まーた来た。オレは笑ってみせる。相手もまた、その顔立ちには似つかわしくない癖に笑ってみせた。泣きそうな、困ったような笑みだ、お互いに。今日はひとりではないらしい。無表情なのかはたまたもとより何も考えていないのか、とにかく表情の読めない顔が笑い合う後ろに覗けている。海とも岩漿ともつかぬいろかたちをしたものが眼下遠くをたゆたう、この崩れ去りたいのか整おうとしているのかわからないひどく曖昧な、だけれどなつかしいような、ある意味居心地が無性に悪い一端、その円い淵に立つ俺にふたりは近づいて来る。三者揃って手にはなにもない。よっス、久しぶり、ごめんおまえの名前忘れた、などとやりとりをしてのち、これまた彼らが――彼が、スコールが、恒例となった一言をオレに放つ。 「殺してくれ」 答えはもちろん――いやだ。敵同士なのに、な! 昏い癖にぽつぽつと白い光が漂う空のような天蓋を三人揃って見上げる。円い淵にオレは背を丸めて屈みこんでいて、隣にはスコールが黒いブーツを重力に任せて腰かけていて、さらに隣にはヴァンとやらが胡坐を掻いている。いやだ、と拒否してからオレとスコールはやはり泣きそうな、困ったような笑みを交換し、ヴァンは特に反応もせずにオレたちを見ていて、それから誰もなにも声を発さずに座りこんではなんの法則性もなく漂う白い光を目で追ったり追わなかったりしている。スコールにはもはや初めて相まみえた時の、背骨が鉄棒ででもできているのではないか、ぴしりと立ちはだかる姿はいまはどこにもない。くたりと背を曲げ、その上にぽんと頭蓋骨を置いたような不安定な彼を、オレはひどく心許なく、やるせなく、かなしく、思う。 「ヴァンは――」 そのかなしい思いを打ち消すなどもう手遅れであろうが、これ以上この思いを溜め込んで仕舞うと、頭上にひろがる昏い空のようなものに押しつぶされでもするのではないかと途端不安になって、だからヴァンに声をかけてみた。スコールもふくめ三人とも同い年であることは以前に聞いている。 「スコールの、何をどこまで聞いてるんスか」 「オレ?」 「他に誰がいるんだよ」 「あー、えーとおまえ、名前なんだっけ。まあいいや、おまえはどこまで聞いた?」 「ティーダっス、覚えろよ。――たぶん、全部。スコールが話したいって思ってることは」 言って、同意をもとめようと傍らを見るも、スコールは顔を上げた儘に何も寄越しはしない。なにを考えているのか。――いや、考えていることはただひとつしかない。 ――殺してくれ。 「オレはあれだよ、スコールが死にたがってることくらいしか聞いてない。それもついさっき、ここ来る途中にさ」 「……。そっスか」 「なんだよ、それがどうしたんだ?」 「ぜんっぜん苦労してない感じでうらやましかったんスよ。そうだよな、おまえも一応コスモス側だもんな、スコールを倒す意味なんてないもんな」 「悪かったな」 スコールがなんら悪びれていないふうに口をはさんだ。ようやく顔に疑問符らしき表情をうかべたヴァンにオレは、初めてスコールがひとりで、よく一緒にいる男(名前は忘れた、結局オレはヴァンを責められない)も見当たらない状態で歩いているのを見つけたときの苦労を語ってやる。あのとき、このスコールがいずこかへ向かう姿を見て身構えようとした敵であるオレを、明らかに無視して歩いてゆくさまにちょっとばかりいらついたのが始まりだ。オレは基本的にタンラクテキという生き物で、単純に空気は吸って吐くもの以外の何物でもないと思っているから、怒っているというよりは拗ねている声音で以て、シカトッスか、なんて声をかけてみたのだ。そうしたらスコールは立ち止まって武器を構える――かと思いきや、一瞥をくれてまたすたすた歩き出す、かと思いきや、すぐにまた立ち止まってオレを振り返り、訊いたのだ。――カオスはどこだ、と。 ――え、カオス、? カオスってあのカオス? ――他にどのカオスがいるというんだ、それとも別のカオスが存在するのか? ならばそれを含めて居場所を教えてくれ。 ――いや、あのなんだっけクリスタルとかなんとかは? つうかあんたひとり? ――見ての通りひとりだ、カオスに挑む。 ――挑むって……死んじゃうっスよ? ――ああ、そのつもりだ。 ――……は? というわけのわからない展開に陥ったわけだ。オレとしてはがんばった、とってもがんばった。いややめたほうがいいって、ていうか死ぬつもりってなに、そっちの陣営でなんかあったのか、とかなんとか訊くうちにスコールはオレの問いかけが面倒になったのか強行突破を図るべく暴れ出した。