1
冬休みのある日、深夜に学校のある山を登っていた。鞄には暖かい飲み物とタオルを入れてきた。
なんてことはない、ただ天体観測がしたくて。
裏門坂をのぼって頂上を目指す。
途中に駐車場があったはずだから、そこで星を眺めよう。
懐中電灯で先を照らすと、何か小刻みに震えている影があった。
野犬か野生の動物か、と身構えたがぼんやりと人の形に見えて、あわてて駆け寄った。
人がうずくまっていた。隣には自転車が倒れている。
「大丈夫ですか!?」
浅く早い呼吸をしながら苦しそうに顔を上げたのは、クラスメイトの巻島裕介だった。緑の短髪が特徴的だったからすぐにわかった。
彼は自転車競技部だったはず。自主練習中に過呼吸にでもなったのか、だから自転車が倒れているのだろう。
苦しそうに呼吸をする巻島に、私が着ていたコートをかけた。そして彼を抱きしめると、彼の耳を私の胸に当てた。
「大丈夫だよ、ゆっくり呼吸して」
頷く代わりにぎゅうっと服を掴まれた。苦しさを紛らわせているのだろう。
タオルを取り出し、彼の汗を拭いた。
「ゆっくり息を吐いて」
浅かった呼吸がだんだん深く、ゆっくりになる。
震えている手を取りながら、頭を押さえていた手で髪をなでた。
「…っ…はぁ…もう、平気っショ…」
だいぶ呼吸が落ち着いた頃、巻島は声を発した。
平気、と言いながら少し苦しそうだ。急に体を動かすのはよくないと思い、抱きしめていた手は離したものの、握った手は離さないでいた。
「…手…」
案の定、自転車を起こしに行こうとしたので手を引きおとなしくさせた。
「まだ動かない方がいいよ。自転車なら私が持ってくるから」
自転車、とはいえ安いママチャリではなく競技用のものだから高いだろうし大切なものだろう。私が触ってもいいのかと少し不安になったが巻島は、頼む、と言ってくれた。
自転車を起こし、巻島の元まで運ぶと彼はふらふらと立ち上がった。
「悪い…ありがと…っショ。あとコート…」
彼は肩にかかっていた私のコートを返そうとしたが、私は受け取らなかった。
「着てていいよ。運動した後だし体冷やすとよくないよ」
ただでさえ薄い競技用ジャージなのだから、見ているこっちが寒くなる。
帰ろうか、と聞けば頷いてくれたので下山する。
「なんかごめんね?私自転車のこと知らないのにうるさく言って」
「いや、助かったっショ。…えっと、深谷…だっけ?」
「うん。巻島くん、自主練してたの?」
「あー…、まあ…」
あいまいな返事だった。
自主練が恥ずかしいのかな、と思う。私も何となく一人では練習できなかったから。
「すごいなぁ」
「え?」
「自主練。私はできなかったから…」
「…深谷何部?」
「剣道部。もうやめたけど」
中学の時に部活動に入ることを強制されたから何となく入った剣道部。辛くて厳しかったが達成感はあったし嫌いではなかったが、どうしても試合で勝てなかった。勝ちたいって気持ちもなかったから、武道特有の礼儀作法をしっかり学んではいたがさすがに高校になるとますます練習は厳しくなるしやっている意味もあまりなくなったので秋にはやめてしまった。
「後半はもうほとんどマネージャーみたいなものだったからね…。ちょうどその時期にマネージャー志望の子が入ったから私はやめちゃった」
ふーん、と返されてはコチラから返す言葉がなくなる。
しばらく無言で歩いた。
「星、綺麗だね」
ふと見上げた空。
無難だが天気の話は王道な会話だろう。しかし彼は、ああ、と相槌を打つだけだった。
会話が苦手なのかな、私も得意じゃないけど。
「星、好きなのかヨ?」
またしばらく無言で歩いていると、今度は向こうから声をかけてくれた。
「普通だよ」
「…そう」
わざと会話が続かないような答えを返すと、少し残念そうな声が返ってきて思わず笑ってしまった。
「なに笑ってるっショ」
「ごめん、なんかしょんぼりしたのが可愛くて」
「はぁ?」
笑いながら謝ると、変な奴、と言われた。
私は、なんで?と聞き返した。
「こんな遅い時間にこんなとこ歩いてるヤツいないっショ。しかも女子高生」
「巻島くんもこんな時間まで練習はやめた方がいいと思うよ。身体大事にしなきゃ」
「…確かに、深谷がいなかったら死んでたかもしれないっショ」
「過呼吸ぐらいじゃ死なないんじゃないかな?」
「そーなの?」
「最悪失神程度、って何かに書いてあったはず。過呼吸から心臓発作とかが誘発されたら死ぬかもだけど」
「へー、よく知ってんな」
「剣道部でもまれに過呼吸になるんだよ」
「ほー」
自転車競技ってマラソンみたいなものだという偏見があるが、走り終わった後に過呼吸になったことはないのだろうか。マラソンや水泳などでなりやすい症状だからよく目にしていると思ったが、違うのか。
「こういう症状ってはじめて?」
「ああ」
「なにかストレスとかパニックとか、精神的に疲れてるとかない?」
「ないっショ」
「じゃあ運動の仕方がまずかったのかな…」
いざ自分がなると怖いな、と彼は呟いた。
「やっぱり自転車競技って、なりやすい?」
「フルマラソンみたいなもんだからな」
「そっか、じゃあ対処法知ってた方がいいかもね」
「袋で呼吸っショ?」
「いや、それだと下手すると窒息しちゃうから…あまり息は吸わないで長く吐くのが一番いいと思う。常に袋持ってるわけじゃないだろうし」
「なるほど。…じゃあ、さっき抱きしめたのは?理由あるっショ?」
「ああ、落ち着かせるためかな。人間の心音って落ち着くから…私も前にパニックになりかけたときにああやってもらって安心したことあったから」
さっきまで相槌を打ってくれていた巻島が黙ってしまった。
何か悪いこと言っただろうか、と少し不安になり彼を横目で見ると彼もちょうどこちらを見ていたようで視線が合った。
「やっぱ変な奴っショ、お前」
そこまでいうのならそうなのかも、と返せばまた変な奴と言われた。
- 2 -
[*前] | [次#]
[戻る]