段々と伝わってくる。

「―――!?」

急いで顔を覗き込めば、苦しそうに小さく呻きながらゆっくりと彼の瞼が開いていく。

「マッ……シュ……」

諦めてなんてなかった筈なのに、この瞬間が訪れるまで凄く怖かった。怖くて不安で仕方なくて、現実が嫌で嫌で仕方なかった。
そして、何よりも自分を庇った彼に対して悲しみと怒りがこみ上げてくる。

辛そうにしながら上体をゆっくりと起こしたマッシュは、私を見つめて“ありがとう”って口にした。

こんなの。
こんな事、微塵も望んでなんかいなかったのに。

「違う……。…おかしいよ…そんなの」
「・・・・・・ユカ」
「私に言ったよね…こんな事するなって!なのに何でするの…っ??」

だから、悔しくて悔しくて堪らなかった。こんな事になってまで…大切に想うアナタの死を目の前で見せてまで私を救う必要なんてない。

「やめ、て……よ…ッ。こんなの…イヤ。嫌だよ…!!私を庇ったり…しないで…っ」

あの瞬間を思い出したかのように突然体が震えだす。
手が震えて声も震えて。
だけど今――…心の底から思っているのは一つだけだ。

「ッぅ…良かっ…た…マッシュが…無事で。ほんとに良かった…っ!…ぅう…っぅ」

ぼろぼろと零れ落ちる涙が甲板を濡らす。
顔を覆いながら俯いて、溢れる涙を拭い続けるのに、次から次へと流れてくる。彼が生きていることを良かったと繰り返す私の肩に、そっと触れる大きな手は確かに温かくて。

「・・・ユカ……」

名前を呼んでくれる。
こんな当たり前だったことすら尊くなる。
肩に伸ばされている彼の腕を握りながら、凭れるように擦り寄って、自分は恐怖と安堵の狭間で泣き続けていた――。


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