たしかに、カオスに挑む、と言った声音は真剣だったからきっと本気なのだろう、だからこそ暴れ出したはずだ。そんなスコールだったが、深いワケがあるんなら訊くから落ち着けって、あー、うちのオヤジがなんか悪いことした? なんて問いかけの延長線で訊いたとたんにぴたりとおとなしくなった。ふっと目を伏せて、くたん、と座りこんで仕舞った――今の姿勢その儘に。以来、スコールは気まぐれにたいていオレがいるこの場をおとない、言うのだ、殺してくれ。そんな物騒な科白にオレはなぜかいちどだって、わかった、だなんて言ったことがない。カオスに挑む決死の覚悟を邪魔して仕舞った後ろめたさでもあるのか、それは自分でもわからない。一連を聞き終えたヴァンは、好奇に目を輝かせてスコールを見た。 「意外と馬鹿なのな、スコール」 「自覚はある」 「あるんなら巻き込まないで欲しかったっス」 はあ、嘆息するオレをヴァンが笑った。当のスコールはやはり悪びれる様子はない。 「で、なんでカオスにひとりで?」 笑みを引き摺りながらヴァンが訊く。オレはその理由をいつだか断片的に聞いたから覚えている。なにを馬鹿なことを、と思ったが、気持ちはわからなくもない、とも思えるくらいの、複雑ではないがすっきりしない話だ。 「単独行動が祟って勝手に斃れたのなら、誰も同情はしないだろう」 仲間と、この世界に呼ばれた理由に則って戦って負けるのではなく、私情だけでひとり、この世界を利用して負けるふりをして死ぬ、それがスコールの目論見だ。とにかくスコールはこの世界で死にたいのだ。もとより同情など望みはしないが、そう付加して結んだスコールに、ヴァンはまあ確かにな、と返して両腕を頭の後ろに組んだ。 「同情なんてしないよ。ただ哀しむだけだ」 すくなくとも顔や名前を知っててそこそこ会話をした人間が死んだら、誰だって哀しむもんだろ? ――なんとヴァンは至極当たり前すぎることを言ってのけた。オレは初めて聞かされたとき、うーん、だとか、なんかそれやだ、くらいのことしか言えなかった。スコールにどんな事情があるのかヴァンは知らないだろうが、だとしても彼の言い分は当たり前すぎる。 「まあなんでかは知らないけど、スコールがここで死にたいんだってことはわかった。そうなったら、いや、この話聞いただけでも、みんなきっと哀しがるだろうな」 「……そうか」 「あ、でもオレは止めないぞ?」 「えっ」 声をこぼして仕舞ったのはオレで、スコールは絶句している。飄々、なんて表現が似合いすぎるヴァンは眼下の黒と橙の照り返しを覗きこんでいた。 「最良の生き方も最良の死に方もその逆も、人それぞれだろ? 死にたくないのに死ぬヤツだって、生きたくないのに生きてるヤツだって、スコールみたいに死ぬ以外思いつかないヤツだって、あー、おまえ名前なんだっけ、おまえみたいに死ぬことさえ考えてなさそうなヤツだって、いろいろいるだろ。これは間違ってる、なんて言うのは簡単だよ。でもこれが正しい、って言い切るには間違ってることもちゃんと知ってるヤツにしかできないんじゃないかなって思うよ、オレは」 さりげなく失礼なことを織り込んだ長々しい科白を述べたヴァンの言い分は、どこか屁理屈を思わせるもわからなくはなかった。スコールはひたすらぽかんとしている。意外と、いや見た目通りか、頭は固いようだった。あるいはヴァンが自由すぎるのかもわからないけれど。そして確かにオレは、オヤジと戦ったとして自分が死ぬことなんて考えてきていなかった。 「……ひょっとして頭いいんスか? 見かけによらず」 「オレが? ていうかおまえなんだっけ名前」 「ティーダ」 「ああそうだった、サンキュスコール。また忘れるだろうけど」 「失礼なヤツってことはわかったっス」 「オレは馬鹿だよ。仲間が死にたいって言ってんのに止め方わかんないんだからな。だから止めないんだけど」 スコールがわずか、ヴァンに視線を落として笑った。困ったような泣きたいようなそれではない、単純に面白がっている顔だ。こんな顔を見るのはオレは初めてで、もしかしたらヴァンもそうかもしれない。しばらくくつくつと笑っていたスコールは、満足するまで笑い終えた充足感のようなものを顔に浮かべながら、おだやかに、これまた以前にオレに聞かせたことを話し始める。 「――俺がこの世界で死ねば、元の世界ではある日突然、あいつの前から俺は唐突にいなくなるんだろう。あいつは多分驚くし、もしかしたら哀しんでくれる。捜してくれるかもしれない。だが、それでいいんだ。生きているか死んでいるかもわからないんだから、俺を捜す手は必ず尽きるだろう。