──お前のひと口はでかすぎるんだよ。もっと小さく切れねえの? ──米、硬すぎねえ? うちはもっと柔らかく炊いてたぞ。 ──酒のつまみみたいなもんばっかじゃねえか。もっと家庭的なの作れねえのかよ。 ──母さんは粉の出汁なんて使ってなかったのに。 ──おかずこれだけ? 足りないんだけど。 ──……レトルトなあ。 それ以来、私は折を見て、彼と少しずつ話をするようになった。 とはいえ彼自身が言ったように、恋愛などを語らうことはない。もっぱら、料理の仕方や保存法についてだ。料理は得意とは言い切れないが、ゆくゆく必要になるだろう。参考にはなりませんよ、と彼は常に謙遜という名の作り笑いを崩さない儘、基本のきからちょっとしたこつ、手の抜き方までを教えてくれた。これは本人も言及したことだが、動画サイトで検索すれば出て来る知恵を私はわざわざ恵んで貰っている。その自覚は最初からあった。 私は──彼にこそ、学びたかったのだ。彼が口に運ぶいのちがどれほど心を込めて作られているのか、それが気になったのだ。私は料理をする際に、今までずっと、俎板の上の食材にかつて生きていたいのちがあったなどと考えたこともなければ、出来上がった料理に謝意もなく、きっとじっくり味わうこともなく生きて来た。ところが彼といえばどうだ、すべてを知り、学び、弁え、行っている。私の知らない姿勢がある。 「……料理、楽しいですか?」 「? ええ。下手なりに──楽しい、というよりは、嬉しい、ですね」 「嬉しい?」 「巧く言えませんが。ひとつの食材をどう工夫して何に出来るか、と考えて、それが予想通りになったり、時に予想以上の出来になってくれたり……勿論失敗もありますよ」 「……。いい、んですよね? 失敗したって」 「そりゃあいいでしょう。敬意を見失わなければ。或いは、愛してさえいれば」 「愛?」 「僕の個人的な考えですが、愛せるものを愛し続けるのは、難しいけど、達成感はあるので」 「お料理お好きなんですね」 「まあ──そうですね」 珍しく、彼は困ったようにはにかんだ。そういう顔さえいい男、複雑ながらも感嘆した。 「……貴女は、訊いて来るだけなので助かります」 ふと、彼が妙なことを呟いた。何がです、とその儘訊くと、彼は困った表情から笑みを削ぎ落とした。これまた初めて見る顔だ。彼は声を落として話し始める。私も倣った。 「僕、本当に嫌なんですよ。弁当の中身覗かれるの」 「ああ、さっきも沸いてましたね。……あ、もしかして私が原因?」 「いえ、食堂の件は至極当然の問いです。──元々見られたくなくて食堂を敬遠していたので。……しかし、このところ毎日、昼時に背後から声を掛けられる。しかも相手は正社の方なので躱すのが、この、何とも」 「『面倒臭い』?」 「……。まあ、それです」 「毎日は確かに、面倒臭いし鬱陶しいですよね。他人の分際で」 一応派遣元に言っておいたほうがいいですよ、と言うも彼は、上司に伝える程度のことでもないので、と頭を掻いた。そんな軽微な対応をするような話ではないのでは、他人事ながら嫌な感じを覚えた。 「正社に気を遣ってるなら私がやんわり釘刺しましょうか? 私もそれなりに嫌われ役は慣れてますし」 「いや、そんな手を煩わせることは」 「色々教えて貰ってるんです。多少は力になりますよ」 「しかし」 「評価に関わらない程度で」 「……。それは、心強い」 男女問わず、人の食べるものに対して舐め回すように見たり注文や指図を向けたり、ましてひと口頂戴と言う輩は、私は心底嫌いなのだ。 「そういえば、助かりました。肉の冷凍保存する方法。すぐ使えるし、特に挽き肉は汎用性高いですね」 「ああ、お役に立てたなら何よりだ」 「レトルトのパスタソースに加えたらなかなか美味しくて。彼氏も珍しく褒めてくれて」 「……そうですか」 この時の私は、痘痕も靨、という言葉を知らなかったのである。 ──事が起きたのは、翌日のことだった。 | |