七つのうちとりわけ一つを愛するも残りの六つも大切に、使い方はどうあれ見棄てずに注ぐのは、心の内側に自ら刻み込み、或いは何ものかに刻み込まれた数え切れぬであろう傷痕を、熱く脆い矜持として閉じ込めてなお、一つの圧倒的な勁さに加えて余りに儚き憐れみや優しさや情けや、ともすれば勁さを否定する勁さなどの六つでもって、自身の心を外側から護っている、ような──こちとら繊い感性は彼に比ぶれば一つたりとも持ち合せなき身、大いに尊敬するところである。全く本心であるのだが、伝えたとて叱られるか嗚呼また妙なことを云い出した、と胡乱な眼を向けられることだろう。ともあれ、こちらを七や六、まして一ですらない八百の嘘を吐く 卵とソースを掛けるのを一瞥された気がしたが──詩人には詩人の拘泥する食事の流儀があるのは今や有名であり日常である。今日も今日とて躊躇も遠慮も何もなく、皿の上に盛られた元より辛めのライスカレーに七味唐辛子を山のように振り掛け続ける。辛いものが好きと云ったその舌の根乾かぬうちに七味唐辛子を求めるこの詩人、一味唐辛子という文字通り一つの味一辺倒ではなく、それ一つを底上げするもう六つの味や薫りもすべて縒り合せて堪能している、と思われる。自覚があるかは解らぬが、詐欺師は詐欺師なりにそんな方向から、彼自身の繊さを勝手に垣間見ていたのだった。 生きることは心を護ること、と考える。他者に生かされ魂さえ眠らせてもらえぬ今、身体など二の次、もっと云えばどうでもいい。──だが、心が死ぬのは駄目だ。一歩引いた諦念の笑みを得意として仕舞ったかつての詐欺師は身をもって知っているのである。作り笑いをする度に死んでゆく心の中身を、守られず野ざらしにされ膿み腐る傷を。 欲を食べて心は生きる。そこにそれぞれの流儀があるのは当然のことなのだ。 美味しくなあれ。詐欺師がこそり呟くと、詩人はやおら瓶を振る手を止めて勢いよく顔を上げた。発言した当の本人はいつもの癖のある笑い方はどこへやら、ふ、と試すように微笑んでいた。瞠目していた詩人は極めてきまり悪そうに顔を顰め、余計なことせんでください、そう云って匙を手に食事を始めた──今度こそ声を上げて笑った詐欺師が卵の黄身を匙で割ろうとするや、可愛いことは布団の上でやらんかい、と低く呟かれた所為で手許が狂い、生命になり損ねた橙色がべしゃりと無様に潰れて仕舞った。流儀はあれど、作法はない。生きることなど所詮、その程度のものであるらしい。嗚呼なんと──胸糞の悪いこと。 | |