ひとりずつ俺のことを諦めていって、あいつもだんだん俺を忘れていって、たまに思い出しながら平穏に生きて行って欲しい」 「あいつって?」 「――俺から色々なものを奪ったひと。俺に色々なものを奪われたひと。俺を許して、俺に許されたひと。俺を振り回して、俺に振り回されたひと」 筋が通っているようで通っていない、きわめて曖昧な言いようをヴァンは理解したのかできなかったのか、ふうん、なんて軽々しく受け流した。そうしてふと、立ち上がる。うーん、と伸びをひとつ、屈伸を四回、そうして二、三歩下がる。オレはなんとなくそのヴァンの行動を見ていた。なぜか、本当になんとなくだけれど、嫌な予感がしたのだ。 「理屈はよくわからないけど、振り回し振り回され、ってさ」 「ヴァン、」 「スコールと――ラグナ、っぽいよな」 スコールの身体が、おおげさなほどに震えた。オレはなるべく視界にヴァンとスコールふたりが収まるように、きっと目を見開いた。スコールが振り返ろうとする。ヴァンに問い詰めようと立ち上がろうとする。しかしヴァンの手には刀がある。刃はスコールに向いていない。ヴァンは顔色ひとつ変えない。目を瞠るスコールのうなじのあたりに、ヴァンの刀の背が横向きに激突する。スコールがうめく。座っていた淵から落ちそうになるスコールを、刀を消したヴァンがジャケットのファーをつかむことでとどめる。ヴァンはスコールを引き摺って地面に寝かせる。スコールは目を閉じている――気を失っていた。 「ラグナにこうさせたくなかった。だから今日、オレが来た」 「……なんで、仲間を」 「仲間だからだよ。言ったろ、オレはスコールが死んだら哀しいんだ」 意味がわからない。だがもし、スコールがオレに殺される先回りとしてヴァンが気絶させたのなら納得は――だめだ、できない。そのうえ、ヴァンの顔には終始、悪意なんてかけらもなかった。淡々と、しかし本人が言うように、哀しそうな色を目ににじませていた――今も。 「ラグナはスコールのこと、すごく気にかけてて、だから自分でやるって言ったんだけど、ラグナはつらそうだった。だからオレがやった、先に。死なせないために、守るために」 「……。守るだなんて方法じゃない」 「こうじゃなきゃだめなんだ。こうでもしないと、だめ、なんだ」 言って、ヴァンはスコールを背負った。オレには理解がおよばない。傷つけることが守ることになるとどうして言えるのだろう――そう考えて、ああ、スコールとヴァンはオレの敵だったんだ、といまさらながらに思い出す。居場所が違えば、状況も違うのだろう。本来は、殺し合うべき間柄なのだ。ヴァンはよいしょ、だなんてのんきなかけ声でスコールを負ぶり直し、じゃあな、えーと、ティーダ、と顔も向けずに言った。その儘去ろうとするヴァンを、オレはなぜか、なあ、と留める。ヴァンは意外と素直に歩を止めて振り返った。 「オレとおまえは敵だよな」 「そうみたいだな」 「オレが死んだら、おまえはどう思う」 ああ――なんて、なんてくだらないことを訊いているんだ。頭の片隅で自分に幻滅した。しかしヴァンはどうやら優しいヤツで、オレの求める答えを言ってくれる。 「哀しいよ」 困ったような、泣きたいような、笑顔で。――やっぱり、聞かなければよかった、あんなこと。答えさせなければよかった、こんなこと。 ――敵同士、なんだから。 ヴァンは去ってゆく。ひとり取り残されたオレは立ち上がって、遠のいてゆくその背を、そしてその背にぐたりと負ぶさっているスコールを、姿が消えるまでずっと見ていた。 ――なあ、スコール。 ――なんだ。 ――あいつあいつ、って言ってるけど、それ誰なんスか? ――……。ラグナ。 ――……うーん……どっかで聞いたような名前……。誰だっけ? ――そうか。思い出したら教えてくれ。あいつについて、あんたといろいろ話したい。 ――なんで? ――思い出したら解るさ。 ――なにそれ。ま、了解っス! 「……きらいになれればよかったのに」 オレみたいに、はねっかえっていたら、スコールはもうすこし楽ができたと思う。ここでは仲間で、どこかでは大切なひとで、大切だからこそ自分がここで死ねばいいとスコールは言った。なのに、スコールは守られる。ここでは仲間で、どこかでは大切な、ラグナというひとに。 「泣きたい、なあ」 こういうときに限って、オレの涙腺はあらがう。もしかしたら、大切なときのために涙を取っておいているのかもしれないけれど。 やり場のないこの感情はきっと、誰にもぶつけてはならない、そう、思った。それだけしか、思えなかった。……スコールとヴァンの幸せくらい、祈ってやってもいいのに。 